ボフスラフ・マルチヌー Bohuslav Martinů(1890~1959)を得意とした指揮者といえば、同じチェコ出身で数多くの楽曲を取り上げた
カレル・アンチェル、管弦楽の代表作「ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画」の世界初演を委ねられた
ラファエル・クベリーク、最後の交響曲(第六番)の初演者で同曲を献呈された
シャルル・ミュンシュといった名前がすぐ思い浮かぶ。彼らは作曲家と同時代者であるばかりか、さまざまな局面で交友もあった指揮者たちである。
マルチヌーは共産主義政権との軋轢を抱えていたため、遂に帰郷を果たせぬままスイスで歿したが、その後もスメターチェク、ノイマン、コシュラーといったチェコの指揮者は(恐らく当局に睨まれながらも)彼の交響曲や協奏曲を果敢に演奏会にかけ、少なからぬ録音も残している。とはいうものの、なにしろマルチヌーは非常な多作家であり(協奏曲は三十近く、オペラが十六、バレエが十五もある!)、管弦楽を伴う大作の多くは再演の機会に恵まれず埋もれていた。
マルチヌーのオーケストラ曲が永年の忘却から抜け出し、本格的なルネサンスを迎えるには、チェコが民主化される1990年代を待たねばならなかった。そうした機運を敏感に捉え、時を移さずマルチヌー復権の烽火を掲げた指揮者の一人が
クリストファー・ホグウッドだった。この事実を改めて肝に銘じておこう。
"Martinů: La revue de cuisine, etc. -- Christopher Hogwood"
マルチヌー:
シンフォニエッタ「ラ・ホヤ La Jolla」(1948)
組曲「調理場のレヴュー」(1927)
トッカータと二つのカンツォーネ (1946)
メリー・クリスマス1941 (ロジャー・ルッジェリ編)
三つのリチェルカーレ (1938)
クリストファー・ホグウッド指揮
セント・ポール室内管弦楽団1991年4月、ミネソタ州セント・ポール、オードウェイ音楽劇場
Decca 433 660-2 (1993)
→アルバム・カヴァー1989年のビロード革命からまだ日が浅い時期に遠くアメリカ中西部で制作され、マルチヌー復活を世界中に印象づけたアルバム。小編成オーケストラ用の珍しい作品ばかり集めた意欲的な企てであり、古楽器団体の指揮者だったホグウッドがマルチヌーを振るのにも意外な驚きがあったと思う。彼はこの時期(1988~92)たまたま同楽団の音楽監督の地位に就いていたところから、その所産として思いもよらぬ協働作業がなされたのだ。小生はかなり経ってから聴いたのだが、それでも軽い眩暈のような衝撃を覚えたものだ。
どちらかといえばマルチヌーを苦手とする小生も、本CDには心の底から快哉を叫ばずにいられない。とりわけ、当時ヨーロッパを席巻したジャズのイディオムを巧みに模し、自家薬籠中とした、バレエ《
調理場のレヴュー》からの組曲はどうだ! その軽妙洒脱、その融通無碍、その痛快にして高雅なる音楽に魅せられない者はいないだろう。同曲は過去にいくつか録音があったようだが、小生はこの演奏で初めて聴き、ぞっこん惚れ込んでしまったものだ。
時代と傾向を異にする小オーケストラ用の楽曲を一枚のディスクでさまざまに取り合わせる、そのコンピレーションの絶妙に、ホグウッドのマルチヌーに対する並々ならぬ造詣の深さが窺われよう。彼がいつ、いかなる経緯でマルチヌーの音楽に親炙するようになったのか、寡聞にして知らないが、その真摯な取り組み具合からみて生半可な俄か仕込みではないことは明らかだ。
青年期の彼はサーストン・ダートやグスタフ・レオンハルトに師事したのち、奨学金を得てチェコへ留学、名チェンバロ奏者
ズザナ・ルージチコヴァー(懐かしい名だ!)に一年間みっちり学んだというから、恐らくこのプラハ時代にマルチヌーの音楽と出逢った可能性が高いのではないか(マルチヌーにはチェンバロ協奏曲がある)。小生は勝手にそう想像している。
"Martinů: Ballets / Czech Philharmonic Orchestra & Hogwood"
マルチヌー:
バレエ《驚くべき飛行 Le Raid merveilleux》*
バレエ《調理場のレヴュー La revue de cuisine》(ホグウッド校訂版)**
バレエ《撮影開始! On tourne!》***
クリストファー・ホグウッド指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団2003年8月15~17日* ***、2004年2月7日**
プラハ、ルドルフィヌム、ドヴォジャーク楽堂
Supraphon SU 3749-2 031 (2004)
→アルバム・カヴァー上のアルバムから十年ほどして出たホグウッド=マルチヌー「極め付き」の名盤である。楽団が名門中の名門チェコ・フィルというのも見逃せない。
ホグウッドは指揮者であると同時に音楽学者でもあり、演奏にあたっては楽譜の選択・発掘・校訂にもおさおさ怠りない。先にセント・ポール室内管弦楽団と収録済の《
調理場のバレエ》に関して、ホグウッドは未公刊のバレエ全曲の手稿が現存すると知り、自らその校訂を買って出た。こうして晴れて刊行された全曲版楽譜による世界初録音がこれである。
曲数は組曲版の四曲から十曲に増加し、演奏時間も約十四分から約十八分へと延びた。溌剌と弾むような解釈は変わらないが、ホグウッドの指揮はいっそう練達と諧謔の度合いを加え、この曲の決定的演奏の名に恥じぬ秀演となった。
それだけでも目覚ましい快挙なのだが、ホグウッドはそのほか更に未公刊のまま埋もれた二作品を新たに発掘し、マルチヌーの手稿譜から世界初録音を成し遂げたのだから、なんともはや天晴れというほかない。
どちらも《調理場のバレエ》と同年、1927年に相前後して作曲されたバレエであり(信じがたい旺盛な創作力だ)、《
撮影開始!》(8月完成)はアニメーション人形劇用、《
驚くべき飛行》(9月完成)は「バレエ・メカニック」──すなわち登場人物なしに、光と影と音楽のみで進行するバレエだという! 実際の舞台がどうだったのか(そもそも上演されたか否か)は詳らかにしないが、新世紀の申し子マルチヌーが1920年代にどれほど尖端的な試みを行ったかを如実に示す作例である。
それらがどんな楽曲か──そればかりは実際にこのアルバムをお聴きいただくに如くはない。才気煥発、光彩陸離、湧き立つようなバレエ音楽ですよ!