クリストファー・ホグウッドの遺産でもうひとつ忘れがたいのは、彼が1999年から深い関係をもったバーゼル室内管弦楽団との録音だろう。今夜はそれを聴こう。
Klassizistische Moderne Vol. 1: Martinů Stravinsky Honegger"
マルチヌー:
トッカータと二つのカンツォーネ*
ストラヴィンスキー:
ニ調の協奏曲
オネゲル:
交響曲 第四番「バジリアの歓び」
ピアノ/フロリアン・ヘルシャー*
クリストファー・ホグウッド指揮
バーゼル室内管弦楽団 Kammerorchester Basel2001年3月8~11日、チューリヒ、ラジオ・スタジオ
Arte Nova 74321 86236 2 (2001)
→アルバム・カヴァー"Klassizistische Moderne" とは耳馴れない語だが、敢えて英語に直訳すれば Classicist Modernity ──より意訳的な表現だと Modern Classicism だろうか。さしずめ「古典主義的近代」「近代の古典主義」とでも訳すか。20世紀に古典回帰を唱えた新古典主義の同義語と察せられよう。ホグウッドが新たな手兵と共に録音を開始した意欲的な新シリーズの呼称である。本CDはその第一作。
マルチヌー、ストラヴィンスキー、オネゲル。三者三様に古典的なフォルムを踏襲した、いずれも作曲者の面目躍如たる作品──と、そこまでは直ちに諒解されようが、そこから先がこのアルバムの肝腎なところだ。どの作品も第二次大戦の終結直後──より正確を期すなら1946年──の所産であると気づいた御仁は20世紀音楽に詳しい方だろう。だがしかし、事の真相は更に驚くべきものだ。
実をいえば、これら三曲は1947年1月21日、午後8時15分からバーゼル音楽堂(Musiksaal Basel)で開催された同じ演奏会で、まさにこの順番で世界初演された楽曲にほかならない。一夜の演目がすべて現代音楽、どれも初演曲ということ自体ままある事態だが、作曲家がいずれも錚々たる大家で、すべての曲が歴史に残る名作揃いという例は珍しいのではないか。
この演奏会の指揮者は
パウル・ザッハー Paul Sacher という。彼のタクトのもと当時の手兵だったバーゼル室内管弦楽団が演奏にあたった。パウル・ザッハーなる人物が20世紀音楽史上いかなる存在だったかは、八年ほど前に書いたこの記事をお読みいただくに如くはない(
→20世紀音楽の偉大なるパトロン)。
つまり、本アルバムは半世紀以上も前にバーゼルの街で行われたコンサートを丸ごと復活演奏することにより、パウル・ザッハーとその楽団の先進的な偉業を讃えるとともに、その歴史的意義を再認識するという明確な意図をもって構成されたものだ。そんじょそこらの近代音楽アンソロジーとは訳が違う。
1947年の時点でザッハーの委嘱作品(すべてバーゼル室内管弦楽団の創立二十周年を記念したもの)がいかなる相貌を備えていたか。それらが同じ演奏会でどのように共鳴(あるいは反撥)しあったのか。こうした検証からアルバムの標題にある「古典主義的近代」の実態が浮かび上がってくる筈だ──いかにも周到な音楽学者でもあったホグウッドらしい野心的な企てである。
ザッハーの率いるバーゼル室内管弦楽団(Basler Kammerorchester, 1926年創設)は、ホグウッドが指揮している楽団(Kammerorchester Basel, 1984年創設)と日本語名こそ同一だが、云う迄もなく全くの別物である。
しかしながら、ホグウッド自身は二つの団体にある種の連続性──あるいは深い縁(えにし)──を感じているらしく、前者が育んだ20世紀の遺産を後者が継承し、21世紀に生かすことを希って、このようなアルバムを創り上げたのであろう。
廉価盤レーベルから発売されたためか、わがニッポン国では碌に話題にもならず忘れられてしまったが、アルバム制作に注がれたホグウッドの深謀遠慮を如実に示す、またしても瞠目すべき充実の一枚である。三作品のスタイルを明瞭に描き分けた演奏水準の高さも保証しよう。