スコットランドには一度だけ足を踏み入れたことがある。今から二年半前の冬のことだ。プロコフィエフのオペラを観る──ただそれだけのためにロンドンから往復十時間近い長旅に出たのである。
キングズ・クロス駅から特急に乗ってグレート・ノース・イースタン鉄道をひた走る。車窓はなだらかな丘陵と牧草地が延々と続くが、途中から眺めは荒涼たる平原が主になり、右手に凍てつくような海(北海である)が迫ってくる辺りがどうやらイングランドとの境界地域らしい。しばらくして雪を頂いた山脈が遠く望まれたと思ったら列車はゆるゆると速度を弛め、エディンバラのウェイヴァリー Waverley 駅に定刻どおり滑り込んだ。
その当日の夜遅く宿舎でしたためた短い日記メモを再録する。
1月26日。エディンバラに来ている。倫敦から列車で五時間弱かけて辿り着いたスコットランドの都。流石に空気が冷たい。札幌か小樽といったところか。
初めての都会なので勝手が皆目わからず、地図でスコティッシュ・ナショナル・ギャラリーという美術館を見つけて訪ねると、ティツィアーノ(→これ)やベラスケス(→これ)の逸品がさりげなく飾ってあって吃驚した。
夜は目抜き通りにある祝祭劇場 Festival Theatre でお目当ての観劇。スコティッシュ・オペラによるプロコフィエフの歌劇『修道院での結婚 Betrothal in a Monastery』の新プロダクション初日である(→公演チラシ)。
英語上演ということもあって、隅々までよく台詞が理解できたし、心ゆくまで愉しめた。歌手たちの芸達者ぶり、役づくりの見事さには驚くばかり、ウェルメイド・プレイを観る面白さなのだ。オペラは極上の娯楽なのだと思い知らされる。
《修道院での結婚》は滅多に観られぬ珍しいオペラではあるが、たまたま十日ほど前に同じ演目を東京でも観ていた(日本初演)こともあり、二つのプロダクションを比較してみるのも面白かろうと、酔狂にも寒空のもと北へと旅したのだ。
観劇目的の訪問だったので、エディンバラがどんな都市なのか碌に調べもしなかった。着いてみて、ロンドンとまるで異なる眺望に目を瞠った。急勾配で湾に下る斜面に立地するばかりか、鉄道駅は擂鉢のような谷底に位置するので、そこから繁華街まで長い上り階段を歩く必要がある。地図では判然としないが、駅から美術館へ、美術館から劇場へと移動する度に、高低差を埋めるべく階段や坂道を昇り降りする。足が疲れる街だが、それがエディンバラの魅力でもある。
元々は岩山の斜面だった場所に永い年月かけ人々が棲みつき、苦労して都市生活を営んできた──そういう印象を受けた。旧市街に建ち並ぶ建物はどれも古色蒼然、相当に草臥れており、それがまた得も言われぬ味わいを醸す。通りのそこここにパブがあり、この手の店で本場のスコッチを玩味したいものだと希ったが、酩酊してしまうと夜のプロコフィエフ鑑賞の妨げになるからと泣く泣く諦めた。
翌朝は早起きして簡素な朝食を終えると宿をあとにした。慌ただしいが、この日はもうロンドンへ戻らねばならない。夕方に指揮者ウラジーミル・ユロフスキーが催す私的なレクチャー・リサイタルがあり、プロコフィエフについて講演するというから聴き逃せない。手回しよく切符も買ってあるのだ。
階段を上ったり下ったりして旧市街の目抜き通りロイヤル・マイルに出た。帰りの列車は午後一時過ぎ発なので、それまでにまだ間がある。石畳の舗道を西に歩くとほどなくエディンバラ城に着いた。中世の城塞さながらの厳めしい趣だ。
折角ここまで来たのだからと、城内をざっと一巡。小生のように英国史に疎い者には難有味が今ひとつ判りかねる遺構だが、岩山の頂に建つ城からの眺望は評判に違わず天下一品。天気もそこそこ清々しく、吹く風が冷たくないのは何よりだ。帰りにお定まりの土産物店でチェック柄のマフラーやカシミアの手袋などを物色。俄か観光客の気分を味わった。
そのあと線路の谷間を陸橋で渡り、新市街で少しばかりウィンドウ・ショッピング。坂道を下った向こう、それほど遠くないあたりに海が見えた。
滞在時間は合計しても二十四時間に満たない。だからエディンバラを味わったとは到底いえないが、それでもスコットランドが話題に上る度毎に、あの石畳の坂道と階段、古びた街並が脳裏にくっきり蘇る。次にもし訪れる機会があるならば、裏路地の安酒場でウィスキーに酔い痴れてみたいものだ。