きつかり一週間前に松戸の歴史的建築遺構「戸定邸」を見學した(
→感想文)のに引き續き、昨日またもや家人の發案に從つて野田の
キッコーマン工場を訪れた。さしづめ「ディスカヴァー千葉」第二彈とでも云つた處だらうか。
周知の通り野田は江戸時代から醤油の一大產地だつた。この街は利根川と江戸川の分岐點に近く、水運物流の要衝に立地してゐた。良質な地下水が豐富なうへ、常陸國の大豆、上毛國・下野國の小麥、江戸灣の鹽といふ具合に原材料の入手が容易であり、江戸への舟に據る搬出が半日で可能だつた處から、醤油の生產が榮えたのである。
明治時代に幾つもあつた個人業者を束ねる形で大同團結したのが「野田醤油」であり、其の商標が「龜甲萬」だつたといふのが大まかな歴史的經緯である。
最寄の驛は東武野田線の「野田市」。初めて赴く場所だ。國鐡と私鐡とを四本も乘り繼がねば辿り着けないのが些か難儀であるが、所要時間は正味一時間强だからさして遠隔地といふ譯ではない。心理的に億劫なだけだ。
豫約した見學時刻は午后三時からなのだが、十二時半には野田市驛に着到して仕舞ふ。木骨造の如何にも古びた驛舍である。プラットフォームに降りたつた途端、何處からともなく甘やかな匂ひが仄かに漂つて來るのが感じられた。流石に醤油の街だけのことはあると早くも期待が嵩まる。
工場見學まで二時間半もあるので、先づはゆつくり晝御飯でもと考へたのだが、驛前には道行く人影もまばら、飮食店と呼べる店舗が只の一軒も見當たらず、實に寂寞たる風情なのだ。ちよつと當てが外れた思ひだ。
驛から工場までは徒步で約三分。殺風景な倉庫の塀傳ひに步くと直ぐ目的地に着いてしまふ。界隈には何處にも飯處は見つからない。詮方無いので門番に斷はつて工場敷地内に入れて貰ひ、「
もの知りしょうゆ館」に附属する「
まめカフェ」で輕食を攝る仕儀と相成つた。メニューは此處の醤油を使つた「生(なま)しょうゆうどん」と「特製もろみ豚汁」。デザートとして家人は「しょうゆソフトクリーム」、小生は「豆乳しょうゆソフトクリーム」。饂飩の量が足りないのでお代はりをしたら其れなりに滿足。どれも醤油や諸味の馨りと味はひが床しい。
腹は膨れたものゝ、指定された集合時刻の三時には未だ間がある處から、工場敷地内にある「
御用蔵」といふ建物が一時半に開くといふので、此方を先に見學する事にした。藏といふ名の通り、白漆喰で塗り固めた藏造の立派な建物である。なんでも翌年の紀元二千六百年を期して昭和十四(1939)年に建造されたものだといふ。「御用」とは「宮内省御用達」の意で、宮中での調理に供する醤油を謹製する爲の專用釀造所なのださうだ。元々は市内の江戸川沿いの敷地にあつたものを、2011年に工場正門脇に移築した由(
→此の建物)。
物々しい由來はさて措き、この御用藏は實に興趣をそゝる見ものであつた。
さして廣くはない藏内には古式床しい傳統的な製法に則つた醤油作りの道具や裝置が所狹しと展示されてゐる。大豆を蒸し、小麥を炒る「原料處理」、兩者に麴菌を加へて人力で混ぜる「粉合はせ」、三十度の室溫で三日かけて醤油麴を發酵させる「麴室」の樣子(
→此れ)、醤油麴に食鹽水を混ぜた「諸味」を直径一米の大きな「仕込桶」に入れ、一年間じつと熟成させる「仕込室」の内部、そして發酵を終へた諸味を絞り上げて醤油に仕上げる「圧搾」「火入れ」「詰め」迄の全工程をば、素人にも判り易いやうに實物で展示してある。傍らの老監視員が手際良く懇切な解説を施して吳れるのも難有い。
この御用藏では今も宮内廳に納める爲の醤油を實際に製造してゐるさうで、仕込室で硝子越しに見る諸味は熟成途中の本物だといふ(
→此れ)。今や大半の原材料を輸入に頼つてゐるキッコーマンも、御用醤油だけは總ての材料を純國產で賄つてゐる由。下々の者と餘りにも違ふ特別待遇にちよつとカチンと來るが、かうして昔ながらの製法が繼承されてゐるのは意義深いし、老舗の誇りを感じる。
御用藏の見學を終へ、本館(もの知りしょうゆ館)のロビーで暫く待機してゐると召集の聲があり、十數人の參加者は小さな講堂へと導かれる。三時きつかりにスタート。先づ解説ヴィデオの上映が十五分あり、醤油作りの基本を手際良く敎へられる。その後は案内役の解説を拝聽しながら參觀者用の通路を步いて、工程順に醤油製造の現場を硝子越しに觀て廽る。
驚かされるのは、現今の製造法もさつき御用藏で學んだ舊來の遣り方と基本的には同一だといふ事實である。完全に機械化され、萬事が大掛かりにスピード化されてゐるものゝ、先に見た工程と全く同じ手順で醤油が醸造されて行く樣がよく理解された。たゞし、この工場では工程の内「圧搾」迄を行ひ、「火入れ」と「瓶詰め」は少し離れた場所にある別工場で行つてゐる由(その樣子はヴィデオ映像で觀られる)。此處の女性解説員も語り口が流暢で手馴れてゐた。約三十分の見學を終へロビーに戻ると、紀念品として「
削りたて かつおぶし香る しょうゆ」四百五十竓のペットボトル入が參加者全員に配られる。何やら得した氣分である。
總てが終了するともう四時近い。ロビー奧に倂設された賈店に立ち寄つてあれこれ物色。極く少量のみ市販するといふ「
亀甲萬 御用蔵醤油」の小壜二百竓入を見つけ、相當に高價だつたが迷はず購入。謹んで貴人達の相伴に與る心持だ。他に重寶しさうな袋詰調味料「
もろみ味」、お八ツ用に「
もろみ醤油カステーラ」。結局かなりの散財である。しかもズシリ持ち重りする。
復路は往路と同ルートを逆行したので一時間ちよつと。それでも相應に疲れてゐたのだらう、武藏野線では熟睡してしまつた。野田市内には他にも歴史的建造物が色々あるらしいので、次囘はそれらも觀て廽りたいものだ。歸宅は六時少し前。