日本語で読める「ペール・カストール」関連の文献のうち最も初期のものを引用しておこう。苛烈な戦時下にもかかわらず、欧米絵本の最新動向をつぶさに紹介した美術雑誌『生活美術』の「繪本特輯」(1943年9月号)に、「
フランス兒童繪本の復興」と題された佛人ジャン・セルズの論考が邦譯されていて、そのなかで次のような文脈からペール・カストールのアルバムが丁寧に紹介・解説されている。
子供達にあてがはれるもの──兩親や教師から聞かされるお話や彼らの育てられる環境・玩具・畫本──はいづれも、それが一定量の慰樂を與へると同時に、特定の强化要素が添加されてゐなければ、その機能を十分に果したとは云はれない。エドウアール・セギヤン、モンテソツリ、ピアジエ、フロイト、フランテイセツク・バキユレその他──われわれが今日兒童心理學のコペルニクス的發見を負ふてゐる人々の仕事は、フランスにおける兒童繪本の觀念を新たなる方向に導いた。
かくして、兒童心性に關する最も重要な諸問題の數年に亘る研究の結果、ポオル・フオーシエールは青少年出版の基本方策を確立したのである。書肆フラマリオンはその實行者であり、一九三一年には『ペール・カストル』のアルバム第一輯を刊行した。實のところ、この領域においてはドイツ、オーストリー、ポーランド、ソ聯に比しなほ數歩遲れたものと考へられたフランスの地歩は、この叢書の出現によつて完全に修整されることとなつた。右叢書はフランスの兒童圖書出版を世界出版界の首位に置くに與つて大いに力あるものであつた。
『ペール・カストル』のアルバムは續いてその第五輯が一九三二年に、一九三三年に第十二輯、一九三四年に第十四輯、一九三五年には第十六輯、一九三六年には略々之と同じものが出てゐる。これは數ケ國語への飜譯と併せて、五年間に總數約百五十萬部の刊行部数を算してゐる。この成功の興味ある點は、知性とよき趣味とがその普及に見事な成果を擧げ得たといふ事實のうちに存する。ポオル・フオーシエールの仕事は、かくして愈々重大な價値をもつに到つた。
『ペール・カストル』のアルバムは遊戲と物語と彩色畫の三基本部類に分けられる。遊戯の本は極めて簡単なやり方ではあるが、同時に遊戲者の論理・辯別・聯想及び鑑識等の力の行使をも必要とする方法によつて、兒童の智能を開發する趣好が考慮されてゐる。それは手工作・整頓・技術に對する愛好並びにものを作ることの興味を開發すると共に、注意・觀察・思考・記憶・想像等の諸能力を喚起する。かうした方法に數限りなく多樣な變化を與へることによつて、これらのアルバムはいづれも期せずして眞の教育能力を具備することになる。そこには氣の利いた、しかも常に嚴密に子供本位のやり方で、幼い頭腦に思考力の最善の條件を自づから確立せしむべき或る活動動因が存する。子供はかやうにして、自己の經驗に對する興味を滿足させることが出來るのである。
リダ、ローズ・セリ、イヴオンヌ・ラコツト、マリ・コルモン、ルウヴア、ベアトリス・アピア等の作家によつてあのやうに可愛らしく書かれた『ペール・カストル』の遊戲、動物物語及び小説集には、挿繪畫家として次の如き畫家が協力してゐるが、その作品にはこれらの書物の教育活動の效果に寄與するところ少なくない。
それらの畫家のうちには先づ第一に、チエホフの物語『栗』、マルセル・ベルタンの『航海小史』及びトルストイの(N・R・Fの第三版)の優れた挿繪によつて旣に知られてゐるナタリ・パランがある。ナタリ・パランはフラマリオンからは『ババ・ヤガ』、『買物ごつこ』、『行列』、『魔法アルバム』その他の挿繪を描いてゐるが、これらは『ペール・カストル』叢書中の最上の作品に属する。エレーヌ・ゲルチツクによる彩色畫の四つのアルバム及び『愉しき一日』、『妖精アルバム』、『私の好きな動物』のデツサンも亦優れた作品であり、子供達をして装飾美術と自然とを結びつける緒口を理解せしめるやうに、極めて巧みに考慮されてゐる。次にロジヤンコフスキイのコンポジシオンについては、いづれも田園と動物の細心にして鋭敏な觀察に基いたものであつて、立派に一種の博物學教科書の役を果してゐる。この教科書には、子供達があのやうに心を惹かれる自然の凡ゆる神秘と詩とを啓示する克明な細密描寫が載せられてゐる。ロジヤンコフスキイは『栗鼠のパナシユ』、『熊のブウリユ』、『鴨のプルフ』、『兎のフルウ』、『海豹のスカフ』、『ペール・カストルのA・B・C』及びつい最近(一九三七年)では、あの氣の利いた『子供のカレンダー』の挿繪を描いて生彩を添へてゐる。
驚くほど明快な論旨である。とりわけペール・カストールのアルバムが最新の教育学・児童心理学の成果に拠って企図されたこと、そして「知性とよき趣味とがその普及に見事な成果を擧げ得た」こと、更に「遊戲の本」の分野で「
遊戲者の論理・辯別・聯想及び鑑識等の力の行使をも必要とする方法によつて、兒童の智能を開發する趣好が考慮されてゐる」点が的確に指摘される。それら「
眞の教育能力を具備」したアルバムには「
氣の利いた、しかも常に嚴密に子供本位のやり方で、幼い頭腦に思考力の最善の條件を自づから確立せしむべき或る活動動因が存する」。すでに歴史の審判が下された現今ならともかく、まだ創刊から数年の段階で、ペール・カストール絵本の真価をズバリ言い当てたことに舌を巻く。
筆者
ジャン・セルズ Jean Selz (1904~1997)は第二次大戦を挟んで旺盛な活躍をみせたフランスの美術批評家であり、モロー、マティス、ムンク、ヴラマンク、藤田嗣治などの画集やモノグラフは今でも読まれている。そうした人物だから、個々の絵本画家に対する評言もいちいち正鵠を射ている。
彼はまずナタリー・パランの名を筆頭に挙げ、彼女の絵本を同アルバム中「
最上の作品に属する」と位置づけ、エレーヌ・ゲルティックの絵本を「
子供達をして装飾美術と自然とを結びつける緒口を理解せしめるやうに、極めて巧みに考慮されてゐる」と評し、フョードル・ロジャンコフスキーの動物絵本について「
いづれも田園と動物の細心にして鋭敏な觀察に基いたものであつて、立派に一種の博物學教科書の役を果してゐる」「
自然の凡ゆる神秘と詩とを啓示する克明な細密描寫が載せられてゐる」と指摘するなど、洞察の確かさには驚くばかりだ。
今ちょっとネットで検索したら、この「フランス児童絵本の復興 La Renaissance du livre d'enfant en France」なる記事は "Arts et Métiers Graphiques" という美術雑誌に掲載されたものと判明した(no.56, 1937年1月
→これ)。
六年後その記事を翻訳掲載した『生活美術』「繪本特輯」では、光吉夏弥が「繪本の世界」と題して興味深い論考を寄せ、日本の絵本の抱える問題点や未熟さを浮き彫りにした。そうした発言自体、厳しい言論統制下では勇気ある態度表明といえようが、そのとき彼が比較例として引き合いに出したのは、驚くべきことに(敵国と仮想敵国である)米国とソ連の絵本だった。光吉が1920~30年代のロシア絵本のなんたるかを当時すでに熟知していた事実にも驚かされる。
光吉は所蔵する多くの海外絵本をこの「繪本特輯」に提供し、どうやら全体の編集構成にも関与していたらしく、自分の文中ではフランスの絵本に関して敢えて口を噤む代わりに、上述のセルズ論文をここに訳載させたのではないか──小生はそう推察している。ただし彼自身は英語ほどフランス語に通暁していなかった筈だから、信頼できる誰か別の者に訳してもらったと考えられよう(訳者は無記名)。たしかに訳文はやや硬いが、誠実で良心的な翻訳である。
邦訳されたセルズ論文の末尾には、掲載図版に著者が寄せた解説キャプションまで訳されているので、ペール・カストールに関する部分を書き写しておく。
挿繪解説
★アレグザンドラ・エクステ作、色附切抜畫帳『私の庭園』、ペール・カストル叢書(フラマリオン出版) →表紙 →「植栽カタログ」
これらの切抜圖形は切抜いて集られる。先づ植木を色附目録に從つて識別し、それらの臺紙の植つけについてはその場所を指定するプランに從ふといふのが眼目である。
★『買物ごつこ』、ナタリ・パラン作色附切抜畫帳(ペール・カストル叢書、フラマリオン出版) →「肉屋」 →「魚屋」 →「商品リスト」
先づさまざまの商品を描きこんである方形枠を切取つてから、示された各職業々々に特殊の專属品の全部を、之と向合せの頁に組直す仕組になつてゐる。尚この遊戲を一人乃至數人でやるにしても、相當數の組合せが可能であつて、遊戲者はその記憶、觀察、聯想等の機能を充分に働かせることが出來る。
★『六種の職業』、ナタン・アルトマン作、無色及着色切抜畫帳(ペール・カストル叢書、フラマリオン出版)
原理は前掲のアルバムに於けると同樣、先づ切抜がすんでから、各職業體に對してそれぞれ特有の用具を集める。個々の職業の記述にはそれぞれに説話がついてゐて遊戲の組合せは極めて數多く且樣々にあることが出來る。
★『私の好きな動物』 →表紙 →見開き
ルウヴアの美しい詩で敍されエレーヌ・ゲルチツクの可憐なデツサンに描かれてゐる(ペール・カストルのアルバム、フラマリオン出版)
ナタン・アリトマンの『六種の職業』以外は絵本の現物が手許にあるので調べてみると、セルズの解説(と逸名氏の邦訳)がいかに精確かがよく了解できた。