家人の所用に付き合って上京、舗道を歩いていたら眩暈がした。この暑さは尋常でない。棲家のある千葉界隈の熱風も耐えがたく感じてきたが、都心のボイラー釜みたいな灼熱地獄に較べれば何ほどでもない。用事を済ませ夕方に帰宅すると疲労困憊、晩酌と簡便な食事とシャワーを済ませ、そそくさと就寝。
そのまま朝まで昏々と眠るつもりが、どういう訳か深夜にふと目覚めてしまった。そうなると今度はなんだか頭が冴えてもう眠れない。仕方ないので心身の鎮静剤代わりに手近なディスクを聴こう。そうだ、こういうときこそディーリアス。
"DELIUS: Brigg Fair, On Hearing the First Cuckoo in Spring"
ディーリアス:
ブリッグ・フェア
ラ・カリンダ ~歌劇《コアンガ》
間奏曲とセレナード ~劇音楽《ハッサン》
日の出前の歌
春に郭公の初音を聴いて
楽園への歩み ~歌劇《村のロメオとユリア》
歌劇《イルメリン》前奏曲
丘を越えて遙かに
クリストファー・シーマン指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団1994年8月、ロンドン
Planet Media PMCC 8003 (2000)
→アルバム・カヴァー1990年代に英都ロイヤル・フィルが経営難から様々な指揮者と録音した廉価盤シリーズの一枚。身売りして何度か版元を変え、そのつど異なる装いで出たが、このヴァージョン(たぶん二度目)はジャケットがなかなか素敵だ。
英国の指揮者クリストファー・シーマン Christopher Seaman は1942年生まれ。ウィキペディアに拠ればスコットランドと米国での活動が主で、つい最近までロチェスター・フィルの音楽監督だったというが、小生にはとんと馴染が薄く、長谷川陽子のドヴォジャーク、アン・アキコ・マイヤーズのブルッフなどの協奏曲で伴奏を振った人という印象がある程度。至って地味な存在である。
それでも英人が振るディーリアスは侮れない。歴代の巨匠たちに匹敵する個性は乏しいものの、たゆたうような情感や仄かな光彩の描出に抜かりはない。ロイヤル・フィルの木管奏者の名人上手にも感心する。これで二百円とは申し訳ない。
"Delius: A Song of Summer, Brigg Fair etc."
ディーリアス:
ブリッグ・フェア
夏の庭園で
お伽噺 (昔々あるところに)
夏の歌
ヴァーノン・ハンドリー指揮
ハレ管弦楽団1981年9月、マンチェスター、フリー・トレイド・ホール
EMI Classics for Pleasure CD-CFP 4568 (1993)
→アルバム・カヴァーところがどうだ、次にこの「ブリッグの定期市」が始まった途端、あゝこうぢゃなくちゃいかん、と痛感する。たっぷりした歌心と構えの大きさ。音楽の風格がまるで違うのだ。そこには確固たる信念と揺るぎない表現がある。ヴァーノン・ハンドリーが如何に優れた解釈者だったかを今更のように悟らされた。
彼のディーリアス録音は決して尠くないのだが、EMI, Classics for Pleasure, Chandos, Unicorn, RCA とレーベルが様々なため、全容が捉えがたく印象が希薄なのが残念な気がする。彼こそチャールズ・グローヴズと並ぶ「第二世代」のディーリアス指揮者の筆頭格だったことに遅蒔きながら気づく。
本盤は1982年に出たLP(
→これ)そのままのCD化であり、収録時間は一時間に満たないが、それだけにディーリアスの多様な指向性を示すべく、ハンドリーがこれら四作品を選び出した制作意図がよく窺われる内容である。
小生の微かな記憶だと、そのLPは少なくとも日本では殆ど話題にならなかったように思う。珍しい演目である「お伽噺 Eventyr」は十年ほど前に同じEMIからチャールズ・グローヴズ盤が出ていたし、「夏の歌」もバルビローリ、グローヴズの名演奏に加え、直前にエリック・フェンビーの新録音が出て、このハンドリー盤は新味が乏しいと感じられたに違いない。日本盤LPは出たのかどうか。
そんな訳で永く等閑視されてきた不遇な録音だが、これらはディーリアス演奏史に特筆すべき秀演だとやっと悟った。ビーチャムの愛着共鳴やバルビローリの感情移入とは一線を劃し、作品を冷静に客体化した、それでいて並々ならぬ理解が滲む独自のディーリアス。一度でいいからハンドリーの生演奏を聴きたかった。