折角なのでバレエ・シュエドワ絡みの音楽をもうひとつ。ジャン・コクトーの肝煎りで「フランス六人組 Les Six」の面々がこぞって(と云いたいところだが、グループを脱退してしまったルイ・デュレーを除く五人が)楽曲を持ち寄ってバレエに仕立て上げた《
エッフェル塔の花嫁花婿 Les Mariés de la Tour Eiffel》(1921)もついでに聴いてしまおう。
この合作バレエ、存在そのものは矢鱈と名高いものの、実際のところ舞台上演はおろか、演奏会場で耳にする機会も滅多にない。小生とてコクトー生誕百周年の1989年に東京で若杉弘(東京都交響楽団)とマリユス・コンスタン(臨時編成アンサンブル)が相前後して指揮したのを聴いたきりだ。どちらの機会も原作の指示どおり二人のナレーターを伴う演奏だったが、前者は曲数を減らした抜粋版、後者は編成を縮小した編曲版だったから、今に至るまで完全な形の実演に一度も接していない。これからもチャンスは恐らく金輪際ないであろう。
"Les Mariés de la Tour Eiffel - Dir. Darius Milhaud"
ジャン・コクトー&フランス六人組:
バレエ《エッフェル塔の花嫁花婿》
■ 序曲「7月14日」(オーリック曲)
■ 掛け合い口上 その一
■ 婚礼行進曲 (ミヨー曲)
■ 掛け合い口上 その二
■ 将軍の演説 (プーランク曲)
■ 掛け合い口上 その三
■ トルーヴィルの浴女 (プーランク曲)
■ 掛け合い口上 その四
■ 電報の円舞曲 (タイユフェール曲)
■ 掛け合い口上 その五
■ 葬送行進曲 (オネゲル曲)
■ 掛け合い口上 その六
■ カドリーユ (タイユフェール曲)
■ 掛け合い口上 その七
■ リトゥルネル (オーリック曲)
■ 掛け合い口上 その八
■ 婚礼参列者の退場 (ミヨー曲)
掛け合い口上(メガフォン)/ピエール・ベルタン、ジャック・デュビー
ナレーション/カロリーヌ・クレール
ダリユス・ミヨー指揮
フランス放送国立管弦楽団1966年、パリ
デュレー:
木管五重奏のための「ヴァルフェールの夜会」(1963)
パリ木管五重奏団1980年、パリ
Adès 464 206-2 (1996)
→アルバム・カヴァー1921年6月18日、バレエ・シュエドワ(スウェーデン・バレエ団)がパリのシャンゼリゼ劇場で初演した(指揮/デジレ=エミール・アンゲルブレシュト)。
ジャン・コクトーがこのバレエのために書き下ろした台本はナンセンスの極みだった。架蔵している筈の堀口大學訳のテクストがどうしても出てこないので、英文ウィキペディアから粗筋を引くと、
新婚カップルが革命記念日(7月14日)に婚礼の朝食のためエッフェル塔の展望台のテーブルに就く。来賓が勿体ぶってスピーチ。猫背の写真屋が一同に向かって「はーい皆さん、カメラを見て」と叫ぶと、その場にいきなり電報局が出現する。ライオンが登場し、来賓の一人を朝食に平らげたあと「未来の子供」なる奇怪な人物が現れ、周囲を皆殺しにする。かくて宴会はお開きになり、バレエも幕となる。
荒唐無稽なバレエなので説明に窮するばかりだが、初演の舞台では朝顔型のスピーカーを携えた語り手が二人(コクトー自身とピエール・ベルタン)が両袖に鎮座して、適宜ストーリーを解説したという(
→語り手コクトー)。
振付はバレエ・シュエドワの他の演目と同様にジャン・ボルランが手がけ、舞台装置はイレーネ・ラギュ(
→これ)、衣裳はジャン・ユゴー(
→これ)がそれぞれ担当した。残された数葉の舞台写真はこの笑劇がいかに人を喰った奇抜なスペクタクルだったかを彷彿とさせる(
→これ、
→これ、
→これ、
→これ)。
《エッフェル塔の花嫁花婿》はその後1923年のバレエ・シュエドワ米国巡業時NYで上演されたものの、同バレエ団の解散後は顧みられることなく、僅かに「狂乱の1920年代」を象徴する徒花的な出来事として回想されるに留まった。楽譜も出版されることなく、公演時の総譜は永らく行方不明となった。
(まだ聴きかけ)