連日の猛暑にうんざりしている。昨日ほどではないというが、今日も茹だるような灼熱にさして変わりはない。できるだけ外出を控え、じっと在宅して過ごすが体じゅう汗だくだ。これがあと一か月半も続くのかと思うとげんなりだ。
流石に夜更けて少し楽になり、風呂上がりに扇風機の風を受けながらコカコーラを飲む。それで幾らか人心地つく。
"Cole Porter: Overtures and Ballet Music"
コール・ポーター:
《サムシング・フォー・ザ・ボーイズ》序曲
《デュ・バリーは貴婦人》序曲
バレエ「叢の蛇」 ~《五千万人のフランス男性》
バレエ《ウィズイン・ザ・クオタ》
《リーヴ・イット・トゥー・ミー》序曲
《ユー・ネヴァー・ノウ》序曲
《エニシング・ゴウズ》序曲
《五千万人のフランス男性》序曲
ガヴォット ~《デュ・バリーは貴婦人》
《カン=カン》序曲
《陽気な離婚》序曲
《キス・ミー、ケイト》序曲*
夜も昼も ~《陽気な離婚》
《アウト・オヴ・ジス・ワールド》序曲
ジョン・マクグリン指揮
ロンドン・シンフォニエッタ1989年6月*、1990年12月、ロンドン、アビー・ロード、第一スタジオ
EMI CDC 7 54300 2 (1991)
→アルバム・カヴァーあまたあるコール・ポーターのミュージカルから序曲とバレエ音楽、すなわち歌抜きの管弦楽部分だけを集めたという珍しいアンソロジー・アルバム。
もっともブロードウェイのミュージカル作曲家の常として、彼は自分ではオーケストレーションを施さなかった(できなかった)から、実際に奏されるのは別人の書いたスコアである。その多くは職人的な手腕で鳴らした
ハンス・スピアレクや
ロバート・ラッセル・ベネットらの手になる手堅い仕事である。
わざわざこんなディスクを引っ張り出したのには後述するような理由がある。
あまり知られていないが、本アルバムにはコール・ポーターが在仏時代の1923年に書いた知られざるバレエ《
ウィズイン・ザ・クオタ》が丸ごと収録されているのが値千金だ。勿論これが世界初録音。
「ウィズイン・ザ・クオタ Within the Quota」とは移民の割当定員内(に入る)という意味だといい、バレエはアメリカ合衆国の地を踏んだ移民の主人公が辿る奇抜なサクセス・ストーリーを描いたもの(らしい)。
驚いたことに、このバレエはかの
バレエ・シュエドワ(スウェーデン・バレエ団)の委嘱によって作曲され、コール・ポーターの友人のアメリカ画家(というか裕福な遊び人)
ジェラルド・マーフィがシナリオと舞台美術を手がけた。オーケストレーションを担当したのはなんと
シャルル・ケックラン(フォーレの《ペレアスとメリザンド》やドビュッシーの《カンマ》のオーケストレーター)、初演当夜の指揮者は
ヴラジーミル・ゴルシュマンだったというからなんともはや豪勢である。
1923年10月25日、パリのシャンゼリゼ劇場で初めて舞台にかかった《ウィズイン・ザ・クオタ》は、バレエ・シュエドワの米国興行の演し物として選ばれ、同年11月28日ニューヨークのセンチュリー・シアターで初演されたのを皮切りに、翌年3月までに六十九回も上演された。思うに、この旅公演を予め念頭においてバレエ団は「パリのアメリカ人」の手になる「アメリカ・バレエ」を創出したのではないか。
初演時の写真(
→これ)をみると、背景に巨大な新聞の一面をあしらったジェラルド・マーフィの舞台装置は実に意表を突いたものだったから、当時のパリの観衆たちはさぞかし目を瞠ったことだろう。
七つの部分からなるバレエはこのCDに拠れば僅か十六分ほどの短さで、コール・ポーターの音楽はとりとめのない小曲の寄せ集めといった印象。ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」に先駆けた交響的ジャズとしての意味はあるものの、歴史の審判には堪えられそうもない儚さだ。ただしケックランのオーケストレーションはそれなりに手の込んだものだが。
ジェラルド&サラ・マーフィ Gerald & Sarah Murphy 夫妻は20年代のパリの社交界・芸術界ではかなり知られた存在でだったらしく、とりわけピカソとは家族ぐるみの親交があった。サラの整った美貌にピカソは大いに心惹かれ、1923年には彼女の肖像画を集中的に描いている(
→これ、
→これ、
→これ)。ブリヂストン美術館にある《女の顔》(1923)(
→これ)もサラがモデルではないかと云われている。スコット・フィッツジェラルドの小説『夜はやさし』の主人公夫妻にはマーフィ夫妻の面影が色濃く投影されているとも噂される。
夫妻は大恐慌後の1934年に帰国し、それからのジェラルドはきっぱり絵画を捨て、1964年に歿するまで実業家としてのキャリアに専念した。彼の渡仏期の油彩画が再評価されるのは歿後しばらくして、その20年代の画業がポップ・アートの先駆と看做されてからである。
・・・とまあ、そんな由無し事をふと思い出したのは、昨日たまたま逢った友人が商用で一週間ほどパリに滞在中、オペラ座の附属博物館で「バレエ・シュエドワ」展(
→HP)に遭遇したという羨ましい話を聴かされたからである。
バレエ・シュエドワはオペラ座では一度も公演したことがなかった筈だが、その主宰者だったロルフ・ド・マレが1952年に関連資料を寄贈したため、少なからぬ作品を所蔵しているのだ。展示はごく小ぢんまりしており、「わざわざ観に出かけるには及びませんよ」との話だが、滅多にない機会なので些か心が騒いだ次第。この9月28日まで開催中だそうだ。