梅雨明けから一週間ほどになるが、酷い暑さに早くも辟易。これがあと二か月も続くのかと思うと嫌になる。外出するのは極力控えたい思いである。それでも二度ほど遠出したのは偏えにどうしても聴き逃せない演奏会の故である。
ざっと備忘録ふうに控えておこう。
7月20日(日)
14:00~ 東京・初台、東京オペラシティコンサートホール
東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第81回
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スメタナ: 交響詩「ヴルタヴァ」
ドヴォジャーク: チェロ協奏曲*
チャイコフスキー: 交響曲 第四番
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チェロ/ダヴィド・ゲリンガス*
ロレンツォ・ヴィオッティ指揮
東京交響楽団当初予定された指揮者も独奏者もキャンセルされるという異例の事態により、急遽ダヴィド・ゲリンガスのドヴォジャークが聴ける成り行きになったのは勿怪の幸いである。大慌てで切符を手配した。
小生がゲリンガスの実演を聴いたのはたった一度、2008年5月の倫敦訪問時のことだ(
→当日のレヴュー)。奇しくもこのときも彼は代役として登場し、アルテミス弦楽四重奏団と共にシューベルトの弦楽五重奏曲の第二チェロを弾いた。そのときの彼の弾きっぷりがひどく印象に残ったのである。レヴューから少し引くと、
今日の聴きものは休憩後のシューベルト。苦手なこの作曲家で唯一、愛してやまない楽曲なのだ。でも、ひょっとして生演奏で耳にするのは初めてかもしれない。
トルルス・モルクに代えて第二チェロを務めるゲリンガスはリトアニアの人。かなり年輩の男性で、近年は指揮活動も始めたらしく、九州響や東京フィルにも客演している由。
シューベルトの五重奏は不思議な曲で、長大なわりに退屈しない。弛緩する瞬間が片時もないからだ。アルテミスの面々はこの曲をいささか過度にダイナミックに捉え、テンポも少々走り気味、逸る気持ちを抑えきれないといった按配だ。ゲリンガスのチェロはいわばそこに歯止めをかける役回りとみた。渋い音色で「お若いの、激するばかりがシューベルトではないのだよ」と諌めているよう。控え目なゲリンガスのパートはしばしば背後に隠れてしまいがちだが、第二楽章のピッツィカートに、彼の繊細な音楽性がはっきり聴きとれたと思う。
五十数分が瞬く間に過ぎた。なんと深い音楽なのだろう。ほとんど angelic な、いやむしろ seraphic な域に達している。
全くの偶然とはいえ幸福な出逢いだった。爾来ゲリンガスのCDを何枚も聴いて、バッハから現代まで、とりわけシニートケ、グバイドゥーリナ、ヴァスクスなどの楽曲に際だった親和性を示し、渋い音色ながら目覚ましい演奏を聴かせる当代屈指の名手であるとの認識を深めた次第である。
当日の演目はスラヴ系の有名作品をただ三つ連ねただけの凡庸なプログラム。もしゲリンガスが登場しなければ一顧だにしなかったろう。案の定、冒頭の「モルダウ」も後半のチャイコフスキーも退屈した。そもそもこの代役指揮者は未経験すぎて、音楽をじっくり醸成させる術を弁えていないから、緩やかな部分は概して平板だし、唄う箇所はすぐに激してしまい、交響曲のフィナーレも喧しい狂騒に留まった(隣の家人は辟易していた)。早世した名指揮者マルチェッロ・ヴィオッティの息子だというが、わざわざ招聘するほどの才能ではなかった。
お目当てのゲリンガスのドヴォジャークは流石の出来映えだ。いかにもこの人らしく、派手やかな外連味や技巧の誇示とは無縁、どこまでも内省的な歌に徹した生き方は、師匠のロストロポーヴィチとはまるで対照的な芸風である。それでいて息の長いカンタービレには冒しがたい威厳と気品がある。とりわけ第二楽章における瞑想の比類ない深さといったら!
これで指揮者が綺麗事の伴奏ではなく、より果敢に絡んできたら申し分ないのだが、若輩にそれを望むのは酷だろう。小生がこの曲の実演を聴くのは1971年のロストロポーヴィチ以来だから実に四十三年ぶり。なんとも古い話で恐縮だが、そのときの森正の指揮は独奏者と互角に渡り合う堂々たるものだったと記憶する。
当日の真の聴き処はこのあとやって来た。ゲリンガスは「本当の自分はこれからだ」とばかりにアンコールを続けざまに弾いたのである。
ジョン・コリリアーノ: バッハのアリアによる空想
+バッハ: 無伴奏チェロ組曲 第一番 より 前奏曲
ペトリス・ヴァスクス: 無伴奏チェロのための「本」より 第二曲 ドルチッシモいやはや言葉がない。これには誰しも息を呑んで聴き入った。
チェロの「旧約聖書」たるバッハの無伴奏と、そこに淵源をもつ現代音楽をゲリンガスは好んでプログラムに並置し、最近そういう内容のCD(
→これ)を出しているが、この三曲のアンコールはそうした彼の指向性を如実に示す「早わかり」。「自分の信じるチェロとはこういうものだ」という名刺代わりのマニフェストになっているところが素晴らしい。
とりわけ最後のヴァスクスでは途中から彼自身が口を閉じたまま発するファルセットの高音(ちょっと遊牧民のホーミーみたい)が加わって、未踏の領域に踏み込むようなスリリングなひとときを味わわされた。端倪すべからざる凄い表現力。
もともとこの時期にダヴィド・ゲリンガスの来日は決まっていたらしく、東京でのマスタークラスと川崎での東京交響楽団との共演が告知されていた由。ただし世事に疎い小生はこれまた直前になって気づき、大慌てでオーケストラ事務局に電話して川崎の演奏会のチケットを二枚押さえた次第。出遅れた割に平土間の五列目ほぼ中央という願ってもない良席が取れたのは勿怪の幸いだ。
7月26日(土)15:00~
川崎、ミューザ川崎シンフォニーホール
フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2014
東京交響楽団 オープニングコンサート
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ベルリオーズ: 序曲「ローマの謝肉祭」
シューマン: チェロ協奏曲*
サン=サーンス: 交響曲 第三番**
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チェロ/ダヴィド・ゲリンガス*
オルガン/松居直美**
ユベール・スーダン指揮
東京交響楽団
(まだ書きかけ)