ジョルジュ・ブラックが舞台美術と衣裳デザインを手がけ、台本をボリス・コフノ、振付をレオニード・マシーンが担当し、アントン・ドーリンとセルジュ・リファールが重要な役を演じ踊った・・・。
と、その豪華な布陣を書き抜いただけで、いかにもバレエ・リュスらしい絢爛たる舞台が予想されようが、このバレエ《
ゼフィールとフロール Zéphyre et Flore》(1925)は今や完全に忘却の淵に沈んでしまい、復活上演はおろか、その音楽を耳にする機会すら失われた憐れむべき演目である。同時期に初演されたバレエ、例えば《
牝鹿 Les Biches》《
青列車 Le Train Bleu》(共に1924)や《
ロミオとジュリエット Roméo et Juliette》(1926)などと比較しても、このバレエは滅多に話題にもならず、その不憫な目立たなさ加減は一入である。
1925年4月28日のモンテカルロでの初演は失敗に終わった。その理由はどうやら複合的なものだったらしい、とディアギレフの評伝作者リチャード・バックルは次のように記す。
《ゼフィール》ではいろいろなことがうまくいかなかった。どうしてうまくいかなかったかは容易に想像がつく。ディアギレフの後期のバレエのいくつかに見られることだが、一つのプディングの中にあまりにも多くのプラムが入っているのだ。ロシアの貴族の私設劇場で農奴によって演じられる古典的仮面劇という当初のアイデアはどこかへ行ってしまった。ドゥケーリスキーの楽譜にかろうじて残っていた十八世紀のメロディあるいはその模倣の痕跡は、素人臭いオーケストレーション(プロコーフィエフは「まるでグラズノーフだ」と評した)によって埋もれてしまった。[...] 九女神たちは、ブラックのデザインにあった衣から発展した、濃紫や茶のざらざらしたウールでできた、醜い現代的なイヴニング・ドレスを着ていた。ブラックがデザインした簡素な風景は、オリンポスとも十八世紀とも無縁であった。可愛い花柄のタイツをはき、ボディースとつけ、小さなテュテュをはいたニキーチナと、ゆったりしたテュニックを着て騎手帽を被ったドーリンは、のびのびと優雅に踊った。一方。金ラメのパンツしか身につけていないリファールは激しく動きまわり、若々しい魅力を発散した。マシーンの振付は(写真から判断すると)、舞台用衣装をつけるよりも黒白の稽古着で踊った方が面白かったのではないかと思われるが、その一風変わった現代性は、少なくとも衣装の現代性とはマッチしていた。出演者の集合写真をみると、女神たちは、《牝鹿》にふさわしいような気取ったポーズをとっている。ディアギレフは、この作品はまだ未完成だと痛感し、パリ公演までになんとかしなければと頭をひねった。
──『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』(下)鈴木晶訳、晶文社、1984要するに船頭多くして・・・の類いだった様相だが、そもそも「古典古代神話を題材とするプーシキン時代のロシア仮面劇に仮託した当世風の新古典主義バレエ」という、一筋縄ではいかぬ凝った趣向を実現するための「核」となる表現の指向性が見つけられなかったということか。
例に拠って念のため、ギリシア神話に基づく物語の粗筋を「魅惑のコスチューム バレエ・リュス展」カタログから引こう。
このバレエはギリシアのオリンポス山が舞台である。北風の神ボレアスは、西風の神ゼフィールの妻であるフロールを誘惑しようと企んでいる。ボレアスは目隠し鬼ごっこの遊びをはじめて、夫婦二人を別れさせ、ゼフィールを離れたところに誘い出して矢で殺す。ボレアスはフロールを自分の洞窟に連れ去ると、彼女は恐怖のあまり気絶してしまう。一方、嘆き悲しむ9人のミューズがゼフィールの体をオリンポスに運び、そして彼の葬儀の行進を行った。すると彼は生き返る。ミューズたちは、フロールがもう二度とゼフィールを見失わないようにと彼女をゼフィールの手首にしっかりと結びつける。そしてボレアスは罰せられる。まあ、なんというか、さして面白味のない筋立てのバレエであるが、耳に届いたとき果たしてどう響いたか。初演から実に七十四年後(!)に登場した世界初録音を聴いてみることにしよう。
"Dukelsky: Zéphyre et Flore etc."
ヴラジーミル・ドゥケーリスキー:
ゼフュロスとフローラ (1925)
■ 序曲とムーサたちの奏楽
■ アレグロ・コーモド(序奏)──テンポ・ディ・ヴァルセとトリオ──デチーゾ──アレグロ
■ ムーサたちのディヴェルティスマン (主題と五つの変奏)、コーダ
■ コン・モート・インカルツァンド──テンポ・ディ・マルチャ──モルト・アダージョ、ポーコ・ラメントーゾ
■ フィナーレ
墓碑銘 (詞/オーシプ・マンデリシュターム、1931)*
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮
ハーグ・レジデンティ管弦楽団
ソプラノ/イルマ・アフマデーエワ*
ネーデルラント劇場合唱団*1998年11月10~12日、デン・ハーク、アントン・フィリップス楽堂
Chandos CHAN 9766 (1999)
→アルバム・カヴァー両大戦間の新古典主義の典型ともいうべきバレエ音楽。ただしストラヴィンスキーとは異なり、フランス六人組の軽妙洒脱に近い作風といえようか。一聴してロシア色は希薄だが、同時期のプロコフィエフとの相似は明らかであり、むしろその「新しい単純性」に先駆ける類いの音楽といえようか。
ヴラジーミル・ドゥケーリスキー Владимир Александрович Дукельский(1903~1969)といっても一向に通じないだろうが、米国名
ヴァーノン・デューク Vernon Duke としてだったら、両大戦間にヒット・ソングを連打した人気作曲家として今なお知らぬ者なき存在だ。
ロシア革命後の混乱を逃れ1921年に渡米したドゥケーリスキーはガーシュウィンに私淑し、ブロードウェイのショーのために書いた「
パリの四月 April in Paris」(1932)、「
ニューヨークの秋 Autumn in New York」(1934)、「
言い出しかねて I Can't Get Started」(1936)はスタンダード・ナンバーとして広く愛唱されている。ドーン・アップショーによる歌曲集(
→これ)でそれらの尽きせぬ魅力を知ったクラシカル愛好家も少なくなかろう。
すでにティン・パン・アリー=ブロードウェイでのキャリアを歩み始めたデューク=ドゥケーリスキーの才能に着目し、むしろクラシカル音楽の分野でこそ真価を発揮させるべきだと強く説いたのは、パリ時代の友人であるプロコフィエフである。ドゥケーリスキーは亡命前にキエフでグリエールに学んでおり、プロコフィエフからみると同門の後輩という関係でもあり、何かと慕ってくるこの有望な若者をどうにかパリ楽壇にデビューさせたいと希ったのだろう。
その推挽もあってドゥケーリスキーはストラヴィンスキー、プロコフィエフに続く「ロシアからの第三の新星」として、晴れてディアギレフのバレエ・リュスの新作の作曲を任された。それが《ゼフュロスとフローラ》だったのである。
而してその首尾はといえば、旋律発明家としての才能は随所に光っているものの、全体を統御するドゥケーリスキーならではの個性が脆弱であり、バレエ音楽としての躍動する魅惑を欠くのは否めない。管弦楽の書法には当時のプロコフィエフからの感化が明らかだが、変化に乏しくて平板。
それでもプロコフィエフはこのバレエを高く評価しており、雑誌に寄せた評論で「この(1925年春)シーズンで最も興味深いもの」「見事に書かれており、たいそう美しい素材に満ちている」と絶賛した由(当アルバム所収、ナターリヤ・サフキナ女史のライナーに拠る)。もっともバレエそのものに対しては手放しの称讃ではなかったらしく、パリ初演(1925年6月15日)当日のプロコフィエフ日記を繙くなら、
[ストラヴィンスキーの《プルチネッラ》に] 続く《ゼフィール》には些か失望。オーケストレーションに生気を欠き、あちこち不器用で、ピアノで弾いたときほど効果的に響かない。ブラックの舞台装置にはしまりがなく、コフノの台本も不出来。唯ひとつ、フィナーレでニンフたちが仰向けになってボレアスの周囲を囲み、彼を引き寄せようと促す場面だけは、観客から大受けしていたが。成功は生温いものだった。ドゥケーリスキーも一度は舞台に上がったものの、その顔つきには不安の色が窺えた。結論を云うならば、上演はむしろ失敗だった。ただし、バレエのオーケストレーションは手直しできるし、装置もやり直せばいい。純粋に音楽としては、このシーズンで最も注目すべき成果なのだから。とのことだ。バレエとしては欠陥だらけだが、音楽そのものは上出来だ、と。そのあたりの当否を実際に耳で確かめることができる点で、ロジェストヴェンスキー指揮によるこの世界初録音は値千金なのである。バレエ・リュスに惹かれた者ならば一度は耳にすべきディスクといえよう。
この度の「魅惑のコスチューム バレエ・リュス展」での《ゼフィールとフロール》の展示は甚だ断片的である。オーストラリア国立美術館はこのバレエの衣裳と呼べるほどのものは所蔵しておらず、展観されるのは片々たる被り物や切れ端のようなスカートに過ぎないからだ(
→これら)。早い話、まるきり印象に残らない。
小生は数年前ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館の「ディアギレフとバレエ・リュスの黄金時代」展で、同館が所蔵するフローラの衣裳(
→これ)を間近に実見したことがあり、これを着用したニキーチナの写真(
→これ)や、ボレアスに扮したリファールの写真(
→これ、
→これ)、辛うじて残された舞台写真(
→これ)で、僅かに往時を偲んでいる。失われたバレエを思い描くのは至難の業なのである。