昨夜からの雨が降りやまない。厄介だが雨傘を携えての上京だ。朝九時に家を出てJRと地下鉄を乗り継いで本郷三丁目に。こんな天候だが今日に限ってはむしろ好都合といえなくもない。なにしろ朝からこんな演奏会がある。
カフコンス 第百九回
雨の日のカフェ
~カフェコンセールの歌姫 vol. 6
2014年6月22日(日) 午前11時~11時50分
本郷五丁目、金魚坂
*
アレクサンデル・タンスマン:
雨の日 Rainy Day (1946)*
クルト・ワイル:
雨が降る Es regnet (1933)
別れの手紙 Der Abschiedsbrief (1933)
アレクサンドル・フォン・ツェムリンスキー:
太陽横丁にて In der Sonnengasse (1901)
ボンバルディル氏 Herr Bombardil (1901)
セシル・シャミナード:
宝石箱 Écrin (1902)
隣人 Voisinage (1888)
上機嫌 Bonne humeur (1903)
アレクサンデル・タンスマン:
ブルーズ形式の前奏曲 第一 Prélude en forme de blues No. 1 (1938)*
ベンジャミン・ブリテン:
キャバレー・ソングズ Cabaret Songs (1937/39)
■ 愛の真実を教えて Tell me the truth about love
■ 葬儀のブルーズ Funeral blues
■ ジョニー Johnny
■ カリプソ Calypso
[アンコール]
アレクサンデル・タンスマン:
キャバレー Cabaret (1934)
*
ソプラノ/渡辺有里香
ピアノ/川北祥子 (*=独奏)
世紀末のカフェ・コンセールや20世紀前半のキャバレー(カバレット)で唄われたシャンソンやブレットルリーダーの類を拾い出した特集「カフェコンセールの歌姫」も2006年に始まって早六回目。このサロン・コンサート「カフコンス Cafconc」の名称の由来を明かすシリーズであるとともに、芸術歌曲と流行歌の狭間で忘れられがちな珠玉の小歌曲を生で聴ける得がたい機会でもある。
今回はこの梅雨空に因んで、コクトーの独逸語詞にワイルが作曲した「雨が降る」を皮切りに、ドイツ、オーストリア、フランス、イギリス、そしてポーランドの作曲家が書き残した小粋な歌ばかり集められている。旨い具合に窓の外は雨。この催しにはまさに打ってつけの朝である。
ワイルや
ブリテンのキャバレー・ソングはこれまでにディスクでは親炙してきたものの、生で聴く機会は滅多になく、ワイルの二曲は間違いなく初体験だ。フォン・オッターが唄ったCDで
シャミナードのサロン歌曲三曲は恐らく耳にしている筈だが、実質的には初体験に近く、
ツェムリンスキーの二曲に至っては存在すら知らなかった。こういう秘曲を丹念に捜しだし、サロン・コンサートの形に仕立て上げる「カフコンス」主宰者の創意工夫にはいつもながら敬服させられる。こんなにセンスのよい洒落た演奏会、世界中を探したって見つからないだろう。
出自も時代も傾向もそれぞれ異なるソング群を無理なく繋げるべく、冒頭と中途に
タンスマンの瀟洒でジャジーなピアノ小品を配した選曲もなかなかに秀逸。最初の曲が「雨の日」と題されるのも今日の陽気にピッタリだ。しかもアンコールに同じタンスマンのブルージーな珠玉作「キャバレー」が唄われる心遣いも床しい。
渡辺さんの歌唱は正統的な発声で、時にオペラティックですらあり、曲によっては些か生真面目すぎるきらいはあるが、そのため却って虚飾を排した音楽の素顔が露わになった感もあって愉しめた。川北さんのピアノはいつもながら勘所を心得た巧みなもの。往時の酒場やカフェの仄暗い雰囲気までも彷彿とさせる。
予定どおり正午少し前に終了。小雨はまだ降り続いている。早足で本郷三丁目まで取って返し、地下鉄を乗り継いで京橋へ移動。地上へ出たところで家人とバッタリ鉢合わせ(これも予定どおりだ)。まずは裏通りの老舗「美々卯」で軽く昼食。連れの頼んだ「きつねうどんセット」(かやくご飯とデザートが附く)も旨そうだが、小生は饂飩の「もり」と季節物の「新生姜ご飯」を組み合わせて註文。どちらもそれなりに分量があり、味のほうもまずまずだった。生姜が馨り高い。
腹がくちくなったところで近傍のフィルムセンターへ移動。すでに三十名ほど並んでいる入場待ちの列に加わる。開演は十四時。
例年この季節に催される「EUフィルムデーズ」、欧州連合加盟国から一国一本ずつ選ばれた新作が五百円ちょっとという廉価で観られる難有い催しであり、東欧・北欧・バルト諸国のフィルムまで上映される得がたい機会なのだが、今年はついつい出遅れてしまい、今日がその最終日。家人が「面白そうなので是非」と推奨するオランダ映画《君がくれた翼 Kauwboy》を観に訪れた次第。
父子家庭で不遇な環境に置かれた少年がふとしたことから鴉との愛情を育むという話である。監督の
バウデウェイン・コーレ Boudewijn Koole は1965年の生まれ、デルフト大学で工業デザインを学び、ドキュメンタリー畑を中心に活躍する人らしい。子供や若者を題材とする作品を得意とし、本作でもまだ幼さの残る十歳児の表情や仕草のなかに、鬱屈した日常から抜け出ようとする希求を痛切に描き出す。一時間半に満たぬ中篇ながら、スリリングな緊張感に貫かれた瑞々しいフィルム。2012年のベルリン映画祭で高評価を得たのも宜なるかな。
チラシによれば今年のEUフィルムデーズではアイルランドからグレン・クローズ主演の《アルバート氏の人生》やら、イタリアからタヴィアーニ兄弟の新作《塀の中のジュリアス・シーザー》やら、いろいろ話題作も散見されたのだが、すべて見逃してしまったのは返す返すも残念なことだ。
表に出たら雨はすっかり上がっていたので、連れの買物に付き合って日本橋の高島屋へ。好みの雨傘がやっと手に入って至極ご満悦の家人とともに裏通りをゆっくり東京駅まで歩いてから帰途に就いた。