早起きして家人と近所を散策──のつもりが日向はもう堪らない暑さで汗が滲む。なるべく木蔭や建物の西側を選んで歩く。七時半に帰宅してラジコを点けると、「バラカン・モーニング」で不意にモリー・ドレイクの可憐な歌声が流れてきて癒される("Fine Summer Morning")。暫くしたら矢野顕子の歌う「恋は桃色」も!
一昨日・昨日と外出が続いた。行き先は同じ六本木、苦手な国立新美術館である。ここで昨日から「
魅惑のコスチューム: バレエ・リュス展」が始まった。小生は全くの部外者だった筈が、カタログに僅かばかり資料を提供した誼みで一昨日のオープニングに招かれ、昨日は講演会を聴きに出向いたのだ。
同展はキャンベラの
オーストラリア国立美術館が所蔵する厖大なバレエ・リュス舞台衣裳コレクションから選りすぐりの逸品を展観するものだ。このコレクションの素晴らしさについては昔からいろいろな機会に聞かされていた。
2002年秋たまたまポロック作品を貸し出す用事でここを訪れた際、応対してくれた学芸員にその由来を尋ねたところ、「
戦前オーストラリアではバレエ・リュスの後継団体が何度か引っ越し公演を催しており、それがこの国に本格的なバレエを根付かせる端緒となったところから、開館当初からディアギレフのバレエ・リュスの舞台衣裳を熱心に蒐集している」と懇切に教えられた。その際に美術館の売店で "The Ballets Russes in Australia: An Avalanche of Dancing"(1999)という重宝なヴィデオも手に入れ、彼らがどんなにバレエ・リュスの記憶を大切にしているかを痛感させられた次第である。
同館では過去に何度かコレクションを用いたバレエ・リュス展を催しており、その最近にして最大の展観 "Ballets Russes: The Art of Costume"(2010)こそが実は今回の東京展の元になっている。カタログを比較してみると、判型は日本版がやや小さいものの、両者はほぼ同一内容といってよさそうだ。
会場に入ると、広い展示室は壁を黒(正確には濃い紫)く塗られ、マネキンに着せられたバレエ衣裳が演目ごとに佇んでいる。最小限に絞られた淡い照明のなか、あちこちに島のごとく点在する衣裳をゆっくり時間をかけて眺めていく。
ディアギレフのバレエ・リュスは二十年間で約七十ほどの新作を世に送り出しているのだが、この会場では初演の年代順にそのうちの二十七演目の衣裳を観ることができ、1929年の解散後に後継団体が手がけた数演目も含め、全三十三演目を辿りながらバレエ・リュスの歴史の全容がつぶさに辿られている。それぞれの衣裳マネキンの近くには、関連するデザイン画や舞台写真、美麗なプログラム冊子なども掲げられているが、展示の主役はあくまでも衣裳の現物であり、それらを通してこのバレエ団の壮大な営みを偲ぶのが本展の目的である。
過去に観た同種の展示(1998年セゾン美術館でやった「
ディアギレフのバレエ・リュス」展や、2010年暮にロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で遭遇した「
ディアギレフとバレエ・リュスの黄金時代」展
→レヴュー1、
→レヴュー2)でも少なからぬ数のバレエ衣裳の現物展示(後者では七十点ほど出展)を観る機会があったが、今回のように衣裳のみに特化した展覧会は初めてである。
潤沢なコレクションを擁するオーストラリア国立美術館ならではの企てといえようが、それだけに鑑賞者側に相応の予備知識と想像力が必要とされよう。なにしろ、眼前にあるのは暗闇のなかに佇む衣裳マネキンばかりで、絢爛たる舞台装置も豪奢な管弦楽も、そしてなによりも、それらの衣裳を纏って舞い踊った肉体が存在しないのであるから、消え去ったバレエ・リュスの全体像──総合芸術のありか──を脳裏に思い浮かべるには相応の努力が必要である。ここにあるのは云わばバレエ・リュスの「抜け殻」、その夢の破片に過ぎないのだから。
見どころは山ほどある。拙レヴューでは到底そのすべてを紹介できないのが残念だが、冒頭まず1909年のバレエ・リュスの第一回パリ公演の最初の演目である《
アルミードの館》の豪奢な衣裳三点に目を奪われる(意匠/アレクサンドル・ベヌア
→これ、
→これ)。いずれも本筋とは絡まない脇役の衣裳ながら、仏蘭西ルイ王朝を彷彿とさせる優美なロココ趣味に驚く。バレエ・リュスといえば異国情緒たっぷりのオリエンタリズムと思われがちだが、パリの聴衆がまず目にしたのは、ほかでもない自国における栄光ある過去の贅を尽くした再現だったのだ。
そのすぐ傍らには、同じく第一回パリ公演で観衆の耳目をたちどころに惹きつけた勇壮な《
ポロヴェツ人の踊り》から、群舞を踊った「戦士」と「少女」の衣裳が一点ずつ(意匠/ニコライ・リョーリフ
→これ)。ただし、この人気演目はその後も永くバレエ・リュスのレパートリーとして残り、ディアギレフ歿後も後継団体の手で繰り返し上演されたから、現存する二点の衣裳がどの程度まで1909年の初演当初の俤を留めているかは議論の余地があろう。
ともあれ、この「始まりのバレエ・リュス」から、それぞれ全く対照的な二演目の衣裳がまず鎮座しているのは、展覧会の導入部としてこのうえなく効果的であろう。
最初のセクションでは1910年に披露された《
シュエラザード》の絢爛たる極彩色の衣裳群(意匠/レオン・バクスト
→これ、
→これ)にも眩惑を禁じ得ないが、バレエ史的にことさら重要なのは1911年と12年のパリ公演でそれぞれ初演された《
ペトルーシュカ》(意匠/アレクサンドル・ベヌア
→これ)と《
青い神》(意匠/レオン・バクスト
→これ)とで主役を演じたニジンスキー自らが着用した衣裳であろう。前者は余りにも保存状態がよいため却って「本当に当初の衣裳なのか?」と疑念が湧くが、後者には「青い神」に扮したニジンスキーが体に塗った青い顔料が裏地に染みついているそうで(
→これ)、紛れもなく正真正銘の現物だろう。
そのニジンスキーが1912年に振付まで手がけた《
牧神の午後》の七人のニンフのうち三人分(
→これ)や、同年の大作《
ダフニスとクロエ》の海賊たち(
→これ)の衣裳からは、バクストが到達した考古学的なギリシア趣味のなんたるかが実感されようし、1914年にナターリヤ・ゴンチャローワが初めて担当したオペラ=バレエ《
金鶏》のカラフルで大胆な意匠(
→これ、
→デザイン原画)の素晴らしさは百年後の今なお目の醒めるような新しさを放つ。ディアギレフのバレエ・リュスが世紀末の異国趣味から新世紀のモダン・アートへと舵を切った決定的瞬間の証である。
・・・とまあ、バレエ・リュス史の最初の数年間で見どころがこれだけ頻出する。この調子だとキリがないので、あとは数点だけで我慢するなら、
1919年 《
風変わりな店》のプードル犬(意匠/アンドレ・ドラン
→これ)
1920年 《
夜啼鶯》の中国宮廷衣裳(意匠/アンリ・マティス
→これ、
→これ)
1921年 《
道化師》の奇怪な人物(意匠/ミハイル・ラリオーノフ
→これ、
→これ)
1927年 《
鋼鉄の歩み》の女性労働者(意匠/ゲオルギー・ヤクーロフ
→これ)
1928年 《
頌歌》の「星座」(意匠/パーヴェル・チェリチェフ
→これ)
あたりだろうか。いずれ劣らず瞠目すべき驚異の衣裳デザインであり、とりわけ晩年の作風を先取りするような簡素なマティス、着心地が悪く踊りにくいとダンサーたちから総スカンを喰ったという奇想天外なラリオーノフ、ボリシェヴィキとアール・デコが融合した清新なヤクーロフには息を呑み言葉を失う。
実のところオーストラリア国立美術館のバレエ・リュス衣裳コレクションには欠陥もある。同館が1973年にサザビーズのオークションで最初の衣裳群を落札した時点で、英国の演劇博物館(ヴィクトリア&アルバート美術館の舞台芸術部門)や米国のウォズワース・アシニーアムはすでに注目すべきコレクションを形成しつつあり、キャンベラの美術館はそれらの後塵を拝する形となった。同館には例えば《薔薇の精》《春の祭典》《パラード》といった「決定的な」演目の衣裳がコレクションされておらず、その他の重要バレエでも脇役やその他大勢のダンサーの衣裳しか所蔵していないという例が少なからず目につく。
その反面、《
蝶々》《
チマロジアーナ(女の奸計)》《
女羊飼いの誘惑》といった忘れられた演目にまで目配りを怠らず、稀少なアイテムの蒐集に努力を惜しまない。そうした一例が1911年に初演され、1916年の米国巡業の際に衣裳を一新した《
サトコ(海底の王国)》だろう。ゴンチャローワが新たに手がけた「タツノオトシゴ」(
→これ)や「烏賊」(
→これ)の創意に富んだ斬新奇抜なデザインを実見すると、従来われわれが研究書で目にしていた衣裳類はバレエ・リュスの広範なレパートリーのうちのごく僅かに過ぎないのだと思い知らされる。
更に同館はディアギレフ歿後の後継団体である
バレエ・リュス・ド・モンテカルロや
バジル大佐のバレエ・リュスの遺した遺産にも幅広く目を向け、その舞台衣裳にまで蒐集の手を広げている。本展でも(ピカソではなく)ジョルジョ・デ・キリコのデザインになる《
プルチネッラ》(
→これ)や、アンドレ・マッソンが手がけた超モダンな《
予兆》(
→これ、
→これ)といった珍しい演目の衣裳が展示され、最後のセクションに有終の美さながら、錦上花を添えている。
終わりに本展のカタログについて。頒価三千五百円也と些か値が嵩むが、充分それに見合った秀逸な内容であることは保証しよう。
先述のとおり、キャンベラでの展覧会カタログを丸ごと邦訳したものなので、元版に収められた論考(バレエ・リュス史を巧みに要約した概説、その特質を古典回帰・アヴァンギャルドの二面から考察した各論二本、それにオーストラリアでのバレエ・リュス受容史、修復家からみたバレエ・リュスの衣裳──の四本)の充実ぶりがそのまま反映した形である。邦訳は概して読み易く、日本語の読み物として楽しめる水準に達しているが、固有名詞の誤読や表記不統一が目につき、校閲が不徹底な憾みが残る。なお、元版にあったオーストラリアでの受容史は日本版では丸ごと省かれており、代わりに担当学芸員の本橋弥生さんのオリジナル論考「
日本におけるバレエ・リュスの受容──1910-20年代を中心に」が収録されているのは、いわばこの美術館の意地の見せ所といえよう。
その本橋論文を時間をかけて味読してみたが、これまでになされた先行研究を誠実に咀嚼し、新出資料も追加して、バレエ・リュスと日本人との交流史を時系列で手際よく整理した記述は称讃に値する。セゾン美術館での展覧会カタログでこの分野の勉強に手を染め孤軍奮闘してきた小生としては、爾来十六年にしてやっと後続の研究者が現れたことに、肩の荷が少し軽くなってホッと安堵している。