ついつい数日が経過してしまったが、先週末に出向いた演奏会のことを書こう。すぐ感想をしたためなかったのに確たる理由はないが、しばらく寝かせて記憶を醸成させるのも一興ではないかと考えた。暑さにへばっていたせいもある。
土曜日もまるで真夏日のようによく晴れて暑い一日だった。家人に拠ればこういう梅雨の中休みこそが本来の「皐月晴れ」というのだそうな。なるほど旧暦だとそういう理屈になりそうだ。
かねてからの予定どおり早稲田に出向いて、馴染の「キッチンオトボケ」で遅い昼食、ミックスフライ定食を平らげたあと大学構内へ。敷地の片隅にある十六号館の教室で三時から「桑野塾」の勉強会。セルゲイ・トレチャコフが中国に取材した芝居《吼えろ支那!》(1926)にまつわるレクチャーというので出向いたのだが、話題が雑然と散らかってばかりで得るところ甚だ尠し。
早めに中座して六本木へ移動。サントリーホールの切符売り場で当日券を所望した。先日たまたまCDで聴いた女性歌手サーシャ・クックが初来日すると知り、なんとなく蟲が知らせたのだ、これは是非とも足を運ぶべし、と。
東京交響楽団 第621回定期演奏会
2014年6月14日(土)午後六時~
サントリーホール
指揮/ジョナサン・ノット
メゾソプラノ/サーシャ・クック
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ブーレーズ: ノタシオン Ⅰ、Ⅳ、Ⅲ、Ⅱ
ベルリオーズ: 夏の夜
シューベルト: 交響曲 第七番(大交響曲)
このオーケストラを聴くのは久しぶりだ。当夜のジョナサン・ノットはつい先般その音楽監督に就任したばかりだという。もともと独唱者にジェニファー・ラーモアが予定されたが(曲目は当初から「夏の夜」)、かなり直前になって急病とかで代役としてサーシャ・クックが立てられた。たまたま彼女のHPで登場を知って駆けつけたわりに前から三列目の良席をあてがわれたのは僥倖である。
ケンブリッジとマンチェスターで学んだ生粋の英国人ながら、この指揮者には鵺のように正体不明なところがある。ドイツの地方歌劇場で修業したあと、2000年からパリのアンサンブル・アンテルコンテンポランとバンベルク交響楽団──およそ対照的な二楽団の首席指揮者を併任した。これまで自国でポストに就いたことは一切なく、英国音楽は殆ど振らないという変わり種。奇妙に一貫性を欠いてみえる当夜の演目も、先鋭な現代音楽と伝統的なドイツ古典を並行して振るノットなりの「自画像」と考えると得心がいく。
冒頭いきなり巨大な編成によるブーレーズで度肝を抜かれる。生で聴くのは無論これが初めてだが、ノットの統率はなかなか行き届いていて、繊細から激越へ、沈潜から炸裂へと目まぐるしく変転する難解なスコアを事も無げに、むしろ「愉しい音楽」であるかのように提出する。これはなかなかの聴きものだが、不思議なことにオーケストラは古風な両翼配置である。現代音楽の実演でヴァイオリンが左右に分かれているのはちょっと珍しいのではないか。ともあれ、最初のブーレーズでこちらの耳が一気に覚醒させられたのは、そのあとの演目を冷静に聴くうえで大いに助けになった。一種のショック療法のようなものか。
お目当てのサーシャ・クック嬢は急場の代役にも係わらず、ベルリオーズの「夏の夜」で大過なく日本デビューを果たした。冒頭ちょっと緊張気味に声がふらついたものの、すぐに調子を摑んで余裕たっぷり艶やかな美声を披露した。それもそのはず、彼女は2008/09年のシーズンにセント・ルークス管弦楽団との共演でNYのアリス・タリー・ホールでこの歌曲集を取り上げ、次シーズンにはマイケル・ティルソン・トマスの指揮するサンフランシスコ交響楽団ともこの曲で共演している。2010年には同オーケストラに随伴してルツェルン音楽祭に参加して、やはり「夏の夜」を歌った由(以上は所属事務所IMGのバイオより)。
どうやらベルリオーズの歌曲集は彼女にとっても名刺代わり、自家薬籠中の演目らしい。道理で詞の意味を隅々まで咀嚼した、確信に満ちた歌いっぷりだ。ときにオペラのアリアでもあるかのように表情豊かに、馥郁たる情緒を漲らせる。フランス語のディクションがほんの少しアメリカンで自己流なのは、まあご愛嬌か。
さてベルリオーズでは控え目な伴奏に徹していたノット&東響だったが、休憩を挟んで後半のシューベルトでいよいよ本領を発揮した。大半の聴衆はこれを楽しみに足を運んだのだろう。
この作曲家が苦手で忌避しがちな小生だが、どういう巡り合わせからか、この「大交響曲」では忘れがたい実演に接する機会が幾度かあり(旅先のペテルブルグで遭遇したパーヴォ・ベリルンド&ペテルブルグ・フィル、東京で聴いたフランス・ブリュッヘン&新日フィル)、案外この曲が好きなのかもしれないと思い始めている。当夜の演奏もまた、そうした印象を裏書きするものだった。
冒頭のホルンの柔らかな音色にまず「ほう!」と溜息。そのあとは速めのテンポで淀みなく、しかも細部まで練り上げられた入念な演奏を心行くまで堪能。
当夜の両翼配置もこの曲では最大限に奏功し、第一・第二ヴァイオリンが掛け合いをする部分(とりわけ第三楽章)が際立った効果を挙げていた。どちらかといえば小味な「ザ・グレイト」ながら、随所に繊細な心遣いが感じられ、いつもなら「長たらしいなあ」と辟易する繰り返し箇所も苦にならず、最後まで退屈や停滞と無縁、一気呵成に聴かせた。端倪すべからざるジョナサン・ノット!
終わってみると、ブーレーズ⇒ベルリオーズ⇒シューベルトという展開が唐突でも水と油でもなく、必然の流れだったように思えてくるから不思議である。機会があったらまたこの指揮者を聴いてみたい。