早起きして上京し、「浜離宮」か「芝離宮」あたりを散策する予定だったのだが、うっかり寝坊してしまった。目覚めると外は抜けるような青空、中天には遠く入道雲も湧き上がり、梅雨の中休みなのに真夏さながらの陽気である。少し出遅れたが珈琲を飲み干すと家人に急かされるように外出、ただし目指す場所はぐっと近く千葉市内の公園に変更した。
駅前から路線バスに揺られること四十余分。鬱蒼たる林と清流にひっそり寄り添う隠れ里のような一郭にその公園はひっそり佇んでいた。さしたる目的もなく木立の間をそぞろ歩く。樹木の緑が眩く照り映えて目に痛いほどだ。池の睡蓮がそこここで白い花を咲かせている。鶯が鳴き交わす聲がどこからか聞こえる。
森林浴といえば聞こえがいいが、今日の陽射しは余りに強すぎ、日向は帽子なしにはとても歩けない。小一時間ほど園内を周遊したが、途中で誰とも出くわさなかったのは、偏えにこの暑さのせいだろう。喉を潤そうにも茶店も売店も見当たらず、仕方ないので自販機のジュースで渇を癒やす。
それでも戸外の散策に心身共リフレッシュされて家路に就く。帰宅は四時半。
さすがに草臥れたので腹這いになって手近なディスクを聴く。
"Lorraine Hunt Lieberson/ Berlioz: Les Nuits d'été - Handel: Arias"
ベルリオーズ:
夏の夜*
■ ヴィラネル
■ 薔薇の精
■ 入江の畔
■ 君なくて
■ 墓地にて
■ 未知の島
ヘンデル:
歌劇アリア集**
"Figlio non è... L'angue offeso mai riposa" ~《ジューリオ・チェーザレ》
"Ben a raggion... Vieni, o figlio, e mi consola" ~《オットーネ》
"Mirami altero in volto" ~《アリアンナ》
"La giustizia ha già sull'arco" ~《ジューリオ・チェーザレ》
"Ombra cara di mia sposa" ~《ラダミスト》
"Ogni vento, ch'al porto lo spinga" ~《アグリッピーナ》
"Quel nave smarrita" ~《ラダミスト》
メゾソプラノ/ロレイン・ハント・リーバーソン
ニコラス・マクギーガン指揮
フィルハーモニア・バロック管弦楽団1991年10月19日**、1995年11月11、12日*、
カリフォルニア州バークリー、ファースト・コングリゲイショナル・チャーチ(実況)
Philharmonia Baroque Productions PBP-01 (2011)
→アルバム・カヴァーロレイン・ハントは2006年、その活動の絶頂期に五十二歳という若さで病歿した。そのキャリアのかなり早い時期に彼女は一度だけ来日し、モンテヴェルディの《ウリッセの帰還》でミネルヴァに扮して舞台姿を披露したそうだが(1992年の「東京の夏」音楽祭)、当時まだモンテヴェルディのオペラに目覚めていなかった小生は、この千載一遇の機会を逃してしまったのは痛恨の極みである。
二十年余の短いキャリアで彼女が最も意欲的に取り組んだのはヘンデルを中心とするバロック期のオペラやオラトリオだった。この分野では幸いかなりの録音・録画が残されたものの、他のジャンルではスタジオ収録が殆どなされずに終わったのは惜しまれて余りある。奇しくも同じ病魔に斃れたキャスリーン・フェリアの場合と同様、その早すぎる死を惜しんでリサイタル音源の発掘が相次いでいるのは、失われた富を少しでも取り戻そうとする涙ぐましい努力の賜物といえよう。
加州バークリーでの未発表ライヴ録音を精選した当アルバムでは、なによりまずベルリオーズの歌曲集「夏の夜」が聴けるのが嬉しい。メゾソプラノの美質たる翳りを帯びた情感に加え、凛とした気品を併せ持ったロレイン・ハントにうってつけの音楽だし、恐らくマーラーの「リュッケルト歌曲集」などと共に、彼女自身もいずれ正規録音を志していたに違いないからだ。
ここで伴奏しているマクギーガンとその手兵の楽団は、1989年から1995年にかけてヘンデルやバッハを中心に彼女と三十回も共演を重ねたほど親密な間柄(録音も少なからず残されている)だったというが、ベルリオーズでの共演はきわめて珍しいものだ。ライナーノーツでマクギーガン自身がこう述懐する。
彼女と私たちとの最後の共演は、彼女にとって恐らく最も異例なものとなった──ベルリオーズの「夏の夜」全曲を歌ったのだ。当オーケストラがかくも時代の下った音楽を奏するのは初めてであり、私たちは少しばかり冒険を試みたのである。だがロレインはここでも本領を発揮し、その成果はわが人生における最も素晴らしい音楽体験のひとつとなった。
そのとおりの歌唱である。ロレイン・ハントならではの深く瞑想的な「夏の夜」。もしも彼女が(例えばレヴァインや小澤と)正規盤を残せていたら陽の目をみなかった録音だが、控え目にそっと寄り添うマクギーガンの伴奏指揮にも掬すべき味わいがある。鍾愛の曲の知られざる演奏として永く愛聴することになりそうだ。