昨日は一週間ぶりに上京、銀座一丁目で地上へ出ると、薄日が照りつけて蒸し暑い。雨上がりの路面から蒸散した温気がそこらじゅうに充満している感じだ。十一時半。昼食を摂るのなら今のうちとばかり、並木通りをそぞろ歩いて物色すると、かつて邦画の名画座「並木座」があった二丁目の界隈で「大衆割烹 三州屋」の立看板と出くわした。誘われるように細い路地を入り暖簾をくぐると、狭い店はもう先客でほぼ満員、辛うじてカウンターにひとつだけ空席を見つけて坐る。
この店に入ったのは何年ぶりだろうか、もう思い出せぬほど久しぶりの来訪だ。白板に手書きされたメニューから「
銀むつの煮付け」定食を註文。煮汁が思いのほか薄味だが、ほろほろした身はたいそう旨い。副菜に当店の名物「
とり豆腐」が附くのも良心的だ。食べている間にも続々と来客が途切れない。銀座らしからぬ鄙びた居酒屋=定食屋が昔ながら繁盛しているのは慶賀なことだ。
満腹になって表へ出たら汗が噴き出した。もう初夏の陽気である。ハンケチで額を拭いながら裏通りをしばらく歩いて四丁目の「教文館ビル」へ。エレヴェーターで最上階「ウェンライトホール」に上り、「
絵本は子どもたちへの伝言──島多代の本棚から」を拝見。実を云えば4月23日の会期初日にもざっと一瞥したのだが、その折には展示が仕上がっておらず、肝腎のロシア絵本セクションが観られなかったのである。再訪せねばならぬと思いつつ、ついつい最終日になってしまった。云う迄もなく島多代さんは戦前のロシア絵本(彼女の呼称では「ソビエトの絵本」)の収集・研究・紹介における先駆者として世界に遍く知られている。
島さんは国際児童図書評議会(IBBY)会長を務めるなど児童書を介した国際交流に尽力される傍ら、ご自宅に児童書の私設図書室「ミュゼ・イマジネール」を開設し、必要に応じ研究者の閲覧に供している。
小生も「幻のロシア絵本 1920-30年代」展で、他ではどうしても見つからない飛び切りの稀覯絵本を四冊だけ拝借させていただき、巡回先の東京都庭園美術館では彼女に講演までお願いした。今からきっかり十年前のことだ。そのときお借りしたうちの二冊(マヤコフスキー&ポクロフスキー『
海と灯台についての私の本』、ハルムス&エルモラーエワ『
イワン・イワヌイチ・サモワール』)が、今回の展示でもさり気なく壁に掲げられているのをみて、思わず懐かしさがこみ上げた。
今回の展示は三千冊に及ぶという「ミュゼ・イマジネール」のコレクションから百三十七冊を精選したものという。黎明期のビューイックの絵入り本からクレイン、コールデコット、グリーナウェイへと連なる黄金期の英国絵本、ド・モンヴェル、エレ、ルグランに代表される瀟洒なフランス絵本、全欧に及ぶ世紀末ジャポニスムの影響を検証するセクション(W・ニコルソンやビリービンなど)、20世紀に入って独自の展開をみせる米国絵本(J・W・スミス、ピーターシャム夫妻、ドーレア夫妻など。この国に学び絵本史を会得された島さんが特に力を注いだ蒐集分野である)、「
未来の社会の担い手である子どもたちのために作り上げた総合芸術作品」としてのロシア絵本、独自の民族色を湛えたチェコ絵本・・・といった具合に20世紀前半を中心に欧米各地の絵本を幅広く包含し展望する。
絵本史上に燦然と輝く傑作ばかりでなく、知られざる珠玉のような絵本も丹念に拾い出され、島さんのかねてからの持論である「イメージの伝承」という独自の視点に沿って区分けされ配列された構成は、小生のような「好き嫌い」で身勝手に蒐集するだけの好事家に多くの啓示を齎し反省を促すものだ。
ただし、今回の特設会場は作品数に比してあまりにも狭く、この手の書籍展示の通弊なのだが、どの絵本も表紙か見開きを平らに置かれるばかりで、陳列ケース内にひっそり収まったまま、三次元の立体作品として立ち上がってこない憾みが残る。まあ、これは望蜀の嘆の類いなのだろうが、今回の出品作品をふんだんな図版で紹介する画集が出版できたなら、どんなに素晴らしいことか。
半時間ほど会場を行きつ戻りつしたあと階段で六階の書店「ナルニア国」へ。ここの平台で『
石井桃子のことば』(新潮社とんぼの本、2014)という新刊書を見つけた。標題どおり彼女の言葉でその生涯と業績を辿った内容だ。特に目新しい情報は盛り込まれていないようだが、彼女の全著作・全翻訳がカラー書影入りで一覧されているのは頗る重宝である。
そのあとは裏道伝いに京橋まで歩き「INAX」ならぬ「LIXILブックギャラリー」に立ち寄る。昨春ここの画廊であった展覧会の冊子『
中谷宇吉郎の森羅万象帖』を手に取った。写真満載の愉しい本なので帰路の車中の供に最適だろうと考えて。
帰宅は二時半。蒸し暑さのせいなのか少し疲れて午睡を愉しんだ。