ゴードン・ウィリス Gordon Willis は永く魔法の名前であり続けた。目を瞠るような映画で研ぎ澄まされた映像に心を奪われ、誰が撮影監督だろうか? とタイトルロールに目を凝らすと、そこに決まって彼の名があった。例えばこんなふうだ。
真夜中の青春 ハル・アシュビー監督 1970
コールガール [クルート] アラン・J・パクラ監督 1971
ゴッドファーザー フランシス・フォード・コッポラ監督 1972
夕陽の群盗 [バッド・カンパニー] ロバート・ベントン監督 1972
ペーパー・チェイス ジェイムズ・ブリッジズ監督 1973
ゴッドファーザー PARTⅡ フランシス・フォード・コッポラ監督 1974
パララックス・ビュー アラン・J・パクラ監督 1974
新・動く標的 スチュアート・ローゼンバーグ監督 1975
大統領の陰謀 アラン・J・パクラ監督 1976
アニー・ホール ウディ・アレン監督 1977
インテリア ウディ・アレン監督 1978
マンハッタン ウディ・アレン監督 1979
スターダスト・メモリー ウディ・アレン監督 1980
ペニーズ・フロム・ヘヴン ハーバート・ロス監督 1980
サマー・ナイト ウディ・アレン監督 1982
カメレオン・マン [ゼリッグ] ウディ・アレン監督 1983
ブロードウェイのダニー・ローズ ウディ・アレン監督 1984
カイロの紫のバラ ウディ・アレン監督 1985
パーフェクト ジェイムズ・ブリッジズ監督 1985
再会の街/ブライトライツ・ビッグシティ ジェイムズ・ブリッジズ監督 1988
推定無罪 アラン・J・パクラ監督 1990
ゴッドファーザー PARTⅢ フランシス・フォード・コッポラ監督 1990
冷たい月を抱く女 ハロルド・ベッカー監督 1993
デビル アラン・J・パクラ監督 1997ほらね、ちょっと震えがくるような凄いラインナップでしょ? 撮影監督としての二十数年のキャリアをざっと辿ると、これだけの傑作群がずらり連なってしまう。
ゴードン・ウィリスのフィルモグラフィを辿るとすぐに気づくのは、特定の監督との強固な結びつきである。とりわけ
ウディ・アレンとの八本は、一介の奇矯なコメディアンが都会的に洗練されたニューヨーク派の名監督へと変貌する軌跡そのものだし、《ゴッドファーザー》三部作は、
フランシス・フォード・コッポラが世界的な巨匠として遇されるうえで決定的な役割を果たした。もうひとり、
アラン・J・パクラとの協働作業は、あの忘れがたい秀作《コールガール》を嚆矢とし、監督最後の作品《デビル》に至るまで、四半世紀の長きに及んでいる。
実際のところ、この三監督とのコラボレーション(ジェイムズ・ブリッジズとの三本も加えれば四監督との協働作業)が彼の仕事の大半を占めており、そこにキャメラマンとしての強い指向性が看て取れる。彼はどんな監督とでも気安く組めるタイプの撮影監督ではなかったのだろう。
どこで読んだのか忘れてしまったが、撮影時の彼はきわめて頑固で妥協を知らず、監督がOKを出しても納得せず、ワン・モア・テイクを所望することが多く、撮影所としばしば確執を起こしたそうな。そういうウィリスの完璧主義をよく理解して、その采配に委ねる監督とのみ協働したのかも知れない。
最初に観たのはパクラ監督の《
コールガール》(1971)。高田馬場パール座だったろうか。ジェーン・フォンダが寡黙で無表情な街娼に扮する問題作だ。彼女の毅然とした佇まいとともに、電燈に照らされた暗い室内が遠い記憶のなかで明滅する。当時のわが憧れの女優の主演作だから観たのだが、スクリーンを満たす深い闇と静謐に魅せられた。少し経ってから池袋の文芸坐で観た異色の青春西部劇《
夕陽の群盗》(1972)は、一転して太陽に晒された荒涼たる大平原が舞台。一度しか観ていないので記憶は朧ろだが、自然光を瑞々しく捉えたキャメラに息を呑んだ(ような気がする)。《
ゴッドファーザー》三部作、とりわけ第一作と第二作は、映画全体が追憶のヴェールに覆われ、古びた琥珀色の諧調を帯びていた。登場人物が殆ど影のなかに埋もれてしまい、表情すら窺い知れない場面が続出して、それが却ってスリリングなドラマ展開に寄与していたようにも思う。
だが何と云っても決定的だったのは《アニー・ホール》(1977)に始まり《カイロの紫のバラ》(1985)で締め括られるウディ=ゴードンの八連作だろう。今も一年一作ずつ律儀に新作を撮り続けるウディ・アレンが映画界の花形だった時代の眩い才能の所産である。どれもこれも懐かしい作品だが、強烈なインパクトを受けたのは矢張り《
マンハッタン》(1979)を措いてほかになかろう。何度も観直したから、ということもあろうが、それでもあの、意表を突いてモノクロ大画面に映し出された紐育が夢に見た風景のような光芒を放つからだ。最後に観た2007年の印象を当日のレヴュー(
→ゴードンとヴィルモス)から引いておく。
《マンハッタン》はこれが五、六度目だろうか。最初に観たのは1980年1月22日、場所は失念したが有楽町か銀座界隈、この映画の試写会だった。当時、大学生協のプレイガイドで働いていたので、役得としてときどき招待葉書が貰えたのである。たしかこのときは家人や友人のY君と一緒だったような気がする。
今日、久しぶりにワイドスクリーン上映で、初めて観たときの驚愕を思い出すことができた。なんといっても冒頭のシーンが凄い。ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」が奏でられるなか、ニューヨークの街並が静止画像ふうに矢継ぎ早に映し出される。画面はモノクロだ。いきなりなので度肝を抜かれる。そこにウディ・アレンのナレーションがかぶさる。小説の書き出しらしく、言い回しを替えつつ何度も繰り返される。いつしか「ラプソディ・イン・ブルー」はクライマックスに差しかかり、マンハッタンの夜景に花火が続けざまに炸裂するシーンで終わる。
正直なところ、この映画の最大の見所は冒頭のこのシークエンスなのではないか。そう軽口を叩きたくなるほどに、息を呑むような風景の連続だ。そこにガーシュウィンを重ねるとはウディ・アレンはあざといなあ、と思いつつ、今回も溜息をつきながらつい見惚れてしまう。撮影監督ゴードン・ウィリスの腕は冴えわたっている。
これこそ映画館の大スクリーンで嘆賞すべき映像なのだが、どうしてもというなら、どうぞ(
→これ)。1980年1月の寒い夜、会場は銀座のガスホールか、新橋のヤクルトホールだったか。封切前になんの予備知識もなく試写会で観て、いきなり冒頭のシーンで圧倒された。繊細にして周到、それでいてゴージャス極まりない大都会の映像──その「光と影」の連打がガーシュウィンとシンクロして、それこそ花火のようにスクリーン上で炸裂するさまに、目くるめく昂奮を禁じ得なかった。ゴードン・ウィリスの魔法のようなキャメラワークに打ちのめされた瞬間である。
映画を観るとき必ず撮影監督の名を確認するようになったのは、彼や
ヴィルモス・ジグモンド(ロバート・アルトマン作品での驚くべき妙技!)の卓越した仕事ぶりを知ったのが契機だったと思う。この二人の存在に加え、クリント・イーストウッド作品における
ブルース・サーティーズ、フランソワ・トリュフォー作品における
ネストル・アルメンドロス、フェデリーコ・フェッリーニ作品における
ジュゼッペ・ロトゥンノ、ベルナルド・ベルトルッチ作品における
ヴィットリオ・ストラーロ、さらに神代辰巳作品における
姫田真佐久、といったふうに、それぞれ盟友と称すべき「お抱え」撮影監督が存在する事実に気づいたのだ。彼らは文字どおり監督の「眼」そのものになりきって、かけがえのない映像的ペルソナを体現していたのである。
面白いことに、ゴードン・ウィリスと組んで《ゴッドファーザー》二作を撮ったコッポラ監督はそのあと、壮大な実験作《地獄の黙示録》と魅惑的な失敗作《ワン・フロム・ザ・ハート》とでヴィットリオ・ストラーロを起用し、ウィリスとの八作に及ぶ長期の協働作業を解消した後のウディ・アレンは、アントニオーニ監督作品で知られる
カルロ・ディ・パルマや、長いことイングマール・ベルィマン監督の「お抱え」だった
スヴェン・ニクヴィストといった欧州の名だたる撮影監督を三顧の礼で招き入れている。果たして偶然だろうか? そうではなかろう。ウィリスの至芸を知ってしまった監督たちは、もうアメリカにはそれに匹敵するような透徹した「眼」を見つけられず、ヨーロッパのヴェテラン勢の協力を仰ぐほかなかったのだろう。
とどのつまりゴードン・ウィリスと最後まで協働したのはパクラ監督だった。《コールガール》から《パララックス・ビュー》《大統領の陰謀》《推定無罪》を経て《デビル》まで。結局この《デビル》(悔しいことに未見のままだ)は監督の遺作となり、翌98年にパクラ監督が世を去ったのを機に、ウィリスは撮影稼業からきっぱり足を洗ってしまった。「役者たちに宿舎から出てくるよう促したり、雨の中で立ちつくしたりの毎日にもう飽き飽きした」(英文ウィキより)の捨て台詞を残して。まだ六十代後半の働き盛りだった彼の胸中は定かではないが、撮影監督としての能力を縦横に発揮できる現場はもう望めないと悟ったということではないか。
今宵この一文を彼の訃報に接して綴った。享年八十一と聞いて致し方なく思ったが、それでももう、あの透徹した光と影の魔術師はいないのだと寂しさを禁じ得ない。たまたま今日、ウディ・アレンの最新作《ブルージャスミン》を銀座で観たのも不思議な暗合というべきだろう。近年の弛緩した作品群のなかでは、苦みと捻りの効いた佳作だったのだが、撮影(スペインのハビエル・アギーレサロベ)は普通の出来で往時のウィリスには遠く及ばない。彼のような人はもう出ないだろう。