ついでに、収穫物をもう一枚。これまた陳列棚の片隅に捨て値で埋もれていた。だが、これは垂涎のアルバムなのである。ずいぶん長いこと探していた。
"Polskie Nagrania Edition: Yehudi Menuhin"
バッハ:
二挺のヴァイオリンのための協奏曲*
モーツァルト:
交響曲 第三十五番
エルガー:
序奏とアレグロ
バルトーク:
嬉遊曲
ヴァイオリン/イェフディ・メニューイン、リーランド・チェン*
イェフディ・メニューイン指揮
ポーランド室内管弦楽団1984年4月27、28日、ワルシャワ、国立フィルハーモニー楽堂(実況)
Muza ECD 039 (1993)
→アルバム・カヴァー晩年しきりに指揮台に立ち、少なからぬ録音を残した老巨匠がワルシャワで催した演奏会の実況録音。ジャケットのデザインがあまりに劣悪で手に取るのも憚られる。だがこれが稀代の名盤なのだという噂は前々から耳にしていた。鑑賞道の頼もしい先達たる斉諧生さんの「音盤狂日録」から評を引かせていただく。
1998年4月26日
ユーディ・メニューイン(指揮、Vn)ポーランド室内管、バッハ・モーツァルト・エルガー・バルトーク(MUZA)
これは本日最大の収穫。カザルスの指揮を評価される方には、是非盤としてお薦めしたい。あれほどの巨大なスケールではないにせよ、非常に近しい世界がある。 もう十数年ほども前の録音だが、メニューインがここまで来ているとは思わなかった。刮目して聴くべし。
■ バッハ;2つのVnのための協奏曲
アンサンブルは多少雑然としているが(ピッチもイマイチ)、精神力を感じるフレージングである。強拍を強調しているせいか、すべてのパートが存在感を持って鳴っており、彫りの深さや立体感といったものが実現されている。最近では聴けなくなったが、リヒターとかミュンヒンガーあたりが専家とされていた頃のバッハ演奏を思い出す。いや、それ以上に、カザルス&マールボロ音楽祭管を想起する。合奏精度の類似からか? (^^;;;
Vnは、もちろんメニューイン本人と、リーランド・チェンという台湾出身の弟子(1965年生れとか)が弾いているのだが、どちらがプリモか断定しかねるほどで、まったく衰えを感じさせない。1984年のライヴだから、78歳くらいのはずなのだが…。
■ モーツァルト;交響曲第35番「ハフナー」
繰返しをほとんどしていないせいもあって、全曲で19分弱。まず、冒頭のティンパニの強打に圧倒される。バッハよりもアンサンブルがよくなり、弦の内声が克明に刻むのが音楽の生命を伝える。この曲でも、すべてのパートがよく鳴っており、第1楽章展開部入りのファゴットの持続音の意味深さや第2楽章での木管の動きなど、面白い。第3楽章メヌエットのトリオの優しい歌は心に沁みる。第4楽章は凄い勢いだ。第1Vnの刻みがドライヴ感を生む。ティンパニの轟きも快感。
この曲にもカザルスの名演があった。あの灼熱にはさすがに及ばないが、魂には近いものがある。
■ エルガー;序奏とアレグロ
裂帛の気合で序奏が始まる。熱い熱いエルガー。でも旋律は懐かしい。
ポーランドのオーケストラだけに、イギリス風味は無く、むしろドヴォルザーク;弦楽セレナードあたりを連想させるサウンドだが、音楽の心は素晴らしい。アンサンブルも、ずいぶんよくなってきた。
■ バルトーク;弦楽のためのディヴェルティメント
メニューインは晩年のバルトークと親交があったし、この曲も確かNimbusかどこかに録音していた。オーケストラも、同じ東欧の作品ということで、手の内に入っているのだろう、バッハとは見違えるような素晴らしいアンサンブルを聴かせる。
第1楽章の立派さ、第2楽章の沈潜、第3楽章の舞踏の狂騒、いずれも素晴らしい。この曲も最近、録音が多いが、凡百の演奏とは次元が異なる感じ。「愛惜佳曲書」に掲載すべきベスト盤かもしれない。いずれ、ドラティ盤と比較試聴してみたい。無断で全文をコピペしてしまった。これでは小生の音盤鑑賞学(?)の博士号は確実に剥奪だろう。それにしても、この熱っぽい讃嘆の辞に接して、誰が冷静でいられようか。すぐにでも音盤屋へと駆け出したくなるような文章である。
ところが当時すでに当盤はどの店頭にも見当たらず、中古屋で躍起になって探索したのだが、こういうアルバムはどの棚に分類するかが曖昧で、いったん配架されると埋もれてしまい、いくら注意深く目を凝らしても容易に見つからない。
爾来この一枚を捜し続けて十数年、それが一昨日ひょんなことから目の前に現れた。思わず心のなかで「ユーレカ!」と快哉を叫ばずにはいられなかった。
今こうしてターンテーブルに載せて何度目か聴き入っているのだが、斉諧生さんの評言はいちいち頷けることばかり。附け加えることは何ひとつない。