昨日は肩掛鞄に重い荷物を詰めて上京し、乃木坂界隈で所用を済ませた。まだ三時過ぎで夕刻まで少し猶予があったので御茶ノ水に寄り道し、丸善であれこれ立ち読みしたが購入には至らず、中古音盤屋を小一時間ほど物色するものの、特筆すべき収獲はほんの僅か。今やそういうご時世なのだろうか。
とはいえ食指が伸びたCDは皆無ぢゃない。なので今夜はそれを聴いている。
"Tansman│Boulanger│Gershwin - David Greilsammer"
アレクサンデル・タンスマン:
ピアノ協奏曲 第二番 (1927)*
ナディア・ブーランジェ:
ピアノと管弦楽のための幻想曲 (1913)**
ジョージ・ガーシュウィン(ファーディ・グローフェ編):
ラプソディ・イン・ブルー (1924)***
ピアノ/デイヴィッド・グレイルサマー
スティーヴン・スローン指揮
ラディオ・フランス・フィルハーモニー管弦楽団2009年11月、パリ、
サル・プレイエル(実況)** ***、ラディオ・フランス、スタジオ103*
naïve V 5224 (2010)
→アルバム・カヴァータンスマン、ブーランジェ、ガーシュウィンと並べるとなんだか三題噺めくが、各人が書いたピアノと管弦楽のための協奏的作品を集めた企画。
パリに移り住んだのち渡米したポーランド人、多くのアメリカ楽徒に作曲を伝授したフランスの女教師、パリへの憧れを禁じ得なかったアメリカ人──この三人の面子からすると、過去に何枚もある「大西洋横断 Transatlantic」アルバムの一種なのだなと察しがつく。ラヴェルとガーシュウィンを組み合わせて同時代音楽としての相互影響や共振を示す、すでに馴染の遣り口である。80年代後半サイモン・ラトルが出した「ジャズ・アルバム」(ミヨー、ガーシュウィン、ストラヴィンスキー、バーンスタイン)あたりをその嚆矢とするものだ。
この三人の作曲家に「同時代」という以上の接点があったのだろうか。
本CDライナーノーツは抜かりなく「接点あり」と力説する。冒頭にガーシュウィンがタンスマンに贈呈した謝辞入り写真(1928)を掲げたうえで、両者は1923年パリで出逢い、親交を深めていたとする。ガーシュウィンはまたナディア・ブーランジェとも1925年にNY在住のヴァイオリン奏者パウル・コハンスキの家で会っており、28年パリ訪問時にはラヴェルの推挽でこの著名な女教師に師事しようとした由。タンスマンとブーランジェもまた1919年以来の親しい間柄であるとして、前者から後者に宛てた未公刊書簡を引用する。なるほど三人は互いに知己同士だった。成程それはよく了解できた。だが頷けるのはそこまでだ。
実際に聴くと、これら三曲の協奏作品はまるきり別次元の代物である。タンスマンの第二協奏曲(1933年の来日時にも自作自演されたそうな)は軽妙洒脱で輪郭のくっきりした、プーランクの隣に置くのがお似合いの作品であるのに対し、ブーランジェの「幻想曲」は前世紀のフランクやフォーレの流れを汲みつつ、ワグネリズムの残滓と僅かなストラヴィンスキーの影響をこき混ぜた、やや晦渋な若書き(彼女は程なく妹の早逝を機に筆を折る)に過ぎない。ガーシュウィンの楽曲が如何なるものかは云うに及ぶまい。それとブーランジェとはまさに水と油。共通点はどこにもない。少なくも小生の耳にはそう聴こえてしまう。
皮肉な言い方をするなら、ほぼ同時代の所産にも拘わらず、大西洋を挟んで三人の作曲家が目指した音楽はこんなにも三者三様だったのだ。
だから本アルバムのコンセプトは見かけ倒し、殆ど破綻しているのだが、それでもタンスマンとブーランジェの二曲は世界初録音であり、この意欲的な企ては大いに褒められていい。演奏もなかなかに秀逸。ともあれ嘘みたいな安価で手に入ったのだから文句を云う筋合いはどこにもないのだが。