黄金週間も今日でおしまいだ。「毎日が日曜日」の身には実感が湧かないが、街路を走る車が常になく少ないのと、公園で遊ぶ親子連れの姿と、市場が休みなので近所の八百屋がずっと閉まっているのとで、「あゝそうか、今は連休中なのだなあ」とやっと認識する。なんとも迂闊な話である。
最終日にしてはうそ寒い曇天でパッとしない朝だが、家人の云うには午後遅くに晴れるという予報だそうだ。今朝もいつものように寝床で「バラカン・モーニング」を聴きながら愚図愚図していて、これではならじとムックリ起き上がり、今しがた朝の珈琲を二人分淹れたところだ。
月明けに「五月に因んだ音楽はないものか」と暫し思案したが、その際は咄嗟に浮かばなかった楽曲を今頃ひょっこり思い出した。うまい具合にそれを含むディスクが出てきたので、久しぶりに聴いてみよう。
《リムスキー=コルサコフ 管弦楽曲集》
リムスキー=コルサコフ:
歌劇「五月の夜」序曲*
歌劇組曲「サルタン皇帝の物語」**
■ 皇帝の出陣と別離
■ 皇后と皇子は樽で漂流
■ 三つの奇蹟
歌劇組曲「降誕祭の前夜」***
■ 降誕祭の夜
■ 星々のバレエ
■ 魔女の宴と悪魔の背に乗った飛翔
■ ポロネーズ
■ ワクーラと女帝の室内靴
ドゥビーヌシカ(仕事の唄)****
音楽絵画「サトコ」*****
歌劇組曲「雪娘」******
■ 序幕への前奏曲
■ 鳥たちの踊り
■ 皇帝の行進
■ 軽業師の踊り
エルネスト・アンセルメ指揮
スイス・ロマンド管弦楽団1956年10月* **、57年4月*****、5月*** ****、11月******
ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール
ユニバーサル Decca UCCD 3016 (2000)
→アルバム・カヴァー いやはや条件反射とは恐ろしい。プルーストのマドレーヌではないが、アンセルメの指揮するロシア音楽は遠い記憶を直ちに呼び醒ます。右も左も判らぬままクラシカル音楽を聴き始めた中学・高校時代、アンセルメのレコード(とそのラヂオ放送)でグリンカからストラヴィンスキー迄の近代露西亜管弦楽に親しんだ。
なにしろ生まれて初めて購入したLPが彼の指揮するグラズノーフのバレエ音楽「四季」(「来日記念盤」の襷が巻いてある)だったのだから、これはもうアンセルメ&スイス・ロマンドの演奏解釈が刷り込みとなって我が聴覚的記憶の深層に消しがたく刻まれたのは否定しようもない。パヴロフの犬さながら。
このリムスキー=コルサコフの管弦楽集にしても事情は同じだ。当時(1960年代末から70年代初頭)これらの「秘曲」を纏めて耳にするには、アンセルメの演奏に頼るほか殆ど手だてがなかったのである。ちょっと記憶が曖昧だが、元のLPでは「サルタン」「サトコ」「クリスマス・イヴ」「ドゥビヌシカ」で一枚をなし、「五月の夜」と「雪娘」とは上野の文化会館資料室で外盤LPを聴いた気がする。これまでの人生で最も純粋な歓びとともに音楽を闇雲に摂取していた一時期である。
だからといって、これらが今なお聲を大にして推奨すべき歴史的名演かというと「いや、別段そういう訳でも・・・」と口籠もるほかない。
「
五月の夜」序曲が始まってすぐ、あまりに明るく淡泊すぎる音色に拍子抜けしてしまう。ロシア音楽だから重厚苛烈でなければ駄目とは云わぬが、この響きの薄さと軽さは一体なんだ。ここからR=コルサコフの壮麗な管弦楽法の妙味を汲み取るのは難しい。楽譜の表層をさらりと撫でるような演奏は、心地よくも多彩な音響の連なりの域に留まり、ずしり大地に根差した安定感や民衆的情緒の自然な発露はどこからも聴こえてこない。これはあくまでも仏系瑞西人の耳が感覚的に捉えた「限定附き」の露西亜音楽なのだ。ドビュッシーやラヴェル(R=コルサコフに多大な関心を寄せた)を迂回したアプローチといっても過言でない。
そのことは昔も薄々勘づいていた。同曲ならば若きエヴゲニー・スヴェトラーノフが振った熱演(
→これ)、更にコンスタンチン・イワノーフ指揮の「サルタン」組曲(
→このLP)など、全き共感に満ちた純露西亜的なR=コルサコフ解釈を知るに及び、アンセルメ翁とのあまりの違いにぶっ魂消たからだ。餅は餅屋に限るのだと。
イワノーフやスヴェトラーノフとアンセルメとでは世代が違い、出自から経歴、芸風まで比較にならぬほど異なるが、この場合に即して云うならば両者の隔たりは実際にR=コルサコフのオペラを振った経験の有無が決定的だったのではないか。モスクワで常日頃から歌劇上演に接し、自らもピットに身を置く露人指揮者のように、作品を血肉化する機会をもてなかったのは当然だろう。アンセルメがどうにか振る機会を得た露西亜歌劇といえば「ボリス・ゴドゥノフ」位だった筈で、彼の指揮するオペラの序曲や組曲がいかにも綺麗事に留まり、表現的な内実を伴わないのは無理もない。それらの演奏は所詮「絵に描いた餅」なのだ。
エルネスト・アンセルメと露西亜音楽との本格的な出会いは、1914年にスイスの保養地モントルー郊外に寓居を構えたストラヴィンスキーと、カフェで偶然に顔を合わせたことに端を発する。
二人は直ちに意気投合し(早くも4月にアンセルメはストラヴィンスキーの交響曲を指揮した)、「有能な奴だ」というストラヴィンスキーの強い推輓に促されて、ディアギレフはアンセルメをバレエ・リュスの座付き専属指揮者として雇い入れた(初代指揮者だったピエール・モントゥーは勃発した第一次大戦で従軍中)。
スイスに疎開してきたバレエ・リュスの一行は15年暮れにジュネーヴ大劇場で公演を催し、このとき「バレエ指揮者」アンセルメが誕生する。三十二歳の新進気鋭だった。当然の職務ながら、アンセルメは《シェエラザード》(R=コルサコフ曲)、《タマーラ》(バラキレフ曲)、《アルミードの館》(チェレプニン曲)、そして云う迄もなく《火の鳥》《ペトルーシカ》といった露西亜音楽に親炙する機会を得た──というのが事のあらましである。露西亜音楽とは彼にとって悉くバレエ曲だったのだ。
この記念すべきジュネーヴ公演でアンセルメの指揮により世界初演されたバレエが《
真夜中の太陽 Le Soleil de Nuit》──ディアギレフの秘蔵っ子ダンサー(兼愛人)レオニード・マシーンが主演ばかりか初振付を担当した──である。1915年12月20日のことだ。
これを嚆矢として座付き指揮者アンセルメとバレエ・リュスとの協働作業は1923年まで続き、《パラード》《三角帽子》《夜啼鶯の歌》《プルチネッラ》《道化師》《狐》《結婚》と続く怒濤の世界初演ラッシュを、彼は終始ピットから先導したのである。
さて、そろそろ話題を本筋に戻そう。実を云えばこの《真夜中の太陽》こそは、リムスキー=コルサコフのオペラ「
雪娘 Снегурочка」をディアギレフがバレエ用に改変したものにほかならない。詳細は詳らかでないが、その際に既存の組曲版がそのまま流用された可能性が高く、そうなると今日ここで聴いたアンセルメ録音も特別な存在意義を帯びてくる。これは彼にとって四十数年後の Ballets Russes Revisited だったと想像されるからだ。
第一次大戦中、存亡の危機に瀕していたバレエ・リュスは1916年、起死回生の策を実行に移す。長期間にわたる米国公演を敢行したのである。
ただし、これは危険な賭けだった。勧進元の「メトロポリタン・オペラ・カンパニー」は「趣意書 Prospectus」(
→これ)で、参加メンバー(Personnel)の筆頭に誇らしくニジンスキーとカルサーヴィナの名を掲げているが、この二大スターの参加は実のところ絶望的だった。戦時下とて前者はブダペストで、後者はペテルブルグでそれぞれ足止めを喰らい、出国が許されなかったからだ。花形二人を欠いた旅公演が果たして興行として成立するのか。ディアギレフとて内心は不安で一杯だったろう。この米国巡業に指揮者として同行したのは勿論アンセルメその人である(上述の趣意書に写真入りで紹介されている)。
こうして1916年1月17日、二大スターを欠いたままのバレエ・リュスは初の全米興行を開始した。最初の開催地はニューヨークのセンチュリー劇場(1月29日まで)。その後、一座はボストン、アルバニー、デトロイト、シカゴ、ミルウォーキー、セントポール、ミネアポリス、カンザス・シティ、セントルイス、インディアナポリス、シンシナティ、クリーヴランド、ピッツバーグ、ワシントンDC、フィラデルフィア、アトランティック・シティに巡回した。上演されたのは以下の十四演目。1909年の第一回パリ公演の幕開け作品から最近作まで、新旧とりまぜた盛り沢山のラインナップといえよう。
《牧神の午後》《謝肉祭》《クレオパトラ》《火の鳥》《真夜中の太陽》《ナルキッソス》《アルミードの館》《ペトルーシカ》《魔法をかけられた王女》《ポロヴェツ人の踊り》《シェエラザード》《薔薇の精》《レ・シルフィード》《タマーラ》
ニジンスキーの不在を補うべく、《牧神》のタイトルロールはレオニード・マシーンが、《シェエラザード》の「金の奴隷」役はアドルフ・ボリムが、《薔薇の精》の主役はアレクサンドル・ガヴリーロフがそれぞれ演じ、カルサーヴィナの当たり役だった《火の鳥》のタイトルロールや《薔薇の精》の少女役は、リジヤ・ロプホーワ(ロポコヴァ)が遺漏なく務めた。すでにバレエ・リュスは超絶的な個人技に依存しないアンサンブル・バレエの段階に移行しつつあったのである。
渡米直前にジュネーヴで初演されたばかりの最新作《真夜中の太陽》は音楽こそR=コルサコフの民族色豊かで親しみやすい音楽だが、舞台装置(
→これ)と衣裳(
→これ)はミハイル・ラリオーノフが手がけ、極彩色と奇抜なデザインで鬼面人を驚かすアヴァンギャルドな実験作だったから、保守的な米国人に受け入れられるか心配だったが、意外にも行く先々で大喝采を博したらしい。振付と主演を務めたマシーン(
→写真1、
→写真2)もさぞや鼻高々だったろう。
その間、ディアギレフは、戦時下のブダペストに軟禁中だったニジンスキーを米国公演に参加させるべく、あらゆる手段を講じていた。各方面との粘り強い交渉の結果、ニジンスキーは晴れてニューヨークに到着し、4月上旬から再度ニューヨークで公演中だったバレエ・リュスに合流を果たした(4月12日)。本家本元が演じる《牧神》《薔薇の精》《ペトルーシカ》がニューヨーカーたちに与えた印象は流石に強烈で、「ニジンスキーの到着日から、バレエ団そのものが面目を一新した」(C・ヴァン・ヴェクテン)。カルサーヴィナは結局この米国巡業には参加できなかった。
1916年の1月から4月にかけて、これら一連のバレエ・リュス米国公演の全演目をひとりで指揮したのがアンセルメだったのである。
このときの録音が残っている、と聞けば誰だって「まさか!」と耳を疑うだろう。ところが正真正銘それは真実なのだ。アンセルメの指揮するバレエ・リュス管弦楽団、1916年のニューヨーク録音が現存するのだから音盤史って面白い。
勿論まだ電気吹込の時代ぢゃないので、スタヂオに大小の喇叭を設えて、そこに向かって演奏するという頗る原始的な方法で音を刻むアクースティック録音。普通だったら聴くに堪えぬ代物なのだが、何しろバレエ・リュスの楽団ですよ、この演奏でニジンスキーが、マシーンが、ボリムが、ロポコヴァが躍ったのかと思うと感無量である。よくぞ残してくれたものだ。
そういう稀少な「音」が存在するのだと小生に教えてくれたのは、もう三十年近く前のこと、中野で輸入レコード店を商っていた物知りの渡邊三太郎さんだ。彼は稀代のSP蒐集家クリストファ・N・野澤さんから(と想像する)貴重な音源を借り受けて、そこから私家盤LPを制作してしまった。もちろん世界初覆刻である。そのLPは今も書庫に架蔵する筈だが、ここでは同じ録音をフランス製CD覆刻で聴く。
"Collection Ernest Ansermet vol.1"
Premiers enregistrements
- Rimski-Korsakov, Tchérepnine, Schumann, Chopin -
リムスキー=コルサコフ:
シェエラザード (抜粋)
■ 海とシンドバッドの船 (抜粋)
■ バグダッドの祭 (抜粋)
軽業師の踊り ~雪娘
ニコライ・チェレプニン:
高貴な大円舞曲 ~アルミードの館
シューマン:
謝肉祭 (抜粋)
■ 前口上 (グラズノーフ編)
■ 高貴な円舞曲 (ペトロフ編)
■ コケット (カラファーティ編)
■ 巡り逢い (ヴィトール編)
■ パガニーニ (リャードフ編)
■ ドイツ風円舞曲 (リャードフ編)
■ 告白 (ソコロフ編)
ショパン:
レ・シルフィード (抜粋)
■ 円舞曲 作品70-1
■ マズルカ 作品33-2
■ 前奏曲 作品28-7
■ 円舞曲 作品64-2 (グラズノーフ編)
エルネスト・アンセルメ指揮
バレエ・リュス管弦楽団1916年4月(推定)、ニューヨーク
Dante LYS 451-452 (1999)
→アルバム・カヴァー録音上の技術的制約に加え、SP盤の収録時間の関係で《
シェエラザード》などは聴かせどころをコラージュした継ぎはぎヴァージョン(九分未満)でしかなく、指揮者の解釈を云々できるレヴェルではない。それでも淀みないインテンポで通す流儀はいかにもアンセルメだし、明確なリズム処理はダンサブルそのもの、さぞかし踊り手たちから歓迎されただろう。
続く「軽業師の踊り」は米国巡業で喝采を浴びたバレエ《
真夜中の太陽》からの一曲。大詰めで賑々しく踊られる音楽である。わざわざこの部分だけ録音されたのは絶大な人気の故だろうか。幸いにもカットはどこにもなく、完全な形で聴けるのは難有い。面白いことに、同曲に関する限り四十年後のアンセルメがステレオ録音した際と演奏時間が殆ど変らない(1916年=3'48/1957年=3'45)。三つ子の魂なんとやら。アンセルメの楽曲解釈がこの時期のバレエ・リュス体験に根差していることを示す一例である。
続く《
アルミードの館》からの一曲はチャイコフスキーを思わせる優美で夢幻的なワルツ。こういう華麗なオーケストレーションに魅力の大半を負うている音楽は貧弱なアクースティック録音では楽しめない。バレエ・リュスにとっては「初めの一歩」にあたるバレエだから、スーヴニール的な意味は大きいが。
そして「第一期」バレエ・リュスが売り物にしていたロマン派ピアノ曲の管弦楽版による「擬ロマンティック・バレエ」の抜粋がふたつ。《
謝肉祭(カルナヴァル)》と《
レ・シルフィード》が抜粋とはいえ、これだけ長時間収録された意義は大きい。もともと露西亜の作曲家たちが施したオーケストレーションはかなり野暮ったい代物なのだが、その「気品の乏しさ」がちゃんと喇叭吹込の録音から聞こえてくるのに感心する。アンセルメは後年この二作をステレオ録音しているが、《レ・シルフィード》は別人編曲版(Roy Douglas, 1936)なので、ニジンスキーが踊ったオリジナル版が聴ける当録音は値千金なのである。