そういえばステファーヌ・グラッペリの回想録がどこかにあった筈だと思い至り、書棚から引き出し肩掛鞄に放り込んで家を出た。昨日の朝のことだ。
Stéphane Grappelli:
Mon violon pour tout bagage -- Mémoires
Joseph Oldenhove et Jean-Marc Bramy (ed.)
Calmann-Lévy
1992 →表紙カヴァー
1997年秋に仕事でパリに赴いた際、シャンゼリゼ大通りのヴァージン・メガストアで拾い上げた一冊(多分そうだと思うのだが記憶はもう朧げだ)。まだグラッペリ翁が辛うじてご存命中だった時期である。そのとき拾い読みしたきりだったので、埼玉への往還の供に持参したという次第。下のエントリーを書き上げるうえで何かの参考になるかと思い、久々の再読を試みた。
当時すでに八十歳を超えていた翁の自伝にしては薄冊だが、幼くして母を失い、父の命でイザドラ・ダンカンの舞踊学校で過ごした日々やら、青年期に実演で聴いた「牧神の午後への前奏曲」、ジャズに目覚めてからの試行錯誤、パリの音楽酒場「屋根の上の牡牛」の追憶、そしてジャンゴとの出逢い・・・と目も眩むような人生が走馬灯さながら、いかにも愉しげに淡々とした口調で回想される。小生のような仏語初心者にも辞書なしで読める平易な文章なのが難有い。《五月のミル》の映画音楽を任された経緯に関する記述はなかったが、《バルスーズ》での仕事(ラッシュを観たときは嫌悪したが、引き受けて良かったと語る)や、来日公演での微笑ましい体験も出てくる。グラッペリ好きには嬉しくなるような挿話が満載だ。
昨日の埼玉往還の目的は観劇である。妹に誘われ、切符まで手配してもらい、家人とともにいそいそと出かけた。天気も上乗、歩いていて汗ばむ初夏の陽気だ。
わたしを離さないで
カズオ・イシグロ/原作
蜷川幸雄/演出
倉持裕/脚本
多部未華子、三浦涼介、木村文乃 ほか/出演
2014年5月3日 13:00~16:50
彩の国さいたま芸術劇場大ホールカズオ・イシグロは好きな作家だが、この小説はかなり前に読んだきり細部の記憶は些か怪しい。個性的な人物も登場せず、劇的な起承転結ももたぬ静謐なストーリーを蜷川がどう舞台化するのか。過酷な使命を課せられた人々の重苦しい日常をひたすら淡々と描く──この原作の孕む二面性を如何にして劇空間に生かすのか。そのあたりへの好奇心から「彩の国」へと足を運んだ。ここへ出向くのは二年前の《海辺のカフカ》(
→拙レヴュー)以来だと思う。
結論からいうと、ドラマ化はやはり至難の挑戦だったように思う。舞台は英国から日本へと移され(登場人物も日本名)、原作の一人称の語りは廃されているが、それ以外は小説のプロットを大筋で辿りつつ、主人公の男女三人がかつて養育されたヘールシャム寄宿学校(この名だけ原作どおり)での学園生活に抱く懐旧の情と、大人になって「提供者」や「介護人」として生きる日常とが、彼らとその周囲の人物が発する言葉によって徐々に明らかになる。長篇小説から印象的な挿話を拾い出して繋げていく形ながら、まずは忠実な舞台化といえそうだ。
とはいえ三人が交わす会話が正味三時間を超える長丁場の大半を占めており、脚本が想定しているのは少人数による科白のドラマ、それも小劇場空間での緊密な会話劇だったのではないか。それを舞台経験の浅い若手に演じさせようというところにまず無理があったと思う。迫真の演技力や火花を散らす科白の応酬は期待しないものの、舞台に佇むだけで何かをまざまざと感じさせる存在感が求められていたことだろう。そういう若者を三人も揃えるのは不可能に近い。
勿論そのあたりを蜷川は先刻よく弁えていて、小さな空間での科白芝居から大劇場の舞台に堪えうる「大仕掛」作劇術への軌道修正もおさおさ怠らない。
回想のなかのヘールシャム寄宿学校の教室(風で終始カーテンが揺れる)や面接室(机や椅子が乱雑に積み重なる奇怪な場所)、三人の棲家である「農園」の居間(ストーヴとソファ。何故か雑草が茂る)、主人公たちが赴いた防波堤(波しぶきと吹き荒ぶ強風)、嵐が去った荒涼たる海浜(廃船が見える)といった場面がいちいち入念に創り込まれ、スペクタキュラーな舞台装置を提供する(美術=中越司)。どれもが映画のワンシーンのように印象的な情景として設えられ、出来事らしい出来事の起こらない芝居に程よい変化とメリハリを醸し出す。
冒頭の教室のシーンでは正面奥からラジコンのヘリコプター玩具が飛来し去るかと思えば、大勢の寄宿生が群れを成して音もなくスローモーションでこちらにやってくる(蜷川がこの劇場で育てている学生劇団員である由)。
しかしながら、そうした視覚的な布置結構のすべてがどこか鼻につくのは、恐らくそれらが本来この戯曲に内在する要素でなく、静謐なストーリーを蜷川のドラマに回収すべく「後知恵」として附加された異物だからなのだろう。それらの創意工夫はなるほど人目を惹き、飽きさせないが、すべてが過剰に説明的で、あざとい仕掛けに思えてならない。それがいつものニナガワの流儀といえばそのとおり。
このいかにも周到だが危うい解決策でもある作劇術は、両刃の剣さながら、最後の最後に破綻を来したように思う。主役のカップル(すでに「提供者」と「介護人」の間柄)がヘールシャムの元責任者のもとを訪れ、生き延びるための一縷の希望を断たれるという山場(この静謐な物語における最大の出来事)があって、そのあと大詰めへと至るまでの展開があまりにも作為的で興醒めなのだ。
本来ならば、絶望の淵にありながらも運命を甘受し、最後まで生かされた主人公のひとりが覚悟とともに残りの人生を肯定する──といった静かな余韻とともに幕となるべき(少なくとも原作のエンディングはそう読める)ところ、取って附けたような回想シーンや冒頭の教室場面の繰り返し(またしてもヘリコプターと子供たちのスローモーション!)によって、あからさまにノスタルジックな感傷が舞台を覆い尽くしてしまう。これで三時間余の仮借なき運命のドラマが本当に締め括れるのだろうか。なんだか騙されたような、釈然としない思いを抱えたまま席を立った。
果たして責めを負うべきはラストシーンを書いた台本作者なのか、それとも力技で強引に幕切れを拵え上げた演出家のほうなのか。この甘ったるいエンディングでは終われないよ、ニナガワさん!