朝まで降り残った雨がやっと上がり、爽やかな青空が拡がった。海風がちょっと強いものの、まずは清々しい五月晴れの一日である。かねてからの約束どおり正午を少し回った頃合に埼玉から家人の実弟が来訪。近くの仏蘭西料理屋に赴き、久し振りに三人でコース料理を頂く。各人各様に異なったメニューを食したのだが、どれも美味しかったようで、麺麭のお代わりを含めて全員が残さず平らげた。そのあとは腹ごなしを兼ねて近隣を散策。至るところで躑躅が満開だ。赤紫、紅、白、ピンクの斑入り、どの花も今を盛りと目も眩むほど鮮やかな輝きを放つ。
夕食は少々の刺身をおかずに小ぢんまりと。ボトルに残った赤ワインを飲んでしまう。生魚と赤葡萄酒とでは不釣合だが、まあ構うことはないさ。
カレンダーを捲るともう五月。月に因んだ唄でも口ずさもうと思うのだが咄嗟に出てこない。三月にはずばり武満徹作曲の映画挿入歌「三月のうた」(谷川俊太郎/詞)があり、四月ならば "April in Paris"(ヴァーノン・デューク/曲、イップ・ハーバーグ/詞)が広く人口に膾炙している。なのに五月の唄となると途端に口籠もってしまう。鯉幟や端午の節句を祝う唱歌ならすぐ思いつくのに。
そうだ、大瀧詠一に「五月雨」があったゾと脳裏に閃いたものの、急逝の記憶が今なお生々しくて心穏やかに唄えそうにない。
しばし考えあぐねた挙句、四十年前の古いアルバムを引っ張り出してみた。
《南 正人》
■ いやな長雨
■ 午前4時10分前
■ 紫陽花
■ A WEEK
■ 愛の吹きだまり
■ ブギ*
■ 五月の雨
■ 家へ帰ろう
■ LAZY BLUE
作詞・作曲/南正人
アレンジ/キャラメル・ママ
+++
ヴォーカル、アクースティック・ギター、カズー/南正人
エレクトリック・ベース/細野晴臣
エレクトリック・ギター/鈴木茂
ドラムズ/林立夫
ピアノ、アコーディオン、バンジョー、フラット・マンドリン/松任谷正隆
*ゲスト・ヴォーカル/りりィ1973年5月、八王子市美山町、南正人宅
キングレコード/ディスクユニオン Bellwood FJSP-13 (1973/2007)
→アルバム・カヴァー(表) →アルバム・カヴァー(裏)LP時代に中古盤で手に入れ、わりに気に入っていた一枚。素朴といえば素朴に過ぎる南正人の楽曲・歌唱と、タイトで繊細なキャラメル・ママの即興的アレンジとが不思議にも融合する。両者の絡み合いの妙味が聴きどころだろう。CDで買い直したものの、聴き返すのはひどく久しぶりだ。
《Hosono House》で自宅録音の要諦を体得した面々が八王子の山奥にあった南正人の家(築二百年!という藁葺の古民家)に泊まり込んで、リラックスした気分でセッションを愉しんでいる(録音技師は同じ吉野金次)。最初と最後のトラックからは周囲の鳥の声も聴こえる。ゆったりと流れる田舎の時間まで刻み込まれたところが本アルバムの真骨頂。たまに聴くと緩やかに心が安らぐ。
「
五月の雨」は、昔風にいうとB面の真ん中で歌われるフォーキーな佳曲。そぼ降る雨のなか恋人の棲処へ向かうという、まあ他愛もない詞なのだが、人懐っこい表情が滲み出ていて、穏やかな季節に口ずさむのに相応しい。その直前に置かれた「ブギ」はたった二分間の小曲だが、隠遁者のように飄然とした南と、しわがれ声の歌姫りりィとの微笑ましいデュエットが聴けるのが愉しい。ふらりと訪れた客人が気軽にセッションに加わった、というような自然さが好もしいのだ。
このCDは小さい形ながら元LPの見開きジャケットを忠実に再現している。観音を開くと、南家の庭先で休憩する一同を捉えたスナップショットが現れる。和気藹々たるセッションの雰囲気を見事に象徴するこの内ジャケット写真こそ、本アルバムのコンセプトそのものだ(撮影=田村仁
→これ)。聞くところに拠れば、山奥でのセッションには同じ八王子に住む荒井由実も見学に訪れたらしい。デビュー・アルバム《ひこうき雲》の録音はこの年まさに進行中だった。
更に余談になるが、南が暮らす蒼然たる古民家はほどなく失火で全焼してしまった由。その意味からも、もう二度と還ってこない無可有郷での「夢のような五月」がこの一枚には封じ込められているのだと痛感する。