早起きして浦和の不動産屋まで赴き、実家を売却する書類にサイン。これでもう小生と埼玉を繋ぐ絆(というほどでもないが)は綺麗さっぱり消滅した。
この家で暮らしたのはほんの四年間ほどなので思い出も執着も殆どない。両親の遺した家財道具もあらかた処分した。ただし、1975年に小生が家出同然の有様(父は勘当と云いたかったろう)で出奔した当時の私物がそっくりそのまま手つかずで残されていたので、この2月に何度か足を運んで整理した。
いきなり藪から棒に大学に通うのをやめ、身一つで上京してしまったので、部屋には学生時代の一切合財があれもこれも残されていて、さながらタイムカプセルの蓋を開けたような按配だ。大半はガラクタ同然だが、なかには四十年も経つと期せずして稀少価値が生じてしまう場合がある。だから取捨選択に大いに迷うところだ。傍目には紙切れにしか見えなくとも、当人にとっては値千金ということだってある。無暗に捨ててしまうと、あとあと後悔するだろう。
そういう次第でいろいろほじくり返しているうちに、埃をかぶった箱のなかの紙束からペラ一枚のルーズリーフにしたためた鉛筆書きメモが出てきた。ふと見ると、
1974年8月25日の日付が入っているではないか。
この日がどういう一日だったかについては、旧友たちのサイト「荻大ノート」で一文を草したことがある。三年ほど前、手元に残る四枚の写真を手がかりに、記憶を手繰り寄せるように回想したものだ。仲間内ではかなりの反響を呼んだ。
→第1回サマークリスマス(1974年8月25日)このたび出現したのは、まさにその当夜、帰宅後に昂奮も醒めやらぬまま走り書きした日記風メモにほかならない。他人にはいざ知らず、小生および仲間たち──当日その場に居合わせて同じ体験を共有した者たち──にとって、この紙片には計り知れない価値がある。そこに四十年前の「あの日」の一部始終がリアルタイムでつぶさに綴られているからである。
走り書きされた断片的なメモを解読し、そっくりそのままPCに入力するとともに、必要に応じて言葉を補い、意味が通じるようにしたものを、一昨日ウィーンのBoe君にメールで送信した。それを彼がフォーマットに流し込んでくれたものが、昨日「荻大アーカイブズ」新着記事としてアップされた。
→「第1回サマークリスマス」当夜の日記より不孝者の私物を一切合財そっくりそのまま保管しておいてくれた亡き両親に感謝せなばなるまい。