昨晩またもや筍を食した。さすがに筍ご飯では芸があるまいと、家人が豚小間肉を煮てカレーを作り、仕上げに別茹でした筍とスナップ豌豆を投入した。筍も豌豆もぐつぐつ煮つめないのでクリスピーな歯応えが残って、いつもの蕩けるような煮込みカレーとは一味違って美味しいのなんの。食べきれぬほど作ってまだ半分ほど残っているから、今日の昼も筍カレーをいただこう。これで七日間たて続けに筍が食卓に上る。また愉しからずや。
つらつら省みるに、今日はユーミンが東京で正式に舞台デビューを果たしてからきっかり四十年になる。アルバム《ひこうき雲》から半年ほど経って、京都と東京で「
FIRST IMPRESSION 荒井由実コンサート」と題するお披露目の会が催された。小生が聴いたのは1974年4月21日、新橋のヤクルトホールでのコンサート。少し前に音楽雑誌のインタヴューに応じたときの回想から引く。
正式なデビュー・コンサートが74年春です。林 [美雄] さんのラジオ [深夜番組「パックインミュージック」金曜二部] でコンサートのことを聞いて、チケットを買いに行ったら、最前列のど真ん中がまだ残っているわけですよ。そこで観ると、彼女が気の毒なくらいあがっていて、震えていて、声が上ずっているのがわかる。いたたまれない感じだったですね。それでも、ソングライターとして天才だという確信は揺るがなかった。下手でも自分で歌うのはいいものだと感じた。歌が、ほんとうにこの人の中から生まれてきているのだと信じられる。
──沼辺信一(談)「天衣無縫に才能を披瀝する少女との出会い」 特集「ユーミンの40年」 『ミュージック・マガジン』2012年12月号
小生がこのデビュー・コンサートのことを知ったのは3月下旬だったと思う。早速3月25日に銀座のプレイガイドに赴いたら、チケットは殆ど売れておらず、座席は選りどり見どり。念のため今も手元に残る半券で確認したら「AA列8番」、まさしく「
最前列のど真ん中」である。
林さんはユーミンと《ひこうき雲》の熱烈な支持者だった。アルバムが出る前から番組で彼女の才能を絶賛し、「八王子の歌姫」なる尊称まで奉った。その強い影響下で小生もまた「天才少女」ユーミンにぞっこん心酔していたのだ。
当時のユーミンのマネージャー嶋田冨士彦はこう回想する。
林美雄さんはデビュー間もないユーミンの貴重なブレーンのおひとりでした。特に一九七四年四月のヤクルトホールのデビューコンサートは、アルファ・アンド・アソシエイツの新入社員だった私が制作を担当したためにチケット代が千五百円と高額になってしまい(ちなみに前年九月の「はっぴいえんど解散コンサート」の前売り券が千円でした)、五百席弱のチケットが半分も売れませんでした。
もちろん、林パックにも出演させて宣伝させていただいたのですが、チケットが危機的な状況だったので、再度林パックに出演させていただきました。
林さんの「みんな、男の心意気でユーミンのコンサートに行ってあげようよ!」というひと言で、コンサートは満員になりました。
──柳澤健「1974年のサマークリスマス」第八回 『小説すばる』2014年3月号確かに客席は埋まっていたように思うけれど、ロビーの雰囲気から察するに関係者とおぼしき招待客も少なくなかったのではないか。当時「林パック」を愛聴していた我が仲間たちで、この記念すべきユーミンのデビュー演奏会に足を運んだ者は小生のほかに一人もいなかった。やはり千五百円也のチケットは高すぎたのだ。とりわけ当時まだ中学・高校生や浪人だった面々には高嶺の花だったろう。
当夜のユーミンは《ひこうき雲》から「返事はいらない」以外の九曲、それにアルバム未収録の「マホガニーの部屋」、新曲として「瞳を閉じて」「やさしさに包まれたなら」「あなただけのもの」を歌った、と当日のメモにある。
お世辞にも上手な歌唱ではなく、それどころか危なっかしくて冷静に聴いていられないレヴェル。上述の「
いたたまれない感じ」とは偽らざる感想である。子飼いのバックバンド「パパレモン」の実演も荒っぽく、アルバムでのキャラメル・ママの入念繊細な演奏とあまりに隔たっていた。ユーミンの「ファースト・インプレッション」を最前列から観た「第一印象」は一言で云うなら悪夢だった。このような学芸会さながらの内容に大枚千五百円は確かに不釣合だったと思う。
白地に横縞の入った長袖トップス、白のパンタロン、白のベレー帽という活動的ないでたち、後半には舞台正面の花道のような一郭でハンドマイク片手に唄い踊ったりもしたが、極度の緊張ゆえか歌唱も動作もすべてがぎこちなく上の空で、まるきり足が地に着いていない感じがした。後年この人がショーアップした大仕掛けのステージを創り上げようとは想像だにしなかった。友人たちから後日その舞台の印象を尋ねられたときも、「
う~ん、アルバムから想像したのとは大違い。無理してまで観なくてもよかったと思うヨ」と口ごもるほかなかったのである。
だからといって、それきりユーミンを見限ったりはしなかった。作詞・作曲における彼女の天賦の才は隠れもなく、その将来には無限の可能性が待ち受けていると思えたからである。「
ソングライターとして天才だという確信は揺るがなかった。下手でも自分で歌うのはいいものだと感じた。歌が、ほんとうにこの人の中から生まれてきているのだと信じられる」。
十九歳にしてかくも完璧なアルバムを創り上げた才能はまさしく底知れないものだ。こんな少女がとうとう日本に出現したのだという嬉しさを噛みしめていた。