今しがたツイッターで少しだけ呟いたのだが、英国声楽界の長老にして不世出のバリトン歌手
ジョン・シャーリー=クァーク John Shirley-Quirk が一週間ほど前に長逝したと知らされた(
→ガーディアン紙の訃報)。
一般にはピーター・ピアーズの相方としてベンジャミン・ブリテンの数々のオペラをオールドバラ音楽祭で創唱した歴史的な人物として知られていよう。もちろん録音も数多い。ほかにもヴォーン・ウィリアムズ、ウォルトン、ティペットらの声楽曲の名盤が枚挙に暇なく、英国音楽好きにとってシャーリー=クァークの名はこの半世紀間ずっと身近なものであり続けた。
ひょっとして彼がブーレーズと共演したシェーンベルクやストラヴィンスキーの声楽曲を記憶している向きもなかにはおられようし、ショスタコーヴィチ愛好家なら亡命後のコンドラシンがミュンヘンで彼に独唱を委ねた(急な代役だったそうな)宿願の「無改竄版」第十三交響曲の実況録音を忘れてはいないだろう。
シャーリー=クァークは英国音楽に留まらず、バロックから現代まで、歌曲、宗教音楽、オペラと実に幅広くヴァーサタイルに活躍したバリトンだった。
だが小生にとってシャーリー=クァークといえば、どうしてもディーリアスだ。初めて手にした彼のディスクがこれだったからだ。刷り込みといえばまさにそう。
ディーリアス:
レクイエム Requiem*
牧歌 Idyll**
ソプラノ/ヘザー・ハーパー
バリトン/ジョン・シャーリー=クァーク
合唱/ロイヤル合唱協会*
メレディス・デイヴィーズ指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団1968年2月19~21日*、21日**、ロンドン、キングズウェイ・ホール
EMI 5 75293 2 (2002, CD re-issue)
→アルバム・カヴァーこのLPを神田神保町の輸入レコード店で目にした日のことを鮮明に憶えている。どちらもまるで未知の曲だったが、ジャケットにディーリアス夫人イェルカの油彩画(グレ=シュル=ロワンの自邸を描いたもの)が配されていて(
→これ)、それだけでもう陳列棚に戻すことができなくなった。せっかく手に入れ大切に持ち帰ったのに、盤が反って波打っていて、自室のターンテーブルでうまく再生できなかったのも、今となっては懐かしい思い出だ。
ディーリアスのレクイエム(史上初の非キリスト教レクイエム。なにしろ「ハレルヤ」と「アラー」が同時に唱えられる破天荒な作品)は滅多に耳にする機会がないが、これをシャーリー=クァークへの追悼音楽として聴くことになろうとは感慨も一入。「牧歌」(「田園曲」とも)は盲目のディーリアスがフェンビーの助力で仕上げた生涯最後の作品。ホイットマン詩により生の無常と愛の永遠を切々と謳い上げる。ハーパーとシャーリー=クァークの二重唱が映し出す甘美な恍惚境といったら!
そしてもう一枚、シャーリー=クァークの絶唱による極め付きのディーリアスを。
ディーリアス:
海流/藻塩草/海の彷徨 Sea Drift*
アパラキア Appalachia
バリトン/ジョン・シャーリー=クァーク*
合唱/ロンドン交響合唱団
リチャード・ヒコックス指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団1980年4月、ロンドン、キングズウェイ・ホール
London 425 156-2 (1981/1989)
→アルバム・カヴァーこの盤については前にも書いたことがあるが(
→ここ)、少なくも「海流」に関する限り、このシャーリー=クァーク&ヒコックスに勝る録音はもう二度と現れないのではないか。真率なホイットマン詩篇の魅力を余すところなく開陳し、聴く者を激しく慟哭させずにはおかぬ至純の歌唱であり演奏である。「
この音楽は私の裡から、何の苦もなくひとりでに流れ出てきたものだ」という作曲家の述懐も宜なるかな。