先日たまたま書庫から発掘した英国弦楽合奏曲集のなかに、ジョナサン・リーズ(Jonathan Rees)指揮のスコティッシュ・アンサンブル(Scottish Ensemble)のCDが紛れ込んでいた。今や殆ど名を耳にすることもない忘れられた演奏家たちだが、手元には同じ彼らが演奏するバッハのヴァイオリン協奏曲集も残されている。版元は同じくヴァージン・レコードの廉価盤レーベルVIRGOである。
"Bach: Violin Concertos"
バッハ:
二挺のヴァイオリンのための協奏曲*
ヴァイオリン協奏曲 ト短調 (チェンバロ協奏曲 ヘ短調 BWV1052)**
ヴァイオリン協奏曲 ホ長調***
C・P・E・バッハ:
チェロ協奏曲 イ長調 Wq172****
ヴァイオリン/ジョナサン・リーズ* ** ***、ジェイン・マードック*
チェロ/キャロリン・デイル****
ジョナサン・リーズ指揮
スコティッシュ・アンサンブル1990年2月、グラズゴー・シティ・ホール
Virgin VIRGO VJ 91453-2 (1991)
→アルバム・カヴァージョナサン・リーズは元来ヴァイオリン奏者であり、このディスクもそうだが、独奏を弾きながら小編成のアンサンブルをリードするというネヴィル・マリナーやアイオナ・ブラウンの流儀に倣い、癖のないすっきり爽快なバッハを奏でている。誰もが知るホ長調の協奏曲やヴァイオリン二挺の複協奏曲のほか、チェンバロ協奏曲第五番(第二楽章「ラルゴ」が映画《恋するガリア》の主題歌になった)を移調してヴァイオリン協奏曲として復元演奏しているのも興味を惹く。
彼らには同じVIRGOレーベルにブランデンブルク協奏曲全曲も録音したほか、ヴィヴ ァルディの協奏曲集、パッヘルベルのカノンほかの「バロック名曲集」もあり、それらのアルバムでも同様に明朗なアプローチを聴くことができる。
残念なことに、彼らの演奏は時の試練に耐えられず、四半世紀近く経った今では殆ど顧みられない。彼らが当然のものとして実践した現代楽器によるバロック演奏はその後は急速に廃れ、むしろ時代錯誤の解釈として退けられたからである。少なくもわが国での評価はそのように推移したのだと思う。
それはともかく、小生にとってこのVIRGOレーベルの一連のCDはひどく懐かしい存在だ。1980年代からクラシカル録音にも意欲的だったヴァージン・レコードが、1991年から93年にかけて集中的に売り出した廉価盤にVIRGOの名が冠されていたのである。virgoとはvirginのラテン語形であり、星座の「乙女座」をも意味する。折から日本ではヴァージン・メガストアが出店を開始しており、小生は新宿や池袋の店頭でしばしばこのVIRGO盤を手にしたものだ。なにしろ安かった。
このVIRGOシリーズはアルバム・カヴァーのデザインがすべて統一され、中央にタイトルと演奏者名を記した四角い銘板を配し、その背後に色とりどりの鉱物を大きくあしらっていた。これは写真ではなく銅版画のイラストレーションで、Johann Gottlob von Kurrなる学者の鉱物図譜 "The Mineral Kingdom"(1859)という本の挿絵から採られたものとのこと。クラシカルの名曲に石ころの絵とはなんとも奇妙な取り合わせだが、シリーズを少しずつ集めて並べると、色合いも形状もそれぞれ変化に富んで面白く感じられてくる。
「
石ころだって何かの役に立つ」とはフェッリーニ監督の名作《道》に出てくる科白だが、同じ石ころでもここに登場するのは稀少な金属や美しい結晶を含む、とびきり珍しい鉱石ばかりだから、ただの路傍の石とは違う。「そんじょそこらの凡演とは訳が違う、人知れず原石の輝きを放つ名演奏なのだ」という製作者のメッセージがデザインに籠められている、というのは小生の穿った見方だろうか。
ともあれ、この「バッハ/ヴァイオリン協奏曲集」は演奏スタイルこそ今風ではないが、なかなか好感のもてる佳演であり、道端の石ころなんかでは断じてなかった。
折角の機会なので、このVIRGO廉価盤シリーズから、手元にある何枚かを紹介しよう。秀逸なデザイン故に、今だに手放さず矯めつ眇めつ愛玩しているのだ。
"Brahms: Violin Sonatas"
ブラームス:
スケルツォ ~「F・A・Eソナタ」
ヴァイオリン・ソナタ(全三曲)
ヴァイオリン/ハイメ・ラレード
ピアノ/ジャン=ベルナール・ポミエ1983年1月、マルゼルブ城(ロワレ県)
Virgin VIRGO VJ 7 91454-2 (1991)
→アルバム・カヴァーボリビア生まれのハイメ・ラレード Jaime Laredo(1941~ )は名教師ガラミアン門下の逸材で米国を拠点に活躍、早くから国際的に名を成した。むしろ英語風に「ジェイミー・ラレード」と呼ぶほうが普通かもしれない。一般にはバッハのヴァイオリン・ソナタ全曲録音でグレン・グールドと共演した人物として名高かろう。そのラレードがキャリアの絶頂期にフランスで収録したブラームスのソナタ全曲は殆ど知られていないと思う。廉価盤にしておくのが勿体ないほどの秀演揃いである。
"Elgar: Enigma Variations"
エルガー:
「謎」の変奏曲*
ヴィオラ協奏曲(ライオネル・ターティス編)**
アンドルー・リットン指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団*
ヴィオラ/マーク・ブラウンスタイン**
リチャード・スタンプ指揮
アカデミー・オヴ・ロンドン**1987年6月**、12月*、ロンドン、アビー・ロード・スタジオ1
Virgin VIRGO VJ 91455-2 (1991)
→アルバム・カヴァーこれも貴重な一枚。前半の「エニグマ」変奏曲はまあ普通に愉しめる手馴れた演奏なのだが、続く協奏曲が聴きものだ。あのエルガー畢生の傑作チェロ協奏曲を名手ターティスが(無論エルガーの許可を得たうえで)ヴィオラ用に編曲したというシロモノ。今ではゴラーニ、カーペンターら複数のヴィオリストの録音が手に入るが、本盤は恐らく世界初録音、当時これでしか聴けなかったものだ。米国の(当時は)俊英ブラウンスタインは充分に健闘している。エルガー好きなら必携だろう。
"Stravinsky: Petrushka - Bartók: Concerto for Orchestra"
ストラヴィンスキー:
ペトルーシュカ(1911年版全曲)
バルトーク:
管弦楽のための協奏曲
岩城宏之指揮
メルボルン交響楽団1989年4、5月、サウス・メルボルン・タウン・ホール
Virgin VIRGO VJ 7 59690-2 (1992)
→アルバム・カヴァーその実力と功績の大きさに比して、母国では正当に評価される機会に恵まれなかった岩城宏之。むしろオランダとオーストラリアでの声望が高く、メルボルン交響楽団の首席指揮者を四半世紀近く務め、同楽団のレパートリーと合奏能力を飛躍的に高めたのは有名な話。それにしては肝腎の手兵との録音が余りに少ないのが悔やまれるが、この一枚はその欠落を補う貴重な遺産だろう。しかも演目は岩城が自家薬籠中のものとした20世紀音楽の二作。聴かずにいられようか。
"Stravinsky: Pulcinella"
ストラヴィンスキー:
プルチネッラ(全曲)*
ダンス・コンセルタント
ソプラノ/アン・マレイ*
テノール/マーティン・ヒル*
バス/デイヴィッド・トマス*
リチャード・ヒコックス指揮
シティ・オヴ・ロンドン・シンフォニア1988年5、11月、ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホール
Virgin VIRGO VJ 5 61107-2 (1993)
→アルバム・カヴァーヴァーノン・ハンドリーに関しても痛感させられたのだが、リチャード・ヒコックスを私たちは「英国音楽のスペシャリスト」の枠に押し込め、一面的にしか評価してこなかったのではないか。そうした忸怩たる反省へと強く誘う一枚である。この弾むような生きたリズム、精妙なアーティキュレーションの妙はどうだ! ヒコックスはストラヴィンスキーもプーランクもマルチヌーも思いのまま、一部の隙なく正確に音にできた恐るべきヴァーサタイルな偉才だったのだ。それに気づくのが遅すぎた。