この季節わざわざ上野に出向くなど暴挙に等しい。春の陽気に誘われてとはいえ我ながらどうかしている。せめて無用な混雑を避けようと御徒町で途中下車し、家人の要望により松坂屋デパートで早目の昼食を摂る。昔風の洋食屋「銀サロン」は少々値が張ったが料理は美味。満足して表に出るとアメ横も広小路も平日とは思えぬ賑わいである。やはり今日は避けるべきだったかと大いに反省。
花見客の喧騒を逃れるべく迂回して不忍池沿いにしばらく歩き、精養軒の裏手の坂道を登ると上野の山は予想どおり凄まじい人出である。どよめく歓声とむっとする酒気に背を向け、そそくさと東京国立博物館へ。まだ始まったばかりの特別展「
栄西と建仁寺」に赴く。願わくば会場がまだ混んでいませんように。
■主催者口上
2014年は、日本に禅宗(臨済宗)を広め、京都最古の禅寺「建仁寺」を開創した栄西禅師(1141~1215)の八百年遠忌にあたります。これにあわせ、栄西ならびに建仁寺にゆかりの宝物を一堂に集めた展覧会を開催します。
本展は、近年研究の進んでいる栄西の著述のほか、建仁寺に関わりのある禅僧の活動を通して、栄西の伝えようとしたもの、そして建仁寺が日本文化の発展に果たした役割を検証しようとするものです。
俵屋宗達の最高傑作、国宝「風神雷神図屏風」を筆頭に、海北友松筆の重要文化財「雲龍図」など建仁寺本坊方丈障壁画、山内の塔頭に伝わる工芸や絵画の名品、栄西をはじめとした建仁寺歴代の書蹟はもちろん、全国の建仁寺派の寺院などが所蔵する宝物を展示します。八坂神社の界隈は何度も散策している筈だが、恥ずかしながら建仁寺の境内には一度も足を踏み入れていない。最大の寺宝である宗達作品も京都の博物館に寄託されているから、わざわざ観に赴く必要を感じなかったのだ。だから「栄西と建仁寺」という標題にも心動かされはしない。せいぜい「久しぶりに風神雷神を間近に拝もう」という程度の野次馬気分で出かける観覧者なのである。
館内は東博の平成館で催される展覧会としては空いている(普通の混み方)。好きな作品を好きなだけ眺められるという願ってもない環境だ。ただし、展示作品はいかにも地味。建仁寺ゆかりの高僧の肖像も墨跡も、伝来する名物茶碗の類も、小生のような不信心な野暮天には良さも有難味もわからない。豚に真珠とはこのことだ。そんな次第で展覧会の前半部分は足早にささっと通り抜けた。
ところが後半の「近世の建仁寺」「建仁寺ゆかりの名宝」セクションになると様相が一変する。とりわけ
海北友松(かいほうゆうしょう)の水墨襖絵が圧巻だ。元は建仁寺の方丈に描かれていた障壁画だが、戦前に建物が颱風で倒壊してからは京都の博物館に寄託されている由。なかでも気に入ったのは「
花鳥図」(
→これ)。松の根元で体を捩る孔雀を動勢たっぷりに描いた秀作だ。息を呑んで見惚れる。飄然たる趣の「
竹林七賢図」も描写に凛とした気品があって素晴しい(
→これ)。これら一連の友松障壁画が現状ではすべて軸装されてしまい襖の原形を留めないのが返す返すも残念である。再建された方丈には精巧なデジタル複製の襖が嵌っているそうな。いつか観に行きたいものだ。
長谷川等伯の「
竹林七賢図」も出品されている。現物を拝見するのは初めてだ。こちらは六曲一双の屏風で、建仁寺の塔頭である両足院が所蔵するものという(
→その右隻)。川村記念美術館の「烏鷺図屏風」と同様に最晩年の作で、同じような筆跡で「自雪舟五代長谷川法眼等伯」と落款が入っている。いやはや、観る前からわかっていたことだが、これが実に悲しいほど不細工な作品なのである。人物の造型はほうぼうで破綻しまくり、竹幹の描法も荒っぽくお座成りだ。あの「松林図屏風」の作者がここまで凋落するものだろうか。「法眼」落款の等伯画に優品なしとは夙に知られる事実だが、本作は特に目を覆いたくなる無惨な出来だ。まあ、それを目の当たりにできたのは収穫ともいえる。駄目だなあ等伯。
さて、お目当ての
俵屋宗達「
風神雷神図屏風」は予想どおり本展の掉尾を飾るべく最後の部屋に飾られていた。ただし、ここに辿りつくまでに多くの観客は精も根も使い果たしたのか、この絵の前に殆ど人だかりができていないのが嬉しい驚きである。これ幸いと、近くから遠くから矯めつ眇めつ、思う存分に玩味鑑賞できたのはこよなき眼福というほかない。この絵を実見するのは初めてだという家人も満足至極の様子。小生にしても久しく現物に接してはおらず、たっぷり時間をかけて眺めたのは1972年ここで催された「琳派展」以来かも知れない。
何はともあれ、古今東西あらゆる絵画のうちで、大胆と優美がかくも無理なく融合した作品は殆ど例をみないだろう。「
剛毅な魂と繊細な心」とは三島由紀夫が宗達の「舞楽図屏風」を評した言葉だが、「風神雷神」にも同じ精神の全き発露をみる思いがする。本図に宗達が落款を記さなかったのも宣なるかな。この絵こそ彼そのもの、宗達の自画像にほかならないからだ。三島が「
宗達は大胆小心の見本のやうな男だつたと思はれる」と喝破した、まさにその人となりが画面に横溢する。絵の前で言葉を失ったまま陶然と立ち尽くすばかりだ。
チラシに拠れば博物館本館の常設展示で今なら
尾形光琳の「
風神雷神図屏風」(宗達作品を模したもの)も観られるとのことだが今日は遠慮しよう。見較べるまでもなく勝敗の帰趨は明らかであり、とりわけ「風神」が足元に踏む雲で光琳は垂らし込みを矢鱈と多用したため、「まるで泥田を駆けずり廻っているよう」(山根有三教授談)なのである。宗達作品の感動に泥を塗ることはあるまい。
そろそろ喉が渇いてきたし、足も草臥れたので一服しようかと法隆寺館のカフェを覗いたら、いつも静かなこの店が人で溢れかえっている。東洋館のカフェテリアも同様だ。上野の山はどこもかしこも満員なのだ。
だが災いを転じて福となすとはこのことで、所在ないまま「博物館でお花見を」の垂れ幕(
→これ)に誘われるように、本館の裏庭に回ったらそこはまさしく桃源郷さながら、鬱蒼たる樹木の合間から咲き競う桜花があちこちに垣間見える。回遊式の庭園をそぞろ歩くうち風雅な花見ができる塩梅なのだ。思いのほか見物客は少なく、ここは上野の山にあって格好の穴場かも知れない。そよと風が吹くと花弁が舞い散る。満開の桜を思う存分に満喫した。
そのあとは公園の喧騒を避けるように谷中方面に足を向けた。心当たりの珈琲屋や茶房はどこも行列ができている。仕方ないので墓地を抜けて日暮里までそぞろ歩く。午後四時とて夕食にはまだ早いが、馴染の蕎麦屋「川むら」に暖簾が出ているのにふと誘われて入店。不思議なほどに空いているのは半端な時間帯の故か。まずは名物の玉子焼きに舌鼓、然るのちに家人は「おろし蕎麦」、小生は「菜の花せいろ」を所望。いつもながらの美味にしみじみ口福を噛みしめる。帰りしな、数軒先の麺麭屋で土産に黒砂糖ドーナツと餡ドーナツとを求めた。
帰宅は六時近く。随分と日が長くなり、ちょうど海に沈む夕日が眺められた。