これも本来ならば昨年中に取り上げておくべき最重要なアルバムなのだが、迂闊にもその存在に全く気付かなかった。仏蘭西では2011年に出ていたというのに、いやはやどうにも不甲斐ない限りだ。
ジャン・ド・ブリュノフの名高い「ババール」シリーズを原語で朗読した七枚のEP盤をまとめて初覆刻したものだ。1957年、今はもう存在しない「フェスティヴァル」という小レーベルから続けざまに出た。もちろん子供向けのレコードである。
CDカヴァー表に目立つように大書されているとおり、2011年は「ババール」の第一作『ぞうのババール』(1931)が刊行されて八十周年にあたったところから、その記念としてヴァンセンヌの小さな版元から一挙に覆刻されたものだ。
"Babar le petit éléfant d'apres l'album de Jean de Brunhoff"
《ぞうのババール Histoire de Babar》
《ババールのしんこんりょこう Le Voyage de Babar》
《おうさまババール Le roi Babar》
《ババールのこどもたち Babar en famille》
《ババールとサンタクロース Babar et Père Noël》
《ババールとグリファトンきょうじゅ Babar et le professeur Grifaton》*
《ババールといたずらアルチュール Babar et ce coquin d'Arthur》*
原作/ジャン・ド・ブリュノフ、ロラン・ド・ブリュノフ*
脚色/マリティ・カルパンティエ
音楽/ジルベール・カルパンティエ
語り手/フランソワ・ペリエ
ババール/ジャン・ドサイ、イーヴ・フュレ*
おばあさん/ガブリエル・フォンタン
その他/カロリーヌ・クレール、クロード・ピエプリュ、ロジェ・カレル、ミシュリーヌ・ロシュフォール、アニェス・タンギー、アンドレ・ジル ほか
1957年、パリ(Festival, 7EPs)
★
フランシス・プーランク:
《こぞうババールのおはなし Histoire de Babar le petit éléfant》
朗読/ピエール・フレネー
ピアノ/フランシス・プーランク
1954年7月2日、パリ(Les Discophiles Français, EP)
Les Mots Magiques 986821 (2011, 2CDs) →アルバム・カヴァー
これら七枚のEP盤は当時かなり広く愛聴されたらしく、仏蘭西の中古音盤店では今でも時おり見かけることがあると思う。小生も1993年に初めて巴里を訪れた際、幸運にもソルボンヌ界隈の店でそのうちの四枚を手に入れた(下記リスト中で *印のもの)。朗読物レコードは当時わが偏愛する収集領域のひとつだったのである。オリジナル盤のアルバム・カヴァー七種を紹介しておこうか。
《Histoire de Babar》 →これ
《Le Voyage de Babar》* →これ
《Le roi Babar》 →これ
《Babar en famille》 →これ
《Babar et Père Noël》* →これ
《Babar et le professeur Grifaton》* →これ
《Babar et ce coquin d'Arthur》* →これ
これら一連の「ババール物」の仕掛人は巴里の放送界で活躍したカルパンティエ夫妻(Maritie et Gilbert Carpentier)であるらしい。戦後ラディオ・リュクサンブールで番組製作にあたっていた夫妻は、ラヂオ・ドラマを拵える要領で、芸達者な俳優たちを大勢スタヂオに集め、軽快な音楽と効果音を織り混ぜて、耳で聞くだけでも絵本に劣らず存分に愉しめる音盤のドラマを創り上げた。
語り手として《北ホテル》《沈黙は金》《オルフェ》《カビリアの夜》など往年の名画に出演し、のちにメルヴィル監督の《サムライ》《仁義》で忘れがたい名脇役ぶりを披露したフランソワ・ペリエが登場し、緩急自在の語り口で渋い喉声を響かせる。ババール役には永くルノー=バロー劇団に所属し、トリュフォー監督作品《柔らかい肌》では主役を務めるジャン・ドサイ(ただし第五作まで)が、相手役セレストには人気シャンソン歌手カロリーヌ・クレールが配された。その他の役者は知らない人ばかりだが、いずれ劣らぬ個性派揃い。しかも「ひょっこりひょうたん島」よろしく、登場人物(動物)たちは至るところで愉快な歌を披露する。
EPレコード表裏で十五分以内という時間的制約から、ストーリーはそのままに短縮抜粋し脚色する仕事はカルパンティエ夫人が担当し、オリジナル音楽の作曲・指揮はカルパンティエご本人が携わった。要は一から十まで夫妻が手塩にかけた音楽ドラマなのだ。その努力が報われて、これらEPシリーズはめでたくACC(l'Académie Charles-Cros)ディスク大賞に選ばれた由(仏wiki情報)。
上述したように、原作の本文がかなり脚色改変されているうえ、このたび覆刻されたCDにはテクストは載っていないので、評論社から出た邦訳絵本の助けを借りても、小生のような仏語音痴の異邦人にはどうにも会話が聞き取れない。幸いなにも、元のEP盤は十六頁仕立て、挿絵がふんだんに入った多色刷絵本が貼り込まれ、そこに全テクストが印刷されているので、現物が手許にある四作に限っては耳と目の協働作業でなんとかストーリー展開が追えるのが嬉しい。
何はともあれ、半世紀以上も前のEP盤七枚を揃いで所有する人は仏蘭西にも殆どいないだろうから、このCD覆刻の登場は千金に値しよう。仏蘭西語を解さない耳にも物語の愉しさだけは存分に伝わってくる。
ここまでで本CDを充分に愉しんだからもう「元が取れた」気分だが、実はまだまだ "You ain't heard nothin' yet! (お楽しみはこれからだ)"。このあと附録としてプーランクの自作自演「ババール」が続くのだから驚きである。
独身者で同性愛者だったプーランクには子供はいないが、幼い甥っ子や姪っ子にせがまれてこのベストセラー絵本を読み聞かせるうち、そこにピアノ音楽を添わせようと思いついた由。作曲は1945年。翌46年6月14日、ピエール・ベルナックの朗読と作曲者のピアノでラヂオ放送されたのが世界初演である(その折の貴重な録音が部分的にだが残る。 →プーランク記念年に椀飯振舞)。
それから八年後の1954年7月2日(この日付はカール・シュミットの評伝に拠る)プーランクは「ババール」をディスコフィル・フランセ社の要請で正規録音するのだが、どういう訳かこの音源はたった一度EP盤(→これ)として出たきり、何故か等閑視されて半世紀以上も顧みられることがなかった。このたび覆刻されたのはこの稀少なオリジナル録音なのだ。小生も初めて聴く。
朗読のピエール・フレネー(Pierre Fresnay)は、今ではジャン・ルノワール監督作品《大いなる幻影》でシュトロハイムの相方だった役者として専ら銘記されようが、戦前から戦後まで芝居・映画で幅広く活躍した仏蘭西を代表する名優である。往年の仏蘭西映画を愛する人ならばパニョル原作による三部作《マリウス》《ファニー》《セザール》でのマリウス役をきっと記憶していようし、H-G・クルーゾー監督の戦中の傑作《密告》での巧緻な演技も忘れがたい。
彼は歌姫女優イヴォンヌ・プランタンの再婚相手であり、舞台でもスクリーンでもしばしば鴛鴦共演した(映画《仏蘭西座》は戦前の日本でも公開)。プーランクは公私共にフレネー夫妻と親しく、夫婦が共演したジャン・アヌイの芝居『レオカディア』のために不朽の小唄「愛の小径」を提供したほか、やはり二人が出演した映画《アメリカ旅行》(→ここを参照)の音楽を担当したりした。フレネーが「ババール」のナレーターに起用されたのも、親しい間柄からみて不思議はない。
流石にフレネーの朗読は素晴らしい。落ち着いた語り口には節度と気品が漂い、それでいて起伏や躍動感にも不足しない。これまで様々な「ババール」のディスクを聴いてきたが、仏語のディクシオンの美しさ、口跡の鮮やかさでフレネーに勝る語り手は滅多にいないと思う(二十年近く前に実演に接したユーグ・キュエノーと双璧の出来映えだ)。話し終えて最後に「おしまい! FIN!」と威勢よく締め括るのもキュエノーと同じ流儀。
プーランクのピアノは、よく聴くと本職のピアニストほど上手でないのだが(あちこち「誤魔化し芸」が入る)、ほどほどに達者で、真似のできない味わいがある。これぞ何度でも聴きたくなる最高の「ババール」演奏。プーランク愛好家なら必聴だ。