今から百年前、1914年1月14日のこと、パリのエラール楽堂で「独立音楽協会
La Société musicale indépendante」の第三十回定例演奏会が催された。プログラムに記された曲目は以下のとおり。
アンリ・クリケ Henri Cliquet: 弦楽四重奏曲* *印=世界初演
モーリス・ドラージュ: 四つのインドの詩*
■ 独唱/ローズ・フェアール
エリック・サティ: 全方位に向いた数章 Chapitres tournés en tous sens*
■ ピアノ/リカルド・ビニェス
ガストン・クノスプ Gaston Knosp: 二つのスケルツァーレ*
イーゴリ・ストラヴィンスキー: 三つの日本の抒情詩*
■ 独唱/エメ・ニキーチナ
フローラン・シュミット: 小さな眠りの精の一週間*
■ ピアノ連弾/アリス・デュラン、ドニーズ・アース
モーリス・ラヴェル: ステファーヌ・マラルメの三つの詩*
■ 独唱/ジャーヌ・バトリ
奏される七曲が悉く世界初演というところが凄い。ただし、別の資料によれば冒頭のクリケ作品は都合で中止され、代わりにフォーレの第一ピアノ五重奏曲が演奏された由。それでも企ての勇猛果敢さは少しも変わらない。因みにアンサンブルの指揮にあたったのは、若きデジレ=エミール・アンゲルブレシュトだったという。
この一夜が20世紀音楽史に特筆されているのは、ストラヴィンスキー、ラヴェル、ドラージュの新作がそれぞれ競いあうように初演されたためである。実はこれら三曲は出自を同じくし、ソプラノ独唱を室内アンサンブルが伴奏するという演奏形態も共通する。アンサンブル編成は、ストラヴィンスキーとラヴェルの曲ではどちらも「フルート、クラリネット、弦楽四重奏、ピアノ」、ドラージュが「フルート、オーボエ、クラリネット、弦楽四重奏、ハープ」と、いずれもほぼ同一なのはもちろん偶然でなく、前もって彼らが綿密に打ち合わせた結果である。
実を云えば、この晩は更にもう一曲、シェーンベルクの「月に浮かれたピエロ」がパリ初演される予定だったのだが、諸般の事情で取りやめになったのだという。このシェーンベルクの楽曲こそは三人の作品の「独唱+室内楽アンサンブル」という特異な編成の祖形であり(フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ)、1912年12月ベルリンでこの曲の演奏にたまたま出くわしたストラヴィンスキーが大いに興味を掻き立てられ、友人だったラヴェルとドラージュに熱く語って唆し、その顰みに倣った楽曲を競作してみた──というのが、この演奏会で揃って世界初演された三曲に共通する由来である。
前年「春の祭典」で大編成の管弦楽曲に新たな地平を拓いたストラヴィンスキーと、前々年「ダフニスとクロエ」で合唱をも交えた大管弦楽のフレスコ画を披露したラヴェル。その二人が1914年には一転して、揃いも揃ってそれらとは対極にある「ミニマルな」結晶体のような小編成の音楽に惹かれたというエピソードは、その後の20世紀音楽の行方を示唆するようで実に興味が尽きない。
・・・と、ここまではアレックス・ロスめいた西洋近代音楽史のおさらいである。
今日ここで話題にするのは、これらの「前衛的な」声楽曲ではなく、同じその演奏会で披露されたフローラン・シュミットのピアノ連弾曲「
小さな眠りの精の一週間 Une semaine du petit elfe Ferme-l'Œil」についてである。ただし、このとき同曲がどんな反響を呼んだかについては詳らかでない。僅かに『メルキュール・ミュジカル』誌に「
『小さな眠りの精の一週間』もしくは『ヤルマーの夢』はドニーズ・アース嬢とアリス・デュラン嬢の小さく敏捷な手で、非の打ちどころなく鍵盤上に演じられた」とあるばかりで、本当にこれが世界初演だったか否かも実のところ不確かである(作曲は二年前の1912年)。
念のため手元にあるスコア(デュラン、1913年刊の覆刻版)で確認すると、この連弾曲はマルグリット&ポール・ファヴェ Margueritte et Paul Favé なる二人に献じられており、彼らはシュミットの幼い教え子(恐らくピアノの)なのだそうだ。
「小さな眠りの精の一週間」については、たびたび話題にした。鍾愛の曲なのだ。
→フローラン・シュミットとアンドレ・エレ→フローラン・シュミットとアンドレ・エレ(拾遺)・・・*ただし未完
→遂に覆刻──カサドシュのフローラン・シュミットこの可憐なピアノ連弾用の組曲はやがて作曲自身の手で管弦楽の装いを纏わされ、バレエ音楽へと生まれ変わった。旧稿から要点だけを搔い摘んで再録する。
手短に云うと、アンデルセン童話に基づくこの連弾曲(作品58、1912)は、第一次大戦を挟んで十年以上も経ってからバレエに改作することになり、管弦楽化された。その際に前奏曲やら各場の繋ぎの音楽やらが附加されて、バレエ音楽としての体裁が整えられた。このあたりの経緯はラヴェルの連弾曲「マ・メール・ロワ」がバレエ化された道筋とよく似ている。
バレエとしての題名は『小さな眠りの精 Le Petit Elfe Ferme-l'Œil』という(作品73、1923)。翌1924年、パリのオペラ=コミック座で初演された。このとき舞台美術を担当したのが絵本作家アンドレ・エレ André Hellé (1871-1945)。熱心なドビュッシー好きだったら、彼のバレエ『玩具箱 La Boîte à Joujoux』が同じくエレの発案・台本・舞台美術になる事実を憶えておられよう。
バレエの総譜は1926年にデュラン社から出たが、それとは別に美麗な小函に収まったエレの挿絵入り絵本(簡略な譜面も附く)が1924年にトルメール(Tolmer)社から刊行されている。題名はバレエと同じ「小さな眠りの精」である。小生が最初に手にしたのはデュラン社の楽譜でもカサドシュ夫妻のLPでもなく、実はこのアンドレ・エレの絵本だった。その可憐な魅惑といったら! 箱をそっと開くと、なかには宝物のような小冊子が二冊(絵本と楽譜)。どちらにもエレの挿絵がふんだんに散りばめられている。数あるエレの挿絵本のなかでも白眉の美しさ。もう四半世紀以上も前、国立の銀杏書房で手に入れたものだ。
小さな絵本には頁のあちこちに覗き窓が穿たれていて、扉を開く要領で頁を左へ右へと一枚ずつ開いていくにつれ視野が開け、物語が進行する仕掛けになっているのだが、そのわくわくするような創意工夫を現物なしに言葉だけで説明するのは難しい。この写真から少しでもご想像いただけるだろうか(→これ)。そんな訳で、今やすっかり忘れられたこのバレエ音楽「小さな眠りの精」をいつか耳にする機会はないものかと三十年近く密かに待ち続けてきた。総譜が読めない小生には誰かが実際に音にしてくれない限り、管弦楽曲を味わう術がない。ここ数年間でフローラン・シュミット復興の機運が兆し、ピアノ曲と室内楽ではいろいろ未知の楽曲に接する機会があった。バレエ音楽の原曲である「小さな眠りの精の一週間」についても、今や七種類もの録音の聴き較べが可能である。
とはいえ管弦楽曲ともなると話は別で、フローラン・シュミットといえば莫迦の一つ覚えみたいに初期の「サロメの悲劇」ばかりが新録音される状況に、苛立ちは募るばかり。昨今の音盤業界の不甲斐ない有様に鑑みて、バレエ音楽「小さな眠りの精」を耳にする願いが叶えられることなく、空しくわが人生は終わるのか、とそんな悲観的な思いにかられていた昨今なのだった。ところが、である。
"Florent Schmitt: Le Petit Elfe Ferme-l'Œil"
フローラン・シュミット:
バレエ音楽「小さな眠りの精 Le Petit Elfe Ferme-l'Œil」作品73*
導入、朗唱、告別 (チェロと管弦楽のための) Introït, récit et congé 作品113**
メゾソプラノ/アリーヌ・マルタン*
チェロ/アンリ・ドマルケット**
ジャック・メルシエ指揮
ロレーヌ国立管弦楽団2013年7月5~8日、メッス、砲兵工廠
Timpani 1C1212 (2013)
→アルバム・カヴァーバレエ「小さな眠りの精」が遂に録音されたとの情報は昨年末に伝え聞いていたが、現物が手元に届いたのは二月半ばだった。半ば夢心地で早速ディスクをプレイヤーに挿入し、貪るように繰り返し聴いたのは云うまでもない。
バレエ音楽そのものは元のピアノ連弾曲を大筋で踏襲しているので、既に馴染の部分も多いのだが、千変万化するオーケストラで耳にすると、音楽が幾層倍にも膨らんで、遙かに魅惑的に響く。フローラン・シュミットの管弦楽法は精緻の極みであり、あるいは絢爛豪華に、あるいは余韻嫋々と、バレエの各場面を目にも鮮やかに髣髴させて甚だ見事である。「サロメの悲劇」その他で彼のオーケストレーターとしての並々ならぬ力量は知っていたつもりだが、ここまで縦横無尽に描写力を駆使できるとは思わなかった。ここまで精密な書法を手中に収めていたのは同時代ではラヴェルとケックラン位ではないか。ただただ驚きの一語に尽きる。
これは聴く前からわかっていたのだが、バレエ音楽は元のピアノ曲とは少なからぬ異同がある。原曲にはない「前奏曲」が幕前で奏する音楽として加わっている(ラヴェルの「マ・メール・ロワ」のバレエ化と同じ趣向である)のは当然として、七つある場面(「一週間」の各曜日に対応する)の演奏時間が各々ほぼ均等になるように手直ししてある。ここで煩を厭わずに場面構成を記しておくと、
前奏曲
第一場/二十日鼠の祝祭日 La Fête nationale des souris
第二場/草臥れた鸛(こうのとり) La Cigogne lasse
第三場/眠りの精のお馬 Le Cheval de Ferme-l'Œil
第四場/お人形ベルタの結婚 Le Mariage de la poupée Berthe
第五場/石板の文字のロンド La Ronde des lettres boiteuses
第六場/絵のなかへお散歩 La Promenade à travers le tableau
第七場/支那の雨傘 Le Parapluie chinoisバレエの「第一場」から「第七場」まではピアノ曲の第一~第七曲に対応する(ただしピアノ版の第一曲は「二十日鼠の結婚 La Noce des souris」と題される)。登場する主題や展開もほぼそのまま踏襲されるのだが、「第三場」と「第五場」とで演奏時間を延ばすべく大幅に内容が膨らませてあり、「第五場」の後半には乳母が主人公の少年に歌いかけるアリアまで挿入された。
このバレエの粗筋は別稿ですでに紹介した。アンデルセンの原作『眠りの精のオーレ』は唖然とするほどに荒唐無稽な、些か後味の悪い物語でしかないのだが、実際の舞台はどうだったのだろうか。アンドレ・エレの装置や衣裳は一体どんなだったのだろう。寡聞にして小生はごく僅かしか知り得ないが、P-O・フェルーの評伝に収められたマケットの白黒図版から想像するに、エレの絵本をそのまま舞台に移し変えたようなスタイリッシュに洗練されたステージのようだ。シュミットの音楽と相俟った耳目の印象はどんなだったろう。こればかりは九十年前のオペラ=コミック座に足を運んだ観衆ならでは味わえぬ極上の愉悦だったのである。
肝腎なことが後回しになったが、在メッスの管弦楽団を率いた
ジャック・メルシエ Jacques Mercier(1945~ )の指揮ぶりはまことに目覚ましい。あらゆる細部を望むがままに彫琢し、生きた音楽表現として形象化する手腕はちょっと比類のないものだ。彼は数年前にも同楽団を指揮して同じTimpani レーベルからフローラン・シュミットのバレエ音楽「アントニーとクレオパトラ」ほかのアルバムを上梓しており、それも秀逸な出来だったし、前世紀末にはやはり無声映画《サランボー》にシュミットが作曲した附随音楽の世界初録音を(イル・ド・フランス管弦楽団と)手がけて評判になったことがある。シュミットの入念に手の込んだスコアを現代に蘇らせるうえで、メルシエほど適任の指揮者は考えられない。