昨日の雪はいっとき本降りになりかけたが呆気なく降りやんで、一夜明けたら跡形もなく消え失せてしまった。久しぶりに鈍色の空から舞い散る雪片を見上げていて、仕舞い込んでいたディスクの存在をふと思い出した。
《朗読と音楽で味わう 雪のひとひら / Snowflake by Paul Gallico》
ポール・ギャリコ=原作
矢川澄子=訳
井上鑑=音楽
矢野顕子&ピーター・ゲイブリエル=朗読
やまがたすみこ&デイヴィッド・ローズ=歌唱
仙波知司=企画・制作1992年、リアルワールド・ステュディオズ(バース)、D. K. ステュディオズ(NY)
東芝EMI disques Kizna TOCT 6917/18 (1993)
→アルバム・カヴァーどう紹介したらいいのだろうか、範疇としては文学作品の「朗読レコード」の類に入るのだが、このCDのため新作されたオリジナル音楽が加わる。ただし楽曲と朗読とは重なり合わず、交互に併走することで印象を高め合う。かてて加えて朗読部分は日本語、英語の両ヴァージョンが収録され、それぞれ
矢野顕子(!)と
ピーター・ゲイブリエル(!!)が語り手を務めるという贅沢な企てだ。
原作は今なお根強く読まれている米国作家
ポール・ギャリコ(1897~1976)による詩的な寓話『雪のひとひら Snowflake』。
矢川澄子の名訳で新潮社から出た(1975、今も新潮文庫で読める)。矢川さんは人も知る熱烈なギャリコ崇拝者で、ほかにも『さすらいのジェニー』『まぼろしのトマシーナ』『七つの人形の恋物語』『スノーグース』『トンデモネズミ大活躍』など多くの翻訳がある。
企画と制作にあたったプロデューサー仙波さんのHPから紹介文を引く。
井上鑑さん経由で「矢川澄子さんが『雪のひとひら』をCD化したがっている」という話を頂戴しました(井上さんと矢川さんは遠い親戚だとか…)。ポール・ギャリコの美しい原作はもちろん承知していましたので、すぐ了解。
朗読は矢野顕子さんにすぐ決まりましたが、井上さんからは「英語も作らない?」とのお申し出。でも…と返事を渋ると「ピーター・ガブリエル(ジェネシス)は、この本好きかも知れないよ」と驚くような提案が…。
井上さん経由でお願いをしたところ、即座に了承の返事。本当にご存知で、愛読書だったとのことでした。録音は英国バースにある彼のスタジオ。井上さんとともに渡欧の準備(立ち会ったところで、英国人に英語の朗読のディレクションなど出来っこありませんが!)を進め、来週にはロンドンへ…というタイミングで、「録音を終えてしまった、テープを送った」というファックスが届いてしまいました。
いっぽう矢野さんの録音はお住まいのあるニューヨーク。この本を読まれて「聖書の次に美しい本。感動しました」と録音に臨んでくれました。(使ったDKスタジオには、ジョン・レノンの家にあったコンソール-調整卓-がありましたっけ)。成程そういう経緯であったのか。元々のアイディアの出所は矢川澄子さんだという。それが瓢箪から駒が出る塩梅でこのようなCDになったのだ、と。仙波さんはあっさり事も無げに回顧するが、今になって考えると大がかりで冒険的な企画である。バブル時代の末期、といってしまうと身も蓋もなかろうが、レコード産業にまだ充分な余力があり、CDというフォーマットに潜在する可能性に期待がかけられた1990年代前半ならではの破天荒な発想の賜物だろう。今ではとても想像も及ばぬ豪勢な時代である。そもそも東芝EMIそのものがもう存在しないのだ。
ポール・ギャリコといえば、映画好きなら往年のミュージカル映画《リリー》の元になった掌篇『七つの人形の恋物語』や《ポセイドン・アドベンチャー》の原作小説の作者としてその名を銘記していようが、小生は第二次大戦中の英国に題材を得たベストセラー『白雁(スノーグース)』にまず出逢い、猫を主人公にしたファンタジー《ジェニィ(さすらいのジェニー)》へと読み進んだのだと思う。やはり猫を語り手にした "The
Silent Miaow" という写真集仕立ての愉しい本と古本屋で出くわし、これまた愛読したものだ(邦訳もあるが訳文が芳しくない)。元来ギャリコはスポーツ・ライターとして出発した人なので、この方面に取材したノンフィクションもあるらしいが、それらは寡聞にして知らない。
『雪のひとひら』(1952)は空から舞い降りた一片の雪を主人公にした寓話的なファンタジー。この一篇をこよなく愛する矢川さんのライナーノーツから引こう。
[・・・] はじめてめぐりあったのは、いまからもうふた昔もまえのことです。
手にとった瞬間からある予感がありました。70ページにもみたない小さな原書でしたけれど、そこにくりひろげられる世界は、はたしていままでに読んだどんな大文学にもおとらない豊かなスケールを具えていたのです。
語られているのは何の変哲もない、つつましいひとりの女の一生でした。古来この地上のあらゆるところで繰り返されてきたにちがいない、ささやかな女の生涯です。けれどもそれをこの作家は、ただの生身の女性ではなく、いのちの原形質ともいうべきひとしずくの水という、ぎりぎりのかたちにまで還元することによって、かえって自分の思想をもりこむための途方もない自在さを獲得してしまったのです。[・・・]ギャリコへの溢れんばかりの愛と崇敬が滲み出るような文章である。矢川さんは別の文章でギャリコの文学をゲーテ(!)に比肩するものと論じてさえいるのだ。彼女の手放しの絶賛に水を差すようで申し訳ないが、小生は『雪のひとひら』がちょっと苦手である。小さな雪片を命あるものと看做し、それを人間の生涯に擬える手法が如何にもあざとく、寓意があからさま過ぎて鼻白むのである。
だから本CDが出たときも腰が引けて、なんとなく現物を手に取らぬままに終わった。でもずっと気には懸けていて(なにしろ朗読者が凄い顔ぶれだ)、昨年ふとした偶然から中古盤で見つけ、やはり一度は聴いてみようと思ったのだ。
聴いてみてよかった。なにしろ矢野顕子の朗読が実に好もしい。彼女の声のもつ魅力といえばそのとおりなのだが、日本語のディクションが極めて自然で耳に心地よく、しかも深い共感が籠もっている。矢野はこの物語をかねてから愛読書としていて、矢川さんに拠れば「
聖書の次に感動的な」本だとまで褒めちぎっている由。仙波プロデューサーが本CDの語り手の人選に際し(所属レコード会社の違いを乗り越え)敢えて彼女に白羽の矢を立てた理由はそこにあるのだろう。彼が「
朗読は矢野顕子さんにすぐ決まりました」と述懐するのも宜なるかな。
聴きながら「成程そういうことか」とひとつ得心したことがある。
『雪のひとひら』は雪片にことよせて人間の生涯を語る寓話なのだが、その根底には人知を超えた大いなる者への崇拝と畏敬の念がある。「
何者かが存在するにちがいない。わたしたちをつくり、世にあらしめた何者かが」(矢川訳)。この造物主への無条件の帰依がどうやらギャリコの紡ぐ物語の核心にあり、それこそが(熱心なキリスト者であるらしい)矢野を夢中にさせ、小生のような無信心者を白けさせるのだ。そうだ、そうに違いない、朗読を聴きながら深く頷いたものだ。
それはそれとして、矢川さんの訳文(朗読されるのは本CDのため新たに準備された抜粋版)の耳から聞く日本語の美しさは特筆に値しよう。「ひとりごちました」「あろうことか」「夜来の雪」など些か古風な言い回しも無理なく織り交ぜ、淡々として平明で、しかも胸に沁みる文章なのである。名人の技というほかない。
二枚目は英語版。前述のとおりピーター・ゲイブリエル朗読である。
ロック界の大物がこの企画に快く賛同した経緯は詳らかでないが、こちらも予想以上に正統的な語り手だ。囁くような声だがよく響き、知的な語り口なのに驚かされる。英語版ではギャリコの原文そのままを読んでいるらしく、抜粋箇所は矢野顕子ヴァージョンと微妙に異なる(彼自身が選んだのだという)。
いずれにせよ矢野顕子やピーター・ゲイブリエルの熱心な愛好家にとって垂涎のアルバムということになろうが、その割に話題にならなかったようにも思う。当時どのくらい売れたのだろうか。再発は二度とないだろう。
随所に挿入されるムーディな音楽はまあ可もなく不可もないといった常套的な出来なのが物足りなくもあるのだが、ギャリコの物語を邪魔しないという点では及第点がつけられよう。ギャリコ好きなら一度は聴いてご覧になるといい。