こう標題を立ててはみたものの、そのあとグッと言葉に詰まってしまって後が続かない。なにしろ
ヴィトルド・ロヴィツキ Witold Rowicki(1914~1989)について小生の知るところは余りにも尠く、「ポーランドを代表する指揮者」だったという一事に尽きる。それ以外には殆ど何ひとつ知識がないのである。
遙か昔の1970年4月、あの大阪万博に際し彼もまたポーランド代表として手兵のワルシャワ・フィルを率いて来日公演を行い、その東京公演の模様はTVやFMで何度か見聞している。手元の手控帖には4月22日の条に、
ヴィットルト・ロヴィツキー/ワルシャワ・フィル
1950~ ワルシャワ・フィル指揮者・総監督 今年56才
と註記したあと、「4月8日、東京文化会館」としたうえで
モニューシュコ/序曲「おとぎ話」
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲 (独奏/コンスタンティ・クルカ)
ベートーヴェン/交響曲 第5番
モニューシュコ/マズルカ
と演目がメモしてある(最後の「マズルカ」はアンコールだろう)。ただし感想は何ひとつ記されておらず、いかにも地味なプログラムだから四十年以上も経った今となっては蘇る記憶は全くない。憶えているのはTVの案内役の大木正興が独奏者を紹介して「(クルカは前評判が高いので)いつ来るか、今来るかと心待ちにしていた」と駄洒落をかましたこと位だ。
小生がロヴィツキの名を最初に意識したのは1965年春のショパン・コンクールでマルタ・アルゲリヒ(当時の表記)が第一位になって、数年後その本選会(最終選考)の実況録音が出たときだったろう。同コンクールは五年に一度ワルシャワで催されるポーランドの国家的な文化行事であり、協奏曲の伴奏指揮をロヴィツキ&ワルシャワ・フィルが務めていたのである。
"Witold Rowicki: Chopin - Schumann - Brahms"
ショパン:
ピアノ協奏曲 第一番*
ピアノ協奏曲 第二番**
シューマン:
ピアノ協奏曲***
ブラームス:
ヴァイオリン協奏曲****
ピアノ/マルタ・アルヘリッチ*
ピアノ/アルトゥーロ・モレイラ=リマ**
ピアノ/スヴャトスラフ・リヒテル***
ヴァイオリン/コンスタンティ・アンジェイ・クルカ****
ヴィトルド・ロヴィツキ指揮
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団
1965年3月13日、ワルシャワ、フィルハーモニー・ホール(実況)*
1965年3月15日、ワルシャワ、フィルハーモニー・ホール(実況)**
1958年10月11、12日、ワルシャワ、フィルハーモニー・ホール***
1976年7月1日、ワルシャワ、フィルハーモニー・ホール****
Muza (Polskie Nagrania) PNCD 471 A/B (1999)
→アルバム・カヴァーロヴィツキの歿後十周年を機に、何種類か纏めて出た追悼シリーズのひとつ(二枚組)。くだんのショパン・コンクール実況録音(一位のアルヘリッチと二位のモレイラ=リマ)に加え、リヒテルと共演したシューマンの協奏曲(昔ドイツ・グラモフォンからも出た録音)、そして例のクルカを独奏者にしたブラームスの協奏曲(これは初めて聴く)まで収録されている。
一聴して明らかなのはロヴィツキの伴奏指揮者としての手堅い腕前である。本選会でコンクール参加者にピタリと寄り添うさまは、極度の緊張に苛まれた若者たちにとってどれほど心強かったことだろう。独奏者に優しく随伴しつつ果敢な自己主張も怠らない。まさに理想的な協奏曲のありようだろう。
因みに、この1965年の最終選考の様子は当時のポーランドのTV映像としても残されていて、断片的ながらDVDで観ることができる。
《ショパン国際ピアノ・コンクールの記録 ワルシャワの覇者(3)
コンクールの歴史──第6回/第7回/第8回》
Gakken GDC 1003 (2001)
このうちの「第七回」が1965年であり、マルタ・アルヘリッチ(一位)、エドワード・アウアー(五位)、遠藤郁子(八位)の予選会での独奏に加え、本選会や審査発表のクリップも収録されていて、ここでアルヘリッチ、モレイラ=リマ(二位)、ソシンスカ(三位)、中村紘子(四位)、アウアーの本選(協奏曲)に伴奏するロヴィツキの手堅く丁寧な指揮ぶりが垣間見られる。ロヴィツキが控室の隅の椅子で煙草をふかす光景や当時二十歳で最年少の入賞者だった中村紘子に何事か語りかけて緊張をほぐす場面もあって、微笑ましくも臨場感たっぷりなのだ。
先のCDに話を戻すと、1965年という早い時期に明瞭なステレオで実況録音が残されたのが貴重だし、本選でのアルヘリッチの第一協奏曲はいつ聴いても昂奮させられる。憑依したかのような凄絶なピアノだ。冒頭の管弦楽だけの序奏が短く刈り込まれているのも、ショパンの耐え難く下手糞なオーケストレーションと長々付き合わずに済むので個人的には難有い。
"Artur Rubinstein w Filharmonii Narodowej"
ショパン: ピアノ協奏曲 第二番
ブラームス: ピアノ協奏曲 第二番
アルトゥール・ルビンシュタインとの対話*
ブラームス: ピアノ協奏曲 第二番(リハーサル)
ショパン: ポロネーズ 変イ長調 作品53(アンコール)
ピアノ/アルトゥール・ルビンシュタイン
ヴィトルド・ロヴィツキ指揮
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団1960年2月22日、ワルシャワ・フィルハーモニー・ホール(実況)
1979年10月26日、ワルシャワ*
Muza (Polskie Nagrania) PNCD 332 A/B (1997)
→アルバム・カヴァー1960年のショパン・コンクール(第六回)に際し審査委員長として里帰り中だったルビンシュタインが催した記念演奏会の実況録音。驚いたことにこちらも正真正銘ステレオ収録である。七十三翁の矍鑠として絢爛たるピアノが聴きものだ。
四十六歳の誕生日を目前にしたロヴィツキは老大家との共演でも遠慮や委縮は微塵もなく正攻法の音楽を繰り出す。とりわけ構えの大きなブラームスが素晴らしい。同曲の正規盤におけるミュンシュやオーマンディに一歩も引けをとらぬ堂々たる巨匠の指揮ぶりである。
これほどの人なのだから、ブラームスの交響曲はさぞかし得意だった筈だと確信し、このたび中古CDを註文して試みに聴いてみた。
"Brahms: Symphonies Nos. 1 & 3"
ブラームス:
交響曲 第一番
交響曲 第三番
ヴィトルド・ロヴィツキ指揮
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団1961、1962年、ワルシャワ
Altara archive ALT 1006 (2005)
→アルバム・カヴァー"Brahms: Symphonies Nos. 2 & 4"
ブラームス:
交響曲 第二番
交響曲 第四番
ヴィトルド・ロヴィツキ指揮
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団1960、1962年、ワルシャワ
Altara archive ALT 1009 (2005)
→アルバム・カヴァー一聴して驚いた。予想を遙かに上回る素晴らしいブラームスである。とりわけ滅多に聴き通すことのない「第一」(押し付けがましい物々しさが苦手なのだ)が威風堂々と力の漲った演奏なのに吃驚。ロヴィツキはなんとなく同世代のカレル・アンチェルと同列に置きたくなる存在だったが、そのブラームスはむしろロマンティックな共感に溢れており、ザッハリヒな解釈とは一線を劃する。戦前のドイツの指揮者たちからの感化を想像したくなるが(第二次大戦中クラクフでヒンデミットの弟で指揮者のルドルフ・ヒンデミットに師事した由)、彼の出自や修業時代について大した知見を持ち合わせないので、これ以上の推測は差し控えよう。とにかく意気軒昂なブラームスを確信とともに謳い上げる人だ。手兵ワルシャワ・フィルのアンサンブルは最上級ではないが十二分に健闘している。
四曲の交響曲はそれぞれに個性的な名演だが、最も感動的なのは「第三」かもしれない。心の籠もった纏綿たる歌が随所で聴かれる一方で、激越なダイナミズムにも不足はない。柔と剛のバランスをとるのがなかなか難しい曲なのに、ロヴィツキは実に巧みに難所を切り抜け、テンポの伸縮の宜しきを得て、冒しがたい威容と品格の備わった理想的な「ブラ3」を実現させた。
ともあれ、彼のブラームス交響曲全集が良好なステレオで遺されたのは後世の私たちにとって何よりの贈物だろう。まずはこれを誰彼となく推奨したい。
このほか書庫には彼が指揮するシマノフスキが何枚かあった筈なのだが、どうやら友人に長期貸与したままらしく見当たらない。最も重要なレパートリーだっただろう同時代のポーランド音楽(ペンデレツキ、バイルド、セロツキ、キラール)を集めたアルバムも行方不明だ。いやはや情けない限りである。
かくなるうえは、とばかりに意を決して先日ちょっと御茶ノ水に出た際に中古店で探し出してきた「決定的な」一枚を最後に聴こう。
"Witold Lutosławski - Witold Rowicki"
ルトスワフスキ:
管弦楽のための協奏曲
弦楽のための葬送音楽
ヴェネツィアの遊戯
ヴィトルド・ロヴィツキ指揮
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団1964年、ワルシャワ
Philips 426 663-2 (1990)
→アルバム・カヴァー思っていたとおり、全き共感に貫かれた熱く激越な演奏である。それもそのはず、ルトスワフスキの出世作となった冒頭の「管弦楽のための協奏曲」はロヴィツキの奨めと励ましによって作曲され、彼とワルシャワ・フィルによって初演され、彼に献呈された曲なのだ。自家薬籠中の演奏とはこういうものだろう。
今やこれらの曲は現代の古典と目され、ルトスワフスキの自作自演を筆頭に、数多の同曲異演が巷に溢れているだろうが、だからといって、この「はじめの一歩」たる演奏が色褪せてしまったとは断じて云えないだろう。同時代の擁護者ならではの一期一会としての名演といったらよいか。これまた必聴盤である。
最後の最後に、少しだけ息抜きして、ちょっといい話を。日本人でロヴィツキの思い出を語らせるなら、やはりこの人を措いていないだろう。中村紘子さんである。ロヴィツキが読売日本交響楽団を指揮した「新世界」のEP盤(!)のライナーノーツに、彼女はこんな馨しい挿話を綴っていた。ここに全文を引かせていただくのを、どうかお赦しいただきたい。題して「
ロヴィツキ夫人のコーヒー」。
コーヒーを飲んでいるとよく思い出すのは、大のコーヒー党であるロヴィツキ氏とその小柄で優しいヤシュカ夫人のことだ。
ある時、私はワルシャワでの追加公演で急にチャイコフスキーの協奏曲を弾くことになって、あわてたことがある。そこで私は、もうメンバーも皆帰ってしまったワルシャワのフィルハモニアの、恐しいほど静かで暗くガランとしたホールに残って、一人猛練習をすることにした。やがて夜も更け、草木も眠る丑満時、ふとどこからか足音が近づくのが聞えてきたのだ。ゾクッとしてふり返ると、思いがけずもロヴィツキ氏だった。
「ヤシュカからだよ、よろしくって」
と云って彼が差し出した大きなバスケットの中には、熱いコーヒーのたっぷり入った魔法ビンにサンドウィッチ、リンゴにオレンジに、ホームメードのフルーツケーキに、そしてチョコレートまで入っているではないか!
「ヤシュカが御成功を祈りますって・・・・・・。コーヒーは例によってお砂糖なしだね?」
そう云ってカップに注いで下さったあの一杯のコーヒー、深夜のフィルハモニアでロヴィツキ氏と飲んだあの熱い香りを、私は一生忘れることができないだろう。──"Echo Library of World's Classic Music" 40(学研 SG541、1973)