昨日は家人に誘われちょっと上野まで出向く。思いのほか気温が上昇、陽射しも暖か。冬枯れた不忍池を眺めていたら正午を回り、空腹を覚えたので池之端の「伊豆榮」別館(不忍亭)で昼食、家人は「鰻のせいろ蒸し」ランチ、小生は「鰻重」の竹(中位の大きさ)。季節外れだが鰻は久しぶりだったので旨い。ややご飯が少なめだが、これから歩く身にはこの位がちょうどいいか。
そのあと腹ごなしに界隈をぶらぶら散策、広小路の「酒悦」本店で「元祖福神漬」と「蕗の薹の漬物」を手にした。後者は今の季節しか手に入らぬ逸品でとても美味。そのあと再び池のほとりを暫くぶらついたあと、ふと思い立って湯島の
旧岩崎邸庭園を再訪してみた。広大な敷地にジョサイア・コンドル(コンダー)が三菱の当主だった岩崎久弥の依頼で設計した由緒ある建物が佇む。明治二十年代の本格的な洋館が今の時代まで残ったのは奇蹟に近い。木張りの内装や舶来タイル、金唐革紙製の豪奢な壁紙に目を瞠りつつ部屋部屋を観て回ると、しんしんと冷えてきた。暖房の入らない洋館は凍えるほど寒いのだ。体の芯まで冷えきったので、別棟の和館で抹茶と白玉善哉で暖をとりつつ一息つく。
見学を終えて帰りしな、同じ敷地内に見馴れぬ新しい建物が建っているのに気づく。「国立近現代建築資料館」と看板が出ている。昨年春に開館した施設だそうで文化庁の直轄だという。入館には「事前申し込みが必要」とあり、いかにも敷居が高く無愛想で物々しい雰囲気だが、旧岩崎邸入園者は無料で入れるというので恐る恐る入館。ここで「
人間のための建築 建築資料にみる坂倉準三」なる展示を拝見。思いがけずこれはちょっとした見ものだった。
坂倉準三といえば鎌倉の神奈川県立近代美術館の設計者として、美術愛好家には忘れがたい存在である。戦前ル・コルビュジエの設計事務所で永く働き、正統的な近代建築を日本に移植した。鎌倉の美術館は戦後間もない彼の代表作なのだ。ほかに映画上映で足繁く通った飯田橋の東京日仏学院や、先年取り壊された渋谷の東急文化会館(最上階の懐かしいプラネタリウム!)、青山に今も残る岡本太郎邸(岡本と坂倉はパリ留学時代の仲間だった)、更には新宿西口広場(あの騒擾の現場だ)も彼の設計なのだという。今回の展示は専ら設計図面と模型と写真のみという地味な内容(建築展の通弊である)だが、とりわけ神奈川県立近代美術館の図面が数多く展示されていて、坂倉ならではの繊細な配慮が古びた図面から立ち上る。建築家の入念な仕事ぶりがひしひし伝わるのが一番の見どころだろう。その鎌倉の美術館が今や存亡の危機に瀕している折から、本展の発信するメッセージは自ずと明らかであろう。帰りに事務所に立ち寄り、展覧会カタログ(なんと無料!)を頂戴した。薄冊だが美しく有用な内容である。
まだ少し余力があったのでお屋敷の脇の無縁坂をゆるゆる上って鉄門から東大構内へ。病院の脇を抜け、三四郎池、安田講堂、銀杏並木、附属図書館前の遺跡発掘現場を冷やかした。家人曰く「ここの雰囲気はどうにも好きになれない。そこらじゅう嫌なプレッシャーが立ちこめ、学生たちもおしなべて無表情」。確かにそうだ、このキャンパスにはなにやら名状しがたい陰鬱で不吉な威圧感があって、歩いているだけで神経にさわる。とても長居できる場所ではなさそうだ。すごすご赤門から退散、「三原堂」で最中と羊羹を購い、「上島珈琲店」で一息ついて本郷三丁目から地下鉄で帰途に就いた。