クラウディオ・アッバードの実演に触れたのは後にも先にも唯一回きりだ。1973年3月20日、ウィーン・フィルとの初来日公演の初日である。演目はブラームスとベートーヴェンの第三交響曲を並置しただけという潔いプログラム。
ウィーン・フィルを生で聴くのは初めてだったから、東京文化会館の天井桟敷に陣取って、期待で胸が高鳴るのを抑えきれなかった。途轍もない名演が聴けるのではないか、とわくわくした。
だが期待はあっさり裏切られた。たしかにウィーン・フィルの美音は高度に洗練され、人を酔わせずにおかぬ魅惑があったと思う。それにひきかえアッバードの指揮は没個性の一語に尽きた。よくいえば自然で無理のない音楽なのだが、そこには自己主張の欠片もなく、老練なオーケストラにただ乗っかって木偶のように振っているという印象しかなかった。凡庸な優等生といったところか。
その印象を上書きしたのがアンコールで奏された「美しく青きドナウ」。ウィーン・フィルにとって看板というか名刺代わりというか、全員が暗譜で演奏できる手慣れた曲であろう。当夜の演奏もごく淡々と始まり、さりげなくウィーン訛りを振り撒きながら何事もなく進行した。ところが中間部のなんでもない繰り返しの箇所で、ピッコロが何小節も早く飛び出すという派手で粗忽で致命的なミスをやらかし、思わずハッとさせられた。天下のウィーン・フィルが、こともあろうに「青きドナウ」で間違えるものか、と会場全体が一瞬どよめいたものだ。
一部始終をオペラグラス越しに目撃して、生意気盛りの大学生は即断した──ああやっぱりそうか、碌にリハーサルもせず本番に臨むからこうなるのだ、この若造は完全にオーケストラから嘗められているな、そもそも彼は的確な指示をまるで放棄していたぢゃないか、と。アッバードの悪印象はかくして定まった。
それから幾星霜、アッバードはスカーラ座やベルリン・フィルのシェフを歴任し、病を克服していっそう深淵な音楽を手中にしたと仄聞するが、小生は永くクラシカル音楽と無縁な生活を送ったこともあって、四十年前の悪しき偏見を払拭する機会を遂に逃したまま今日に至っている。だからアッバードを追悼する資格なぞ全くないのはよくよく自覚している。
だから今夜は黙ってこのまま寝てしまってもよいのだが、まてよ、とも思う。手許には少数ながらアッバードの指揮した鍾愛のディスクがあって、それを聴いて故人を懐かしむこと位は許されるだろう。たまたま三年半ほど前そうした一枚を紹介した拙レヴューがあるので、それを丸ごと再録することで彼を密かに偲ぼう。奇しくもその標題を「私はこの世から姿を消した」という。
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足かけ十二年に及ぶクラウディオ・アッバードのベルリン・フィル在任時代については未だに評価が定まらず、毀誉褒貶相半ばするところではなかろうか。
前任者カラヤン、前々任者フルトヴェングラーに較べ、芸術的個性に強烈なカリズマ的な訴求力を欠いていたこと、本来なら数十年続くはずの任期(フルトヴェングラーは三十三年、カラヤンは三十五年)が思いがけず病により断ち切られてしまったことなど、伯林でのアッバードには不遇な印象が付き纏う。
アッバードの最大の功績は定期演奏会に興味深い通年テーマを持ち込み、それに沿って凝りに凝った選曲を施したことではなかろうか。ベートーヴェン、リスト、スクリャービン、ノーノを連ねた「プロメテウス」特集(1992)、ブラームス、シュトラウス、レーガー、リームを繰り出した「ヘルダーリン」特集(1993)など、凡百の指揮者には考えも及ばぬ啓蒙的かつ挑発的なプログラムだったといえよう。それらが実演と並行してCDとしても残されたのは我々にとって僥倖だった。
ところが21世紀に差し掛かる頃からレコード業界にも不況の波が押し寄せ、ちょうどその時期がアッバードの闘病休養期に重なったこともあって、途中から意欲的な取り組みはディスクに記録されることが絶えてなくなった。なんとなく表舞台からひっそり立ち去る感じでベルリンを後にしたのである。
そのアッバードのベルリン在任最後のコンサートの実況録音(正確にはファイナルの一日前の演奏会)というのを先日たまたま手にした。こんなディスクが出ていることすら知らなかった。
"Claudio Abbado - Farewell Concert as Music Director
- Berliner Philharmoniker"
ブラームス: 運命の歌*
マーラー: リュッケルトによる五つの歌**
ショスタコーヴィチ: 『リア王』(作品58a+137)***
クラウディオ・アッバード指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
メゾソプラノ/ヴァルトラウト・マイアー**
メゾソプラノ/エレーナ・ジトコーワ***
バス/アナトーリー・コチェルガ***
エリック・エリクソン指揮 スウェーデン放送合唱団* ***
2002年4月25日、ベルリン、フィルハーモニーザール(実況)
Live Supreme LSU 1061/62 (CD-R, 2003)
これが当夜のプログラムのすべてである。素晴らしい演目だ。しかも筋が通っている。ヘルダーリン=ブラームスの「死すべき者の定め」、リュッケルト=マーラーの「厭世と諦念」、そしてシェイクスピア=ショスタコーヴィチの「老年を見舞う悲劇的運命」。ずっしり重たい手応えのメッセージが籠められている。告別演奏会にありがちなマーラーの第二交響曲などより遙かに腑に落ちる。流石プログラムづくりの名手だけあって、有終の美のなんたるかを知り尽くした選曲といえよう。
「運命の歌」は既に「ヘルダーリン」特集でも採り上げたアッバード得意中の得意の曲、エリクソン&スウェーデンの秀逸な合唱が錦上花を添える。
マーラーの「リュッケルト歌曲集」もそれまでアッバードが幾多の歌手と共演した(恐らくは)鍾愛の曲。マイアーの豊麗な声に翳りが足りないが、ここまで歌われれば文句はない。曲順は「私の歌を覗き見ないで!」「貴方が美を愛でるなら」「私は馨しい香りを嗅いだ」「真夜中に」「私はこの世から姿を消した」。短い曲から長い曲へと連ねた異色の配列だが、それだけ諦感はしみじみと心に沁みる。
コンサート後半は更に意欲的な選曲である。ショスタコーヴィチの「リア王」──スクリーンに映像を投影しながらの演奏だ。
言うまでもなく最晩年の作曲家が永年にわたる盟友グリゴリー・コージンツェフ監督(無声映画《新バビロン》からの付き合いだ)の劇映画(1971)に附曲したものだが、アッバードは映画音楽をただ奏するのでなく、そこに第二次大戦中に作曲された劇音楽(1940)を織り交ぜて(声楽が入るのはすべてこちら)、七十分余の一篇のカンタータとして聴けるようアレンジした。独自の新版なのである。
この果敢な試みが成功だったかは映像抜き、ただ音だけの鑑賞ではなんとも云えない。いきなり音楽に混じって映画からの物音や台詞が聴こえてくるので正直とまどった。だが暫くするうち、三十年を隔てたふたつの《リア王》は渾然一体となって、ひとつの抗いがたい宿命の悲劇を粛々と紡ぎ出す。作曲家自身はこのアレンジを承服しないかもしれないが、これはこれで面白い行き方ではないか。そう思わせるだけの説得力がこのアッバードの演奏には確かにある。
当初の目論見ではこの「リア王」をメインに、ブラームスの「アルト・ラプソディ」と組み合わせる予定だったものをアッバードは更に練り上げ、「運命の歌」「リュッケルト」「リア王」のトリプティックに仕立てたのが当夜の演目。「与えられた過酷な運命を甘受する」というメッセージがひしひしと伝わる。
この成功に力づけられたのであろう、アッバードは翌2003年2月のマーラー室内管弦楽団との楽旅で同じショスタコーヴィチの「リア王」の音楽を採り上げ、今度はベルリオーズの合唱曲「トリスティア」と組み合わせて奏している。
自ら有終の美を飾ろうとするアッバード一世一代の企てを、ゆかりの深いレコード会社だった筈の Sony も Deutsche Grammophon も一顧だにしなかった。ベルリン最後の演奏会がこの非公式の海賊盤でしか聴けないとはなんともはや嘆かわしいことだ。