所用で自転車に乗って外出したら寒いのなんの。体が芯まで凍えてしまったので珈琲で一服。朝食を食べていなかったので、十時のおやつに軽く菓子を摘まむ。
このところ愛好しているのは「
ガリバルジー」という名のパイ菓子。「三育フーズ」の商品だ。四センチ四方の小さな正方形のパイを二枚重ね、甘く煮た果物が挟んである。「ガリバルジー レーズン」(
→これ)と「ガリバルジー アップル」(
→これ)の二種類があり、どちらも淡泊な味で仄かに甘く、そこそこ旨い。
「ガリバルジー」とは不思議な名称である。パッケージには "Garibaldi" とあり、この綴り字はイタリア統一運動の立役者ジュゼッペ・ガリバルディとスペリングがおんなじだ。両者には何か関係があるのだろうか。パッケージにはなんの説明もないので少し調べてみた。こういうとき、英語版のウィキペディアは頼りになる。ちゃんと "
Garibaldi biscuit" の立項がある!
ガリバルディ・ビスケットとは潰した干し葡萄(currants)を二枚の薄いビスケット生地(biscuit dough)の間に挟んだもの──カラント・サンドウィッチの一種である。製法においてエクルズ・ケーキと共通点がいくつもある。
ガリバルディ・ビスケットは百五十年以上も英国の消費者の間で好まれ、紅茶や珈琲とともに広く供される。内輪の会食の場では飲物に浸しても食する。ニュージーランドその他の国々では異なった名称のものも存在する。
そしてその「歴史」の項にこう説かれている。
ガリバルディ・ビスケットはイタリアの将軍でイタリア統一運動の指導者だったジュゼッペ・ガリバルディに因んで命名された。ガリバルディは1854年、英国のタインマス(Tynemouth)を訪れて喝采を浴びた。1861年、バーモンジーのビスケット製造会社ピーク・フリーンズ(Peek Freans)は、カーライルのビスケットつくりの名人ジョナサン・カーを入社させて、このビスケットを新たに製造した。アメリカ合衆国ではサンシャイン・ビスケット社が永年にわたり「ゴールデン・フルーツ」の名称でレーズン入りガリバルディの人気を高めた。[以下略]
なるほど、やはりそうか、かのガリバルディ将軍に因んだ命名だった。だが肝腎の点、すなわちレーズンを挟んだビスケット・サンドが英国で何故イタリアの英雄と結びつくのかは正直よくわからない。まあ要するに便乗商法だったのですね。
この「三育フーズ」製「ガリバルジー」を小生は近所のスーパーで見つけ、思わず「おゝ」と小声で叫んでしまった。というのも、同じ名の食材がアーサー・ランサムの連作冒険物語(いわゆる「ランサム・サーガ」)の第八作『ひみつの海 Secret Water』(1939)に登場しているからだ。まずはランサムの原文から引く。
"Two dozen tins of milk," said Suzan. "Eleven ... No ... twelve
tins of soup."
"Monsters," said Roger.
"Three big tins of steak and kidney pie. ... Three tongues."
"Oh good!"
"Three tins of pemmican. ... Six tins of sardines. ... One tin of
golden syrup. ... One stone jar of marmalade. ... Six boxes of
eggs. ... One dozen in each box."
"Why such a lot of eggs?" said Roger.
"You and John always have two for breakfast and one each for
the rest of us. ... That's seven at a single meal. ... And what about
scrambled egg suppers? Come on ... Roger, it's no good counting
apples in their crate. You can't see through them. You be putting
the tins in the store tent. Four packets of cornflakes. Six loaves of
bread. The bread and the cornflakes'll have to be kept in one of
the boxes. One tin of ginger nuts. ... One tin of biscuits. ..."
"Can I tear the paper off?" said Roger. "Good. Garibaldi. That's
squashed flies. What about opening this box? We're bound to
want to ..."
「ランサム・サーガ」を愛読した方なら先刻ご承知のとおり、この連作小説はとにかく描写が微に入り細を穿つ。湖沼地帯の自然の細部からヨットの各パーツの説明、子供たちが野営するテント生活の細々したディテールまで。どんな些末な部分も疎かにせず、それこそ目に見え、手に触れるように綿密精確な描写を特色とする。そこが諄くて煩わしいと感じる向きは永久にランサマイト(ランサム愛好家)たる資格を得られず終わるだろう。
上に引いたのは主人公のウォーカーきょうだい(ジョン、スーザン、ティティ、ロジャ、それに末っ子のブリジット)が秘密の海へと冒険に乗り出し、上陸した島で持参した糧食を点検する場面である。ミルク缶、スープ缶、肉入りキドニー・パイの缶詰、タンの缶詰、ペミカン(ランサマイトには馴染の保存食)の缶詰、鰯の缶詰、缶入り糖蜜、陶壺入りマーマレード、卵、林檎、コーンフレーク、そして食パン。
かくていよいよ「ガリバルジー」の登場である。つい最近に出たばかりの神宮輝夫さんの新訳(岩波少年文庫版)の該当箇所(上の英文の途中から)を引かせていただく。前半の語り手は長女スーザンである。
「[・・・] さあ、さあ・・・・・・ロジャ、箱にはいってるリンゴなんか、かぞえてもむだ。中側は見えないんだから。あなた、缶詰を倉庫にしまって。コーンフレークが四袋。食パンが六斤。パンとコーンフレークは、箱の中にしまっておかなくちゃいけないわね。ショウガ入りビスケットの缶が一つ・・・・・・別のビスケットの缶が一つ・・・・・・」
「包み紙をやぶいてもいい?」と、ロジャがいった。「よかった。ガリバルジー印だ。これ、スカッシュフライ・ビスケットなんだ。ねえ、この缶をあけたら? どっちみち、ぼくたち・・・・・・」
口喧しく世話好きの姉と好奇心旺盛な弟との遣り取りが目に浮かぶようだ。こうやって食材名をいちいち列挙せずにおかぬところにランサム・サーガの真骨頂がある。そしてこのくだりに「ガリバルジー印」のビスケット缶が登場する。
その直前に出てくる「ショウガ入りビスケットの缶」にも註釈が必要だ。原文では "One tin of ginger nuts" とあり、うっかり「生姜で味付けしたナッツ」と訳しそうになるが、流石に神宮さんはわかっておられる。「ジンジャー・ナッツ」とはナッツの類ではなくビスケットの名称なのである。生姜入りの円形ビスケットで、恐らくその形状から「ナッツ」と呼び習わされるものだ(→これ)。
ロジャーはそのあと別のビスケット缶に目を留め、包装紙を破って中味を確認しながら「よかった、ガリバルジー印だ。これ、スカッシュフライ・ビスケットなんだ」と思わず口にする。この「スカッシュフライ」とは何か?
正しく表記するならば「スクワッシュド・フライズ squashed flies」。そのまま逐語訳するならば「叩き潰した蠅」(!)を意味する。一見して度肝を抜かれる表現だが、実はこれが「ガリバルディ・ビスケット」の別名なのだ。英語版ウィキペディアではその「形状」の項で丁寧にこう説明する。
英国のスーパーマーケットに並ぶとき(銘柄はいくつかあるが、どれもそっくりである)、ガリバルディ・ビスケットは五枚ずつ四列に小分けして包装される。黄褐色に焼き色がつき、程よい甘味をもつ練り菓子である。その最大の特色はやはりすり潰したフルーツの層にあり、そこから俗に「蠅サンドウィッチ fly sandwiches」「蠅の墓場 flies graveyards」「死んだ蠅のビスケット dead fly biscuits」あるいは「潰れた蠅のビスケット squashed fly biscuits」などとも呼ばれる。すり潰したフルーツの形状が潰された蠅に似ているからである。
いやはや吃驚仰天である。美味しいビスケットに「潰れた蠅」はないだろうに!
つまりこういうことだ、好奇心から包み紙を破いたロジャは缶に "Garibaldi" の文字を確認するや否や、その俗称である "squashed flies" を口にしたのである。さぞかし大好物だったのだろう、「やった~、ガリバルジーだ~、潰れた蠅なんだよネ、これは」と思わず喝采を叫んだのだ。
ひとつふと気づいたことがある。神宮さんは旧訳でも新訳でも "Garibaldi" を「ガリバルジー印」と訳しているのだが、これは恐らく誤訳、といっては言い過ぎだが、あまり感心しない訳語である。というのも、19世紀に売り出された当初はともかく、20世紀に入ると「ガリバルディ・ビスケット」は各メーカーが競うように製造しており、商標登録のない「ガリバルディ」はレーズン・サンド・ビスケットを示す一般名称として流布していたからだ。現今も英国では各社のガリバルディ・ビスケットが売られている(→Crawford's →Waitrose →TESCO →ASDA)。
そういえば、わが「三育フーズ」の「ガリバルジー」も、パッケージのどこにも®マーク表示がなく、この呼称が一般名称であることを問わず語りしている。
という訳で、"Garibaldi" は登録商標でも特定の商品名でもないのだから、ただ「ガリバルディ」もしくは「ガリバルジー」と称すべし。「ガリバルジー印」と訳すのはちょっとおかしい。いやなに、だからどうだ、という問題ではないのであるが。
追記)
この記事を書き終わって、わがランサマイトたちがこの件に関して何か書いてないか調べてみると・・・あったあった、やはりありました。
→ガリバルジー印のスカッシュフライ・ビスケット (foggykaoruさん)
→ガリバルジー/スカッシュフライビスケット (Titmouseさん)
熱心な諸先輩方の飽くことのない探求心に心から敬意を表します。