昨日はまだ暗いうちに家を出て終日お仕事、終日バスに添乗し神奈川の美術館を三か所も巡った。最初の神奈川県立近代美術館葉山館で展覧会「
ユートピアを求めて ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム」を観る機会に恵まれたのは僥倖だ。世界的に知られたポスター収集家の松本瑠樹の旧蔵コレクションから選り抜きの二百余点を会場いっぱいに並べる豪壮な展覧会である。もっと早く観て紹介すべきだったが愚図愚図していて終盤間近にやっと滑り込む形となった(同展は1月26日まで。秋に世田谷美術館へ巡回)。
松本氏のポスター収集については、もうだいぶ前になるが東京都庭園美術館でカッサンドル展(1991)とロシア・アヴァンギャルド・ポスター展(2001)でかなりの数を纏めて観る機会に恵まれたが、氏のターゲットはやがて1920年代のソ連の映画ポスターの名手
ステンベルグ兄弟に絞り込まれ、その作品だけで五百点以上も蒐めた由。途方もない情熱の成果は1997年ニューヨーク近代美術館での「ステンベルグ兄弟展」に結実したことは夙に知られていよう。その際の展覧会カタログも手許にある。だから本展の展示内容は観ないうちからある程度は想像できたのであるが、いざ実見してみると視覚的に強烈なポスター群がそれこそ「これでもか」とばかり繰り出されてくらくら立ち眩みがする。
会場でしばし呆然と佇んでいたら、この展覧会を企画した学芸員の籾山昌夫さんに声をかけられた。籾山さんのご教示によると、松本氏のポスター・コレクションは最終的には二万点(!)にも膨れ上がった膨大なもので、古今東西のポスターのあらゆる領域をもカヴァーするものだという。しかも生前の氏は自前のポスター・ミュージアムの構想も目論み、そのための土地まで用意していたらしい。志半ばでの早すぎる死が惜しまれる所以だ。
ずらりと並んだステンベルグ兄弟のポスターのどれをとっても、映画の一場面や登場人物の顔が大胆なやり方で配置されるのが特色だ(
→アブラム・ローム監督作品《裏切者》1926、
→セルゲイ・エイゼンシュテイン監督作品《十月》1927、
→ジガ・ヴェルトフ監督作品《カメラを持った男》1929)。
前々から不思議に思っていたのだが、これらの人物イメージはスチル写真そのものではなく、それを模して描画された絵である点が前々から気になっていた。写真をそのまま利用しなかったのは、何か時代的な制約があったのだろうか。その点を籾山さんに訊ねると、「
当時すでにその技術はあったから、やろうと思えばできたのだけれど、写真製版は費用的に高くつくので、それなら手っ取り早く描いちゃえ、というわけでステンベルク兄弟は絵で代用したのです」と明快な答えが即座に返ってきた。なるほどねえ、さすがは企画者だけあって、なんでもよくご存じだ。この技法的決断が映画ポスターのインパクトを強めたことは疑いない。
悔しいのはポスターが告知する肝腎の映画が殆ど未見だという点である。1920年代なので無声映画なのは当然だが、本邦未公開の作品が殆どで、どんな映画なのか皆目わからずに隔靴掻痒。ステンベルグ兄弟はほかにもソ連が輸入・公開した米・独・仏・伊の外国作品のポスターも少なからず手がけているが、これまたルットマン監督作品《伯林 大都會交響樂》(
→これ)以外は未見のものばかり。云うまでもなく、責めを負うべきは無知蒙昧な当方なのであるが。
率直な感想を述べるならば、大枚を叩いて蒐集した松本氏には申し訳ないのだが、これらの映画ポスターが当時のソ連グラフィック界の最高水準を示しているかと云えば、必ずしもそうは肯んじられぬ気がする。斬新で人目を惹くデザインも、数多く観ると意外にワンパターンの虚仮脅かしで、最初は奇抜に思えても次第に手の内が見えて飽きがくる。細部の詰めが甘く、文字の配置もお座成りで、全体としては大味で俗っぽい印象ばかり鼻につく。要するにステンベルグ兄弟は二流のデザイナーだったのだ。そのようにきっぱり断ずることができたのも本展ならではの功徳といえるだろう。籾山さんには正直にそう申し上げた。
ステンベルグ兄弟にどうしても厳しい採点をつけてしまうのは、その後すぐ次の部屋で
グスタフ・クルーツィスの手がけた1930年代初頭のプロパガンダ・ポスター群を目にしてしまった結果でもある(
→葉山での展示風景、
→《五か年計画第一年の成果と1929~30年の統制数値──労働》1930、
→《労働者諸君・諸嬢よ、こぞってソヴィエト選挙へ》1930、
→《播種作業に突撃するコムソモール》1930、
→《われらが借りた石炭を国家に返そう》1931)。
いや~もの凄い迫力だ。格好いいなあ。写真を組み合わせたレイアウトが際立って鮮やか。視覚的インパクトは圧巻で思わず震えがくる。クルーツィスの体制翼賛ポスターには底知れぬ恐ろしさすら漂う。嘘で固めたプロパガンダをついうっかり信じてしまいそうになるからだ。その意味で、これらはポスター史上またとなく効果的で呪縛的(それ故に禍々しく犯罪的)な傑作群ということになろう。
そのクルーツィスすらが大粛清の嵐のなか無実の罪で逮捕され、スターリンの命により銃殺されたというから、なんともはや血も凍る恐怖の時代だった。
そんな次第で震えがくるような体験とともに会場をあとにした。最悪の非道な政権下に最高の宣伝美術が随伴するという奇怪な現象に、20世紀とはそういう時代なのだと否応なく見せつけられた思いがした。そういえばプロコフィエフが世にも美しいスターリン讃歌を作曲するのも、同じ1930年代のモスクワだった。
本展はほどなく終了してしまう。秋に同内容で世田谷でも開催されるらしいが、もし可能ならば葉山でぜひ観てほしい。晴れた日にあそこから眺める海景は最高だし、ずらり整然と居並ぶポスター群と緊張感をもって対峙するには、天井の高いスッキリした空間がやはり必須条件なのである。
附言するなら本展はカタログの出来も上乗だ。造本と装丁はまあ普通の仕上がりだが、収められた籾山さんの論考は当時の検閲システムから各ポスターの刊行年度を再検討するという、地道で実証的な内容。これは必読ものである。