そういうわけで、1914年に生まれた指揮者たちの芸風をひとりずつ回顧してみようと思い立った次第である。
とはいえ手許の音源にはもとより限りがあり(多くを手放し、あるいは別置してしまった)、なかには殆どディスクを架蔵しない苦手な指揮者も含まれるので、個々のコンダクターの全貌はおろか、ごく偏頗で独りよがりの紹介にしかならないのを予めお赦しいただきたい。
まずは一番手としてハンガリーの偉才
フェレンツ・フリッチャイにご登場願おう。
"Great Conductors of the 20th Century: Ferenc Fricsay"
デュカ: 魔法使の弟子*
コダーイ: ガラーンタ舞曲**
ショスタコーヴィチ: 交響曲 第九番***
ヒンデミット: ウェーバーの主題による交響的変容****
ヨハン・シュトラウス: 芸術家の生活*****
ベートーヴェン:
「レオノーレ」序曲 第三番******
交響曲 第三番*******
モーツァルト: 「コジ・ファン・トゥッテ」序曲*******
フェレンツ・フリッチャイ指揮
ベルリンRIAS交響楽団*** **** ***** ********
ベルリン放送交響楽団* ****** *******
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団**1961年11月14日、自由ベルリン放送局大ホール*
1961年8月27日、ザルツブルク、祝祭大劇場(音楽祭実況)**
1950年6月6日*****、1951年1月18日********、1952年6月3~4日****、1954年4月30日、5月3日***、ベルリン=ダーレム、イェズス・クリストゥス教会RIASスタジオ
1961年2月5日、自由ベルリン放送局大ホール(実況)****** *******
EMI IMG Artists 5 75109 2 (2002)
→アルバム・カヴァーフリッチャイは赫々たるキャリアの只中に四十八歳の働き盛りで病歿してしまったが、ドイツ・グラモフォンの花形指揮者として正規録音も数多く、また同社は放送録音も精力的に発掘、少なからずLP・CD化している。にもかかわらず、この「20世紀の偉大な指揮者たち」シリーズ二枚組は、これまで窺い知ることのできなかったフリッチャイの意外な相貌を伝えてくれる点で甚だ貴重である。
ここに収められたすべてが初出の実況録音(乃至それに準ずるスタジオ・ライヴ)である。どの演奏も興味深いが、とりわけ重要なのは彼の最晩年にあたる1961年に収録された諸曲だろう(翌年はもう指揮台には立てず、63年に亡くなった)。同日ライヴであるベートーヴェン二曲(当日は「レオノーレ」序曲第三番、第三ピアノ協奏曲、そして「エロイカ」という「三番」尽くしのプログラム)。従来われわれが認知してきたきびきびと快活なフリッチャイの芸風はすっかり影を潜め、まるで別人のようにゆったり重厚な造型が指向され、テンポも信じられぬほどに遅い。これにはちょっと驚いた。同じ61年にザルツブルクで珍しくウィーン・フィルを指揮したコダーイも覇気の漲る名演である(コダーイはフリッチャイの恩師である)。デュカの「魔法使の弟子」は現存する彼の生涯最後の録音なのだという。
フリッチャイは古典から現代物まで広大なレパートリーを誇った指揮者であり、志半ばで斃れただけに正規録音されなかった演目が数多くある。ここに収められたショスタコーヴィチ、ヒンデミットはそうした一例であり、どちらもフリッチャイ本来の資質である明快で理路整然とした音楽づくりの典型が示される。この二曲が聴けるだけでも当二枚組は値千金というべきである。
《フェレンツ・フリッチャイ・エディションII》
ブラームス:
交響曲 第二番*
ハイドンの主題による変奏曲**
アルト・ラプソディ***
フェレンツ・フリッチャイ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団*
ベルリン放送交響楽団** ***
アルト/モーリーン・フォレスター***
RIAS室内合唱団***1961年8月27日、ザルツブルク、祝祭大劇場(音楽祭実況)*
1957年9月15日***、17、18日**、ベルリン
ポリドール Deutsche Grammophon POCG 3323 (1994)
→アルバム・カヴァー独墺物は無論のこと、東欧・ロシア・フランスと分け隔てせず手広くレパートリーに収めていたフリッチャイにも不得手な音楽はあったようで、ブルックナーとマーラーの交響曲は殆ど(全く?)演奏していないし、グルックから新作初演まで万遍なく指揮したオペラも、何故かR・シュトラウスだけは頑として振らなかった(彼がミュンヘンの歌劇場から放逐された原因のひとつだという)。
どういうわけかブラームスの演奏にも熱心ではなかった。ただし、決して嫌いでも不得意だったのでもなく、むしろ自らの音楽が熟する時を待っていたのであろう。その証拠に50年代末に大病を経験してからは、一転してブラームスの交響曲と取り組むようになった。残念なことに残された時間は余りに少なく、正規録音はなされぬまま終わった。
そう考えると、本アルバム冒頭の第二交響曲の実況録音の貴重さがわかるだろう。最晩年の1961年夏、久しぶりにザルツブルク音楽祭に招かれ、モーツァルトの「イドメネオ」を振った機会に、その合間を縫うようにウィーン・フィルとの特別演奏会が催され、コダーイの「ガラーンタ舞曲」、ベートーヴェンの「三重協奏曲」、そしてブラームスの「第二」という充実のプログラムが組まれたのである。一聴して明らかなように、このブラームスは壮絶な演奏である。総じて遅めのテンポでたっぷり濃密に奏され(冒頭で彼自身の歌声も聴こえる)、ときに慈しむように、ときに切々と、心の奥底へと深く沈潜していく音楽なのだ。従来のフリッチャイからは考えられない芸風の激変ぶりにちょっと言葉を失う。
それに比して「ハイドン変奏曲」はごく常識的な解釈に留まり、通り一遍のブラームスの印象。同じセッションで収録された「アルト・ラプソディ」のほうが遙かに上首尾で、モーリーン・フォレスターの深々とした朗唱には掬すべき味わいがある。
《フェレンツ・フリッチャイ・エディションII》
マーラー: リュッケルトによる五つの歌*
オネゲル: ピアノ小協奏曲**
フランセ: ピアノ小協奏曲***
ロルフ・リーバーマン:
フリオーゾ****
スイス民謡による組曲*****
イェネー・フバイ: ヘイレ・カティ(チャールダーシュの情景)******
アレクサンドル・チェレプニン: 十のバガテル*******
フェレンツ・フリッチャイ指揮
ベルリンRIAS交響楽団** *** **** ***** ******
ベルリン放送交響楽団* *******
アルト/モーリーン・フォレスター*
ピアノ/マルグリット・ヴェーバー** *** *******
ヴァイオリン/ヘルムート・ツァハリアス******
1953年9月*****、1954年1月******、1954年5月15日****、1955年6月13日**、1956年9月5日***、ベルリン
1958年9月16日*、1960年6月3~9日*******、ベルリン
ポリドール Deutsche Grammophon POCG 3343 (1995)
→アルバム・カヴァー
様々な機会にスタジオ録音された雑多な楽曲を落穂拾いさながらに集めたアルバム。纏まりに欠けるが、その分フリッチャイという指揮者のヴァーサタイルな適応ぶりを知るには好都合だ。
何より貴重なのは、先の「アルト・ラプソディ」の翌年に再びモーリーン・フォレスターと組んだ「リュッケルトの五つの歌」。フリッチャイが残した唯一のマーラー録音である。しかもこれがたいそう素晴らしい聴きものだ。大昔のLP時代にこれら二曲を表裏に組み合わせた稀少な二十五センチ盤LP(→これ)を宝物のように大切に聴いたのを懐かしく思い出す。
あとの曲は軽く聞き流す程度だが、フリッチャイと親交の深かったマルグリット・ヴェーバーのピアノ独奏が聴けるオネゲル、フランセ、チェレプニンの三曲が軽妙洒脱。フリッチャイも愉しんで附き添っている。この女性は大富豪の奥方だったそうで、ストラヴィンスキーやマルチヌーにピアノ協奏曲の新作を委嘱するほどの財力があった由。本盤のチェレプニンもその一例だった。
"Bartók: Die Klavierkonzerte"
バルトーク:
ピアノ協奏曲 第一番*
ピアノ協奏曲 第二番**
ピアノ協奏曲 第三番***
ピアノ/ゲーザ・アンダ
フェレンツ・フリッチャイ指揮
ベルリン放送交響楽団
1959年9月7~9日***、1959年9月10、15、16日**、1960年10月15~19日*、ベルリン、イェズス・クリストゥス教会
Deutsche Grammophon The Originals 447 399-2 (1995)
→アルバム・カヴァー
最後は註釈の必要のない名演奏を。ブダペストでの学生時代その謦咳に親しく接したフリッチャイとアンダによるバルトーク演奏は誰も比肩できないオーセンティックな結晶体の輝きがある、とだけ申し添えておこう。あとは心して聴くべし。