小生のポップス熱は小学六年だった1964年に始まった。最初のきっかけがなんだったかはもう思い出せないが、数年間というもの、寸暇を惜しんでトランジスタ・ラヂオに齧りつき、当時いくつもあった洋楽ベストテン番組を貪り聴いた。
来る日も来る日もヒット曲を夢中で追いかけて過ごしたのち、中学三年の1967年秋、突如まるで憑き物が落ちたように熱狂は終熄した。クラシカル音楽に目覚めた小生は愛おしいポップスときっぱり袂を分かったのである。それまで番組を聞きながらヒットチャートをせっせと細大漏らさず書き留めたノートも捨ててしまった。残念なことをしたものだと今さら悔やんでみても取り返しがつかない。
したがって手許には往時を偲ぶよすがは何ひとつ残されていないのだが、必死になって記憶の糸を手繰り寄せてみると、どうやら中学二年の頃、すなわち1966年にわがポップス狂いはその頂点に達したように思われる。
追想だけでは心許ないので、いくつか関連サイトの援けを借りて1966年当時のヒット群をどうにか再結集してみた。列挙した楽曲は必ずしもベストテン上位とは限らないが、半世紀近く経った今も脳内再生できるナンバーばかり。配列はおおまかに日本盤シングル発売順。ただし最初の数曲が出たのは前年末だろう。
ビートルズ/イエスタデイ
マージョリー・ノエル/そよ風にのって
レン・バリイ/1-2-3(ワン・トゥ・スリー)
バーズ/ターン・ターン・ターン
ビートルズ/恋を抱きしめよう+デイ・トリッパー
サイモンとガーファンクル/サウンド・オブ・サイレンス
ハーマンズ・ハーミッツ/あの娘に御用心
ビーチ・ボーイズ/バーバラ・アン
シャングリラス/家へは帰れない
ペトゥラ・クラーク/マイ・ラヴ
ハーブ・アルパートとティファーナ・ブラス/ア・テイスト・オブ・ハニー(蜜の味)
ビートルズ/ミッシェル
ビートルズ/ガール
ローリング・ストーンズ/19回目の神経衰弱
エンニオ・モリコーネ楽団/さすらいの口笛 ~映画 《荒野の用心棒》
ジリオラ・チンクエッティ/愛は限りなく
ビートルズ/ひとりぼっちのあいつ
ナンシー・シナトラ/にくい貴方
ママス・アンド・パパス/夢のカリフォルニア
ウイルマ・ゴイク/花のささやき
モーリス・ジャール指揮/ララのテーマ ~映画 《ドクトル・ジバゴ》
ママス・アンド・パパス/マンデー・マンデー
シェール/バン・バン
ビートルズ/ペーパーバック・ライター
ローリング・ストーンズ/黒くぬれ!
ウォーカー・ブラザース/太陽はもう輝かない
マッコイズ/カム・オン、レッツ・ゴー
サイモンとガーファンクル/アイ・アム・ア・ロック
フランク・シナトラ/夜のストレンジャー
T・ボーンズ/真赤な太陽
サークル/レッド・ラバー・ボール
ラヴィン・スプーンフル/デイドリーム
ママス・アンド・パパス/アイ・ソー・ハー・アゲイン
ビートルズ/イエロー・サブマリン+エリナー・リグビー
ダスティ・スプリングフィールド/この胸のときめきを
ラヴィン・スプーンフル/サマー・イン・ザ・シティー
ホリーズ/バス・ストップ
ボビー・ヘブ/サニー
トミー・ジェイムスとザ・シャンデルス/ハンキー・パンキー
ドノヴァン/サンシャイン・スーパーマン
ピーター・ポール・アンド・マリー/虹と共に消えた恋
モンキーズ/恋の終列車
シュープリームズ/恋はあせらず
ロス・ブラボーズ/ブラック・イズ・ブラック
ニコール・クロワジールとピエール・バルー/男と女 ~映画 《男と女》
ウィルソン・ピケット/ダンス天国
セルジォ・メンデスとブラジル'66/マシュ・ケ・ナダ
ビートルズ/タックスマン
ピーターとゴードン/レディ・ゴダイバ
スイングル・シンガーズ/恋するガリア(Largo) ~映画 《恋するガリア》
いやはや、幾らでも出てくるのに我ながら驚く。口ずさめる曲だけでこんなにある。キリのいい五十曲に留めておくが、まだまだ際限なく思い出される。正直なところラインナップは玉石混淆で全部がポップス史に残る名作とはいわないものの、懐かしさは一入だ。すべての曲が今やYouTubeで聴き返せるのも難有い。
それにしても雑多な楽曲のごたまぜ、多種多様な音楽の坩堝であることに今更のように驚かされる。まさしく洋楽ならなんでもありの状況である。
まず目を惹くのはビートルズの躍進ぶりだ。「
イエスタデイ」「
恋を抱きしめよう」「
デイ・トリッパー」「
ミッシェル」「
ガール」「
ひとりぼっちのあいつ」「
ペーパー・バック・ライター」「
イエロー・サブマリン」「
エリナー・リグビー」「
タックスマン」と全部で実に十曲(シングル両面がヒットした例まである)も選ばれてしまったのは、彼らの活動の最盛期だったから怪しむにはあたらない。事実、この66年夏には最初で最後の来日公演があり、TV放映もされた。
当時からビートルズの好敵手と目されたストーンズも二曲(ほかに「
涙あふれて」もこの年)顔を出すほか、バーズがおり、ホリーズがおり、ラヴィン・スプーンフルもいて、ビーチ・ボーイズまで登場するのだから、英米ロック・ミュージックの精鋭がずらり勢揃いしていると云って過言でない。ただし当方にはすべてが「ポップス」であり、「今まさにロックの黎明期にある」という意識はまるで無かったのだが。
その一方で、これは60年代中頃までの特色なのだが、非英語圏、とりわけフレンチ・ポップスとカンツォーネの新曲が英米のロック勢と隣り合って鎬を削っているのが面白いところだ。前年にはフランス・ギャルの「
夢見るシャンソン人形」、ミーナの「
砂に消えた涙」の大ヒットがあったが、66年に入ってからもマージョリー・ノエルの「
そよ風にのって Dans le même wagon」、ジリオラ・チンクエッティの「
愛は限りなく Dio, come ti amo」とスマッシュ・ヒットが続いた。これらすべてに日本語ヴァージョンが存在し(訳詞者は岩谷時子、
漣健児、音羽たかし)、ご当人のたどたどしい歌唱のほか伊東ゆかり、弘田三枝子、ザ・ピーナッツらが競って唄ったのも今は昔。仏伊ポップスと歌謡曲との距離は思いのほか近かったのだ。
1966年はサイモン&ガーファンクルとママス&パパスが彗星のように現れた年でもある。立て続けに登場する新曲はどれも鮮烈な息吹を感じさせたし、それまで耳にしたことのないハーモニアスな声の響き合いの魅力に溢れていた。前者の「
サウンド・オブ・サイレンス」「
アイ・アム・ア・ロック」そして(翌年のヒット曲だが)「
冬の散歩道」、後者の「
夢のカリフォルニア」「
マンデー・マンデー」「
アイ・ソー・ハー・アゲイン」、それにバーズの「
ターン・ターン・ターン」(ピート・シーガー詞・曲)を含めた一連のフォーク・ロックふう楽曲は時の試練に耐える名作揃いだ。
こうした新興勢力に伍して、御大シナトラが「
夜のストレンジャー」の大ヒットを放つのもこの年である(翌年に愛嬢ナンシーとのデュエット「
恋のひとこと」が出る)。そのナンシー・シナトラの「
にくい貴方」、英国からはダスティ・スプリングフィールドの「
この胸のときめきを」(後年エルヴィスがカヴァーした)、ペトゥラ・クラークの「
マイ・ラヴ」といった具合に、「歌の上手なお姐さんたち」が個性的な歌唱で眩い存在感を示したのも忘れがたい。田舎の中学生は遠く憧れたものだ!
面白いのは、これらのポップスに混じって、映画音楽、それも専ら非ハリウッド系のスクリーン・ミュージックが頻りにベストテン入りしている現象である。マカロニ・ウェスタンの嚆矢であるセルジョ・レオーニ監督の《荒野の用心棒》、デイヴィッド・リーン監督の文芸大作《ドクトル・ジバゴ》、再見したら噴飯物だろうクロード・ルルーシュ監督の《男と女》、そしてジョルジュ・ロートネル監督、ミレイユ・ダルク主演《恋するガリア》のそれぞれ主題曲がひっきりなしにラヂオから流れた。
もっとも小生の住む埼玉の田舎町には封切館がなかったから、これらの映画をスクリーンで実見することなぞ夢のまた夢。タイトル・チューンを聴いて想像を膨らませるほかなかった。モリコーネやジャールの楽曲にそれと知らずに出逢っていた意義は小さくないが、なんといっても衝撃的だったのは、スウィングル・シンガーズが精妙なスキャット(独唱はモーリス・ルグランのお姉さんのクリスティアーヌ)を披露する「
恋するガリア」(
→これ)だった。その澄み切った美しさに打ちのめされるとともに、これがバッハのチェンバロ協奏曲の緩徐楽章の巧緻なトランスクリプションである事実にも、なんとなく気づいていた。翌年の小生のクラシカル開眼は間違いなく、年末に遭遇したこの曲に端を発していると今にして思うのである。
何よりも情けないのは、あんなに熱心にラヂオのベストテンに聴き入っていた癖に、レコード店に足を運ぼうとか、音楽雑誌から更なる情報を得ようとは考えも及ばず、ひたすら耳からのみ楽曲を味わって自足していた小生の体たらくである。楽曲やミュージシャンについての知識も生半可のまま、湯川れい子、小島正雄、高崎一郎といったDJ諸氏からの受け売りに留まり、とりわけ視覚的な情報は皆無に近かったから、前にも書いたように、ビートルズの武道館公演をTVで観ても、どれがポールでどれがジョンなのか、まるきり判別がつかなかったのである!
もうひとつ、悔やんでも悔やみきれぬ痛恨事がある。田舎者の中学二年生にはそれら楽曲の歌詞が皆目わからなかったことだ。仏蘭西語(そよ風にのって、ミッシェル)や伊太利語(愛は限りなく)や葡萄牙語(マシュ・ケ・ナダ)に歯が立たないのは当然として、大半は英語の歌なのだから、せめて歌詞の対訳があれば少しは理解できたのかも知れない。でも上述のようにラヂオを耳から聴くだけなので、意味不明のままカタカナの「空耳英語」で口ずさむほか術がなかったのだ。
手許には珍しくダスティ・スプリングフィールドの「
この胸のときめきを」のシングル盤(
→これ)があった。近所に住む友人の上野君から譲り受けたものだ(お父上がニッポン放送のディレクター上野修さんなので、お宅には用済みの試聴盤がいろいろあったのだ)。ところがその歌詞ときたら意味がサッパリわからない。
When I said I needed you,
You said you would always stay.
It wasn't me who changed, but you
And now you've gone away.
Don't you see that now you've gone?
And I'm left here all on my own.
Then I have to follow you
And beg you to come home.
You don't have to say you love me
Just be closing at hand.
You don't have to stay forever
I will understand.
Believe me, believe me,
I can't help but love you.
But believe me, I'll never tie you down.
平易そのものの英語だが、悲しいかな当時の小生には解読不能だった。
そもそも標題 "You don't have to say you love me" に出てくるイディオム "not have to do"(~する必要はない、するには及ばない)の意味がわからない。いくら辞書を引いても「君が好きだよと言ってくれなくても構わないワ」に辿りつけなかったのだ。いやはや、情けないにも程がある。
題名で躓いているのだから、あとは推して知るべし。過去時の推量を表す would も現在完了の "you've gone" も、授業で習っていなかったから理解できない。まして成句 "all on my own"(私ひとりきりで)や "can't help but..."(~せずにはいられない) の意味が汲み取れる筈もなかったのである。
シングル盤の解説文は「イギリスでは現在女性歌手三羽ガラスの一人」だとか「ダスティは金髪の美人」なのに「自分では "私の鼻は少し長すぎる" と云って自分の顔が好きではない」だとか愚にもつかぬ駄弁を弄するばかりで、肝腎の歌の意味に関しては、「
"あなたが必要なのと云った時、あなたは何時でも一緒にいるよと云った。変ってしまったのは私でなくてあなた、そして今あなたは行ってしまった・・・" という悲しい歌です」と大雑把な紹介が一言あるのみ。これと「この胸のときめきを」という邦題だけが手がかりなのだ。これでは田舎の中学生がこの歌の真意をまるで理解できなくとも致し方あるまい。
嗚呼、せめて高校生になってからポップスと出逢えたら、どんなによかったろう。