あれは1993年12月初旬のことだったと記憶する。
西洋に憧れながら海外渡航の体験の殆どない小生に業を煮やした友人の梅田英喜さんが「一緒に地球をぐるり一周しましょう、準備は全部やってあげますから」と、航空券の購入から宿の予約まで必要な手配をすべて済ませてくれた。「沼辺さんはパスポートを携えて、ついてくればいいだけです」。
因みに梅田さんは元編集者で、小生に初めての連載「12インチのギャラリー」を企画立案し、作文の手ほどきをしてくれた恩人である。
そんなわけで旅のイロハも知らないまま成田空港で搭乗手続きを終えると、梅田さんは「僕はいつも利用している常連客だから」と、ユナイテッド航空の専用ラウンジへと小生を先導した。「ここでビールでもワインでもジュースでも珈琲でも、好きな飲物を好きなだけ飲めるんです。ちょっとしたツマミだってある」。右も左もわからぬ小生は彼と向かい合う形で小卓に着いて、よく冷えたワインをちびちび飲みながら、チーズを載せたクラッカーを摘まんだ。
彼はいつもよりも少しだけ饒舌になって、これから二週間の世界周遊(シカゴ→ロンドン→パリ→NY)の見所や、初心者が弁えておくべき旅の心得について、懇切丁寧に説明してくれたのだと思う。何も知らない小生はいちいち頷きながら、旅の達人の豊富な体験談にただただ感心して聞き入っていた。
そのときである。彼の話が不意に途切れた。どうしたことかと梅田さんの顔を見遣ると、驚きの表情を顕わにした彼は言葉を失ったまま茫然と、小生の背後の一点に視線を釘づけにされている。そして昂奮を抑えきれぬ様子で、小声でそっと囁いた。「沼辺さん、後ろにポール・サイモンがいます」。
思いも寄らぬ言葉にこちらもまたその場で凍りついた。すぐさま振り返って後方を確認したいのは山々だが、梅田さんの口ぶりにはそれを禁じるような厳粛さがあった。ここで騒ぎ立てては駄目ですよ、そのまま気づかないふうを装って下さい、と無言のうちに強く諫めているように感じられた。
入口を背にした格好で坐っている小生からは見えなかったが、その人は今しがたラウンジに入ってきたところらしい。周囲の人々はまだ誰も彼の存在に気づいていない様子である。振り向くことができないので、背後の気配に聞き耳を立てた。
するとどうだろう、梅田さんはやおら席を立ち上がると、入口のほうにスタスタ歩き出した。向かうその先には風采の上がらぬ小柄な男がひとり所在無げに佇んでいた。なるほど間違いない、ポール・サイモンその人だ。
卓からほど近い、ほんの数メートルあたりにその人は立っていた。梅田さんはそうするのがさも当然と云わんばかりの自然さで歩み寄ると、臆することなく親しげに語りかけた。すると相手も表情を和らげて何事か言葉を返してきた。こうして二人並ぶと身の丈は殆ど変わらず、梅田さんのほうが頭半分くらい高い。
耳を欹ててみたが、周囲の物音にかき消されて、小声で交わされる両人の会話はまるで聞こえてこない。傍目には親密な立ち話といった風情である。ずいぶん長く感じられたが、実際は二十秒か、せいぜい三十秒くらい続いただろうか。
ポーカーフェイスの顔つきのまま飄然と、それでもどことなく「してやったり」の風情も漂わせつつ席に戻った梅田さんに、思わずこう訊ねずにはいられなかった。「ひょっとしてポール・サイモンとはお知り合いなの?」と。
「いや、そうぢゃないんだけれど」と言下に否定すると、梅田さんは事情を説明してくれた。二日ほど前にサイモン&ガーファンクル久々の日本公演が東京ドームで催されて、永年のS&Gファンである彼はそれを聴きに行った由。だから成田空港にポール・サイモンが現れても驚くにはあたらないのだ。とはいえ当人と接近遭遇する機会はもう二度とないだろうから、すかさず声をかけたのだそうだ。「昔からの大ファンです。東京でのコンサートにも行きました」と。するとポールはニヤリ微笑み相好を崩すと即座にこう応えたという。「愉しんでくれたかい?」
NHKラヂオ第二放送で「サイモン&ガーファンクルの歌を読む」という帯番組の再放送を聴いていて、ふと蘇った遠い記憶の一齣である。