大瀧詠一の訃報で今年の大晦日はすっかり取り乱してしまった。この心理状態のままではどうにも年が越せそうもない。
これではならじと気を取り直し、バルトークの音楽を聴いて心を鎮めようとしている。ただし人口に膾炙した「オケコン」でもなければ、世評の高い弦楽四重奏曲群でもなく、遺作となった第三ピアノ協奏曲やヴィオラ協奏曲でもない。小生にとってのバルトークといえば何を差し置いてもこれ。ハンガリーの民話や民衆詩に基づく二十七曲からなる合唱曲なのである。彼の創作力が絶頂期に達した1935年から36年にかけて、泉から水の湧出する勢いで滾々と溢れ出た。
"Béla Bartók: 27 Chœurs pour voix d'enfants et de femmes"
バルトーク:
児童合唱と女声合唱のための二十七の無伴奏合唱曲
■ 行かないで! Ne menj el!
■ 私は指環を持っている Van egy gyürüm
■ この世で私は独りきり Senkim a világon
■ 麺麭焼き Cipósütés
*
■ 軽騎兵の歌 Huszárnóta
■ ぐうたら者の歌 Resteknek nótája
■ さまよい歩く Bolyongás
■ 娘のからかい歌 Lánycsúfolo
*
■ 故郷の人たちへの手紙 Levél az otthoniakhoz
■ 遊び唄 Játék
■ 嫁探し Leáynéző
■ おおい、鷹よ! Héjja, héjja, karahéjja!
*
■ 春 Tavasz
■ 私を置いて行かないで! Ne hagyj itt!
■ まじない唄 Jószágigéző
*
■ 後悔 Bánat
■ 貴方に出逢わなかったら! Ne láttalak volna!
■ 小鳥は飛び去った Elment a madárka
*
■ 哀しみ Keserves
■ 若者をからかう歌 Legénycsúfoló
■ 求婚 Leánykérő
*
■ 聖ミハーイの歌 Mihálynapi kösöntő
■ 鳥の歌 Madárdal
■ 冷やかし Csujogató
*
■ 枕踊り Párnás táncdal
■ カノン Kánon
■ さよなら! Isten veled!
ミクローシュ・サボー指揮
ベンジャミン・ブリテン声楽アンサンブル1989年2月、リヨン、高等音楽院
REM 311091 (1889)
→アルバム・カヴァーハンガリー語など片言隻句も分かりはしないのだが、これらの合唱曲が鄙びた素朴さと玄妙な和声の洗練とを併せもち、どっしり大地に根差しつつ軽々と天空を飛翔するような奇蹟的な音楽であることは誰の耳にも明らかだ。これらに比肩できるのは、ブリテンやグレインジャーの英国民謡編曲、シマノフスキの「クルピエの歌」、あるいはヴェリヨ・トルミスの合唱曲集「忘れられた諸民族」位だろう。
この合唱曲集は部分的にならば高校生の時分、
コダーイ少女合唱団が訪英時に収録したLP(コダーイ合唱曲集の余白に四曲)や、
ピーター・バルトークが企画・録音したLP(「カンタータ・プロファーナ」の余白に八曲)で聴くには聴いたけれど、その魅惑に身震いしたのは随分あとになってからのことだ。
二十七曲中の七曲を抜粋し、バルトーク自身が管弦楽伴奏を附けた珍しい版を
アンタル・ドラーティ指揮のLPでたまたま耳にして、「世にかくも至純で天使的な音楽が存在するものか!」と心を奪われた。
ほどなく全二十七曲を収めた輸入盤を手に入れて、古い表現だが擦り切れるほど聴いた。マジャール語を解さぬ者にもちゃんと歌の心は伝わるのだ。
爾来LPからCDへと時代は移ろって、この合唱曲集も複数の音源を聴き較べられる便利な時代が到来した(なかには日本人──福島コダーイ合唱団による優れたCDもある。
→拙レヴュー)。どのディスクを聴いても構わないのだが、大つごもりの今宵は珍しいフランスの合唱団による録音を聴く。
ちょっとひねくれた選択と思われるかもしれないが、ハンガリーが誇る合唱界の重鎮
ミクローシュ・サボー翁(因みに彼には自ら創設したジュール女声合唱団を指揮した同曲録音もある)が請われてわざわざ客演し、特訓の甲斐あって本国の団体に毫も遜色ない水際立った歌唱が現出した。
もうひとつ、本CDではこれまで永らく行われてきた刊行譜の曲順を敢えて退け、バルトークの手稿にあるオリジナルどおりの順番に歌ったところがミソ。上の曲名のところどころに「*」を入れたのは、作曲者自身によるグループ分けを示す。
とまれ、これで今年の音楽体験を締め括ることにしよう。もうじき除夜の鐘だ。