手許に一枚の小さなチラシがある。青色で刷られているのは演奏会の告知だ。
◆日本現代作曲家聯盟◆
─第3回作品發表演奏會─
賛助出演 ヂル マルシエックス氏
昭和12年6月4日(金)夜7時30分
丸ノ内 保險協會 (東京日日新聞社横)
會員券 50 Sen
1 《フリユート・ソナタ》 小倉 朗 作曲
フリユート・山口雅章
2 歌曲《お伽噺》 石田一郎 作曲
城 左内[ママ]作詩 ソプラノ・和田眞理子 ピアノ・小西靜子
3 『1』《漁夫のうた》 宅 孝二 作曲
『2』《うららか》
ソプラノ・遠藤衢邇子 ピアノ・宅 孝二
4 《交響樂的斷章》 平尾貴四男 作曲
ピアノ聯彈用編曲 ピアノ・平尾妙子 宅 孝二
★休 憩★
5 《第二絃樂四重奏曲》 安部幸明 作曲 ヴアイオリン・多 久興 平田 忠
ヴイオラ・榎本長四郎
セロ・安部幸明
6 歌曲《南部民謠六曲》 松平頼則 作曲
テノール・内本 實
ピアノ・松平頼則
7 ピアノ《三舞曲》 江 文也 作曲
ピアノ《琉球舞踊三曲》 清瀬保二 作曲
ピアノ《フーグ小品》 池内友治郎[ママ] 作曲
ピアノ・ヂル マルシエツクス
「
日本現代作曲家聯盟」は前身を「新興作曲家聯盟」といい、ドイツ一辺倒で沈滞気味の日本楽壇に新風を吹き込むべく1930年に結成された作曲家の団体である。その後「新興」という左翼的な名称を憚って33年「近代日本作曲家聯盟」と改称、35年からは「日本現代作曲家聯盟」を名乗った。さまざまな立場の作曲家を糾合した呉越同舟的な集団ではあったが、来日したアレクサンデル・タンスマンやアレクサンドル・チェレプニンとも連携し、日本の現代音楽をヨーロッパに紹介すべく果敢に取り組んだ。35年9月にはめでたく国際現代音楽協会(ISCM)の日本支部と正式に認定された。
「日本現代作曲家聯盟」名義の作品発表会は1936年12月の第一回を皮切りに39年までに東京で全十回が開催されている。プログラムはいずれも室内楽と歌曲を中心にしたもので、その意味では同時代にパリで活動した室内楽振興団体「トリトン」や「セレナード」の定期演奏会とも軌を一にしよう。
上に掲げた第三回の作品発表会では、たまたま東京に居合わせたフランスのピアニスト、
アンリ・ジル=マルシェックス Henri Gil-Marchex が「賛助出演」の名で演奏に加わっているのが人目を引く。1925年に薩摩治郎八の招聘で初来日した彼は曲目編成に工夫を凝らした連続演奏会を催し、ラヴェル、ルーセル、フローラン・シュミット、ジャン・クラ、イベール、プーランク、ミヨー、アルベニス、デ・ファリャ、ストラヴィンスキー、バルトークのピアノ曲を紹介して聴衆を啓蒙触発した。その成功ですっかり日本贔屓になった彼は、その後も31年(二度)、37年と来日を重ねて日本にフランス現代音楽の息吹を伝えた重要な人物である。そのジル=マルシェックスが最後の来日時に日本の現代作曲家たちの作品発表に一肌脱いでいる事実に、小生はいたく興味をそそられたのである。
ところで演奏会チラシとは単に予告に過ぎず、実際そのとおりの演目が奏されたとは限らない。なので念のためこの分野の労作である秋山邦晴著/林淑姫編『昭和の作曲家たち』(みすず書房、2003)を繙くと、案の定いろいろ異同がある。当日は諸般の事情から安部の弦楽四重奏曲と松平の歌曲は省かれ、代わりに平井保喜の弦楽四重奏用の作品が演奏されたらしい。ジル=マルシェックスは確かに登場しているが、弾かれた曲目は予告とちょっと違う。
松平頼則 《前奏曲》
江 文也 《三つの舞曲》
池内友次郎 《フューグ風小品》
清瀬保二 《琉球舞曲三曲》
ヂルマルシェックス ピアノ曲《古き日本の二つの映像》が奏されたのだといい、山根銀二の演奏評(東京日日新聞)まで引かれている。
[...] 松平頼則氏の「前奏曲」はすきつぱらに水を呑む樣なもの。江文也氏の「俗謠に基く舞曲」は思ひつきの陳列會に他ならず、清瀬保二氏の「琉球舞曲」は琉球舞曲のまずい複製物だが、濁りの少い素直さは取得だ。池内友次郎氏の「フユーグ風小品」は如何にもフユーグに相違御座らぬといつた作品である。この人は習作に膠著してるが、今藝術的野心の展開が必要だ。
ジルマルシエックスの「古き日本の映像」は當夜の愚作の代表であるかも知れない。「ヨシハラの朝歸り」なんて人を馬鹿にするにも程がある。[...]
アハゝゝ、いかにも山根らしい一刀両断の酷評ぶりだが、ジル=マルシェックスが自作まで披露しているのがわかって興味津々だし、しかも「
当夜の愚作の代表」「
人を馬鹿にするにも程がある」と完膚なきまでにこき下ろされる。面白いなあ。
一枚の演奏会チラシを通して七十六年前の音楽状況が垣間見える思いがする。この古びた紙片を一瞥してから家を出た。電車を四本乗り継いで井の頭線の駒場東大駅で下車。大学と反対側に五分ほど歩を進めると、「カフェ・アンサンブル」という音楽喫茶がある。見落としそうな小さな看板、おまけに地下にあるので、予め地図で調べておかないと気づかずに通り過ぎてしまいそうな店だ。
音楽ネットワーク「えん」
第30回ティータイム・コンサート(通算477回)
白石朝子 ピアノリサイタル
2013年12月7日(土)15:15~
東京・駒場、カフェ・アンサンブル
*
ピアノ/白石朝子
*
ドビュッシー: 版画 (パゴダ/グラナダの夕暮/雨の庭)
ショパン: 即興曲(全四曲)
++休憩++
松平頼則: 前奏曲 ニ調
大澤壽人: 丁丑春三題 (春宵紅梅/無爲卽興/春律醉心)
ラヴェル: ソナチネ
高雅で感傷的な円舞曲
階段を下りるといかにも居心地の良さそうな小空間が現れる。一隅にセミグランド・ピアノが置かれ、残りのスペースに鉤の手にテーブルと椅子が並ぶ。入口で名前を告げ、飲物を註文すると、「えん」主宰者の佐伯隆さんにご挨拶する。そもそも今日のピアニスト白石朝子さんを知る機会をつくって下さったのは、日本各地で手作りの演奏会を開催するグループ「えん」のお蔭なのだ。六年前に東京・東長崎の私邸で催された「えん」の演奏会で彼女(当時は伊藤朝子さん)を初めて聴いた(当日のレヴューは
→束の間の幻影)。そのとき彼女は「
プロコフィエフの日本滞在と大田黒元雄の功績」をテーマに論文を仕上げられたところだったが、その後も大学院にてピアノと音楽史の二刀流で更なる研鑽を積まれている。
今回の演奏会のチラシやプログラム冊子には明示されていないが、実はここにも隠された主題がある。「
アンリ・ジル=マルシェックスによる日仏文化交流の試み」という。彼女はここ何年かこのテーマを熱心に追いかけて、このたび愛知県立芸術大学に博士論文を提出された由。実はこれと同一曲目の演奏会が14日に愛知県長久手でも予定されていて、「ああ愛知は遠くて行けないなあ」と慨嘆していたところ、東京でも「えん」の尽力で同内容の演奏会を開催されると彼女からご教示いただき、この機を逃すべからずと馳せ参じたのだ。
曲目を一瞥しただけだとジル=マルシェックスとの関連は見えてこない。ショパン、ドビュッシー、ラヴェルと連なる個々の曲目は日本でジル=マルシェックスが披露したレペルトワールとは必ずしも合致しない。むしろ総体としてのフランス近代ピアノ音楽の系譜を明示するものとおぼしい。ドビュッシーの「版画」はやや遅めのテンポで玄妙な和声をじっくり響かせる行き方。入念綿密で味わい深い演奏に白石さんの進境ぶりが窺われる。
十五分の休憩時間には珈琲と洋菓子がふるまわれる。この間に奏者と聴衆とで歓談するのが「えん」の会ならではの寛いだ愉しさだ。
後半は今回の演奏会の核心部分、すなわち1930年代における「日仏文化交流」の精華が披瀝される。
松平頼則は学生時代の1925年、ジル=マルシェックスの連続演奏会を聴いて啓示を受けたそうで、34年作曲の「前奏曲」は翌年チェレプニンの肝煎りで刊行(チェレプニン・エディション)、チェレプニンによって録音もされたというから松平の出世作といってよい。上述の「日本現代作曲家聯盟」演奏会でジル=マルシェックスが弾いた「前奏曲」も間違いなく同じ曲だろう。
小生はこの曲を初めて耳にしたが、後年の松平の前衛的な楽曲とはおよそ別世界の、平明で長閑な響きにちょっと拍子抜けした。山根銀二の「すきっ腹に水を飲むような」は言い過ぎだろうが、ラヴェルから香気を抜いて平坦にしたような音楽である。ジル=マルシェックスはこれがいたくお気に召し、「ラヴェルのところに持参しよう」と云ったのだとか。もっともラヴェルは重い脳障害で死に瀕していたから、どのみち巨匠の評言を訊くことは叶わなかったのだが。
続く
大澤壽人とジル=マルシェックスの縁も劣らず深い。1934年に渡仏した大澤はパリのエコール・ノルマルでポール・デュカとナディア・ブーランジェから助言を貰い、翌年にはパドルー管弦楽団を指揮して自作を含む演奏会まで催している。このとき第二ピアノ協奏曲が世界初演されるが、独奏ピアノを担当したのはほかならぬジル=マルシェックスその人だったのである。
今回ここで取り上げられた「丁丑(ていちゅう)春三題」は1937年の作というから、ジル=マルシェックスが知り得たか否かは微妙なところだが、一聴して両大戦間のフランス音楽の響きがする。さすがに現場に足を踏み入れた人だけのことはある。静寂のなかで研ぎ澄ました耳を澄ました趣の音楽で、ジル=マルシェックスの初来日からほんの十年余りで、戦前の日本人がここまで洗練された感覚世界に足を踏み入れたのかを思うと一驚を禁じ得ない。終楽章で「元禄花見踊」の旋律がちらと姿をみせるのはまあご愛嬌か。
ところが最後にラヴェルのソナチネと「優雅で感傷的な円舞曲」とが奏されるや、本家本元のフランス音楽と、その影響下で綴られた極東の音楽との懸隔の大きさを否応なしに思い知らされる。とりわけ看過できないのはセンシュアルな響きと堅牢なフォルムとの分ち難い結びつきだろう。こればかりはスタイルの模倣や感覚的な閃きだけでは如何ともし難い日本人にとってのアポリアだったのだろう。
冒頭に引いた日本現代作曲家聯盟の発表演奏会では弱冠二十一歳の小倉朗の「フルート・ソナタ」が初演されている。小倉さんは戦後間もなく若書きを焼却湮滅してしまったのでこの曲も伝わらないが、察するにラヴェルの影響下で書かれた可憐で抒情的な習作だったと想像される。自分たちの創りだす音楽が模倣の域を出ず、ヨーロッパ音楽に特有の堅固な構成を欠いている現状を誰よりも強く自覚したのが小倉さんだったことの重みを想起せずにはいられない。
白石さんのラヴェルは二年半ほど前に愛知県長久手でソナチネと「鏡」を聴いたことがあるが、そのときに較べても響きのバランスが考え抜かれ、曲がすっかり自家薬籠中のものになった感がある。とりわけ「高雅で感傷的な円舞曲」が安定して隙のない秀演。この調子なら14日の学内発表も難なくこなせるだろう。
終演後まだ新幹線の時刻まで間があるというので、「えん」同人たちが白石さんを囲む夕食会でも図々しく末席に連なった。会場で配布されたプログラム冊子には彼女の手になる懇切な曲目解説が載っていたが、肝腎のジル=マルシェックスの名が何故か一度も出てこない。曲間のトークでも言及は一切なかった。その点をご本人に質すと、「
ジル=マルシェックスについて語りだすと、長くなって収拾がつかなくなるから」というお答え。なるほどそうに違いなかろう。詳しくはいずれ公刊される博士論文を読ませていただくに如くはない。