たっぷり時間に余裕をみて三時前に初台に到着。
まずはオペラシティ・アートギャラリーで展覧会「五線譜に描かれた夢 日本近代音楽の150年」を再訪した(
→前回のレヴュー)。以前じっくり細部まで目を凝らしたので、今日はざっと全体を通覧し、ここぞという要所ごとに立ち止まる方式だ。なので特に新たな発見はなかったが、これだけの展示は当分(もう二度と?)なかろうと思うにつけ、会場から立ち去り難い思いに駆られた。
そのあとは地階(といっても中庭は吹き抜けだ)まで下りて、ブリティッシュ・パブ「HUB」で少し早目の夕食を摂る。ただし演奏会前なので飽食は禁物だ。前回はランチ時で註文不可だったフィッシュ&チップス、それに琥珀色のエールを少々。倫敦の場末で出くわしたのに較べるとかなり上品な味だが、今夕に備えてこうやって少しでも気分を英国寄りに調整しておくことが肝要だ。六時半近くなったので辞去、同じフロアの反対側に位置するリサイタルホールへ向かう。まだアルコールが完全に抜けきってはいないが、この位なら大丈夫だろう。
オペラシティ地階のリサイタルホールは小ぢんまりした箱型の空間。座席数は二百ちょっとだろうか。ここは初めてではない筈だが、前にいつ来たかも思い出せないほど久しぶりの来訪だ。全席自由ということなので、開場とともに入場して四列目の左寄りの席を確保。おもむろにプログラム小冊子を繙く。
小町 碧 ヴァイオリンリサイタル
東京私的演奏協会 第112回演奏会
2013年12月6日(金)19:00~
東京オペラシティ リサイタルホール
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ヴァイオリン/小町 碧
ピアノ/丹 千尋
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ディーリアス: ヴァイオリン・ソナタ 第二番
ホルスト: 無言歌、ヴァルス=エチュード
ブリテン: ヴァイオリンとピアノのための組曲
++休憩++
細川俊夫: 無伴奏ヴァイオリンのための悲歌
エルンスト: 「夏の名残の薔薇」変奏曲(無伴奏)
エルガー: ヴァイオリン・ソナタ小町碧さんのことはここでも何度か話題にした。フレデリック・ディーリアス生誕百五十年の昨年秋、英国で「ディーリアスとゴーギャン」という魅力的な標題で興味深いリサイタルを催して注目された(紹介記事は
→ここ)。英国王立音楽院でヴァイオリン演奏に磨きをかけるとともに、ディーリアスと同時代芸術との交流についても研究を深めた才媛である。先月27日には今日のリサイタルの事前企画としてレクチャー・リサイタルも催されたので、小生も曲目に関してひととおり予習ができた。彼女のプログラムは英国近代のヴァイオリン曲の単なる羅列に留まらず、その背後に作曲家たちを触発したヴァイオリニストたちの存在を見据えて配列構成される点がユニーク。学究的な深謀遠慮が透けてみえるのである。
今夕の曲目についても、英国に定住した稀代のヴィルトゥオーゾ、
ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストが若きエルガーの讃仰の対象だったこと、エルガーのソナタの成立には親友のヴァイオリニスト、
ウィリアム・リードの助言が不可欠だったこと、ディーリアスは名手
アルバート・サモンズが弾くエルガーのヴァイオリン協奏曲の演奏に感銘を受け、サモンズを念頭に自ら協奏曲やこの第二ソナタを作曲したこと、などなど──幾重にも絡み合う作曲家と演奏家の協働関係の網の目が常に小町さんの念頭にある。配布されたプログラム小冊子にも、そのあたりの経緯が彼女の解説で周到に説かれている。演奏家たる者、こうぢゃなくちゃね。
後半の冒頭で奏される細川作品だけが明らかに異色、というか演目中で孤立した感は否めないが、今回これをリサイタルに含めるにあたって小町さんは作曲者と面会してじかに教えを乞うたそうだ(彼女のブログ記事を参照
→ここ)。作曲家と演奏家との緊密な触れ合いこそが音楽の源泉だという、彼女なりの確信があるのだろう、過去の探索から得た教訓を踏まえての今日的実践として、敢えてここに同時代の日本人の楽曲を含めたのだと考えるとなるほど得心がいく。
その細川の「悲歌」も含め、小町さんの秀逸な技量と繊細な感受性、そしてヴァーサタイルな資質が存分に披瀝された一夜だった。とりわけ彼女の弾くディーリアスの第二ソナタには聴く者の胸を締めつけずにはおかぬ真率な響きがある。リサイタル冒頭ということもあり、少しばかり堅さも散見されたが、凛とした音色によって夢幻的な境地へと誘う実演には抗しがたい魅力があった。昔LPで聴き馴染んだ
ラルフ・ホームズ Ralph Holmes の憧れに満ちた演奏をふと想起したほどである(仄聞したところによると、小町さんは王立音楽院でホームズの孫弟子にあたるらしい)。来春に出る彼女のデビューCDにはディーリアスの第三ソナタが収められるという。今から待ち遠しいことだ。
忘れずに書き留めておくが、最後のエルガーのソナタがことのほか秀逸な出来映えだった。肌理細やかなボウイングの妙と、抑制の利いた歌心とが相俟って、稀に見る感動的な高みに達していたと思う。この高貴な味わいこそ nobilmente と称するものだろう。ピアノの丹さんの伴奏も劣らず入念そのもの、終楽章では完全にヴァイオリンと一心同体の趣だった。
あゝ、この余韻を耳に残したまま潔く終わってくれればな、どうかアンコールで同じエルガーの「愛の挨拶」なんか演らないでほしい──そんな当方の願いが通じたのだろうか、今宵のアンコールは思いがけずブリテンの "O Waly, Waly" が奏されたのには不意を打たれちょっと感動した。あのひたひた胸に迫る民謡編曲を、小町さんは今宵のためヴァイオリン用に自ら編曲したのだそうだ。ブリテン生誕百年を寿ぐ、こよなき捧げものというべきだろう。ブラーヴァ!