これは確かオーディオ評論家の長岡鉄男さんのエッセイの一節だと記憶するのだが、「コレクター」とは自分が収集した個々の文物について「それが何であるかを熟知する人」、すなわちいかなる価値と独自性を有し、どんな文脈に属するものかを正確に把握している者を意味する語なのだそうだ。ただ闇雲に買い集め、それらのなんたるかも知らず、ただ手許に留めるだけでは蒐集家の仲間入りは果たせない。そうした輩はコレクターではなく「
ホールダー」と呼ばれるべきだ──そう喝破されていたと思う。「ホールダー」すなわちただ単に「保持する者」。これではコクヨのクリアーホルダーと同断なのだ。
長岡さんは決して「コレクターたるべし」と主張してはいなかった。むしろ、多くを集めて貪欲に聴く実践者としての矜持から、自らを「ホールダー」と規定していたのだが、小生はこれを読んだとき忸怩たる思いに捉われたものだ。ただ「保持する」だけで、そのレコードなり本なりが一体なんなのか、まるきり分かっていない場合が少なくないのである。所有した以上はその正体や価値をちゃんと弁えた所蔵者、「コレクター」の域に到達したいものだ──密かにそう希ったのである。
そんな由無し事に思い巡らせたのは、たまたま書棚から取り出した一冊のチェコ絵本を前にして、何ひとつ情報や知識を持ち合わせていないことにハタと気づき、「あゝ、これでは自分は単なるホールダーでしかない・・・」と無知な自分に恥じ入り、つくづく情けなく感じたからだ。今日はその絵本の話をしよう。
Josef Lada
ŘíkadlaAlbatros
1966
もう委細は思い出せないが、阿佐谷でその日暮らしを営んでいた時分、1970年代後半に中央線沿線のどこか、恐らく吉祥寺の古本屋で掘り出したのではなかろうか。書店シールや値札は貼付されず、鉛筆で売価「350-」とだけ記されている。
ヨゼフ・ラダの挿絵入り童話は邦訳で『きつねものがたり』(福音館書店、1966)と『黒ねこミケシュのぼうけん』(岩波書店、1967)をすでに手にしていたけれど、原語の絵本を見つけたのはこれが初めてだった。そもそもチェコ語の絵本と出くわすこと自体それまでに一度もなかった。
1966年の刊行というから作者のラダは疾うに世を去っていたわけだが、歿後の版であることは差し当たって意に介さない。なにしろ見るからに愉しそうな絵本なのだ。表紙を見るなり微笑んでしまう(
→これ)。たちどころに魅了された。
だがこの絵本 "Říkadla" の面白さは表紙をただ眺めていたのではわからない。現物を手に取って拡げてみないと始まらないのである。
これは絵本といっても冊子の形をしていない。ジグザグに折り畳まれた経本仕立ての蛇腹本(折り本)なのだ(
→こんな具合 →立てたところ)。しっかりした厚紙の両面に絵がひとつずつ配されて(表紙を含め)表裏で全十二景、折り畳み部分は赤い布でしっかりジョイントされ、全部を拡げると1メートルに近い。
それから三十有余年、折に触れて書棚から取り出して、伸びやかで鄙びた、それでいてピリッとした諷刺の隠し味のあるラダの挿絵を眺めては、この蛇腹絵本を拡げたり畳んだりして独り愉しんでいる。チェコ語は片言隻句まるで解さないから、絵の下に添えてある詩句の意味は皆目わからず、ただ眺めるだけ。さぞかし腹を抱えるほど滑稽な内容なのだろうなと察するばかり。
やがて同題のヤナーチェクの小品集(→
ヤナーチェク「わらべ唄」総棚ざらえ)が好きになり、それがラダやセコラの挿絵を伴う新聞記事に附曲したものと知ってからは、その曲集とこの絵本と何か関係があるのかしらん・・・と訝しがったものの、それ以上は突き詰めて詮索することなく過ぎた。この絵本に関する限り、自分はコレクター未満の「ホールダー」段階に留まっている──そう自覚しては忸怩たる思いに駆られてきた。絵本収集家の風上にも置けぬ無知蒙昧な存在である、と。
それではならじ、と意を決して、それぞれの頁の詩句の前半二行をそっくり引き写し、怪しげな素人訳を試みてみる。
■ 裏
1) →左の頁
Šel Janeček na kopeček,hnal před sebou pět oveček
ヤネチェクが丘を登っていく/五匹の羊の群れ連れて
2) →これ
Skákal pes přes oves, přes zelenou louku,
犬が鴉麦畑を跳び越える/草原を跳び越える
3) →これ
Vašek Pašek, to je pán, na trumpetu troubí sám,
ヴァシェク、豚野郎、大将自ら/喇叭を吹き鳴らし
4) →右の頁
Antonín, veze kmín,
アントニーンが/薬草を運ぶ
5) →左の頁
Kalamajka mik, mik, mik, oženil se kominík,
(意味不明)
6) →これ
Šel zajíček brázdou, měl kapsičku prázdnou,
兎君が歩いていく/ポケットは空っぽ
■ 表
7) 奥付あり →これ
Ten náš Pavel, to je kos,
われらがパヴェル/(以下、意味不明)
8) →これ
Jarka nese mouku v zeleném klobouku,
ヤルカが麦粉を運ぶ/緑の帽子に入れて
9) →これ
Karlíku, Karlíku,dobrá kaše na mlíku,
カルリーク、カルリーク/牛乳粥は美味しいよ
10) →左の頁
Krtek leze podle meze, vyměřuje louku,
土龍が畦を這い回り/草原を測量してる
11) →これ
Pepíku, Pepíku, copak dělá babka?
ペピーク、ペピーク/婆さんは何を作る?
12)表紙(著者名、書名) →これ
Josef Lada Říkadla
ヨゼフ・ラダ/わらべ唄(韻ふみ歌)
邦訳が間違いだらけなのはご容赦いただきたい。なにせgoogle翻訳で急拵えした代物なので。どうか何卒お目こぼし頂くとして、これらをヤナーチェクが作曲した
"Říkadla"(1926完成)の曲名と比較していただきたいのだ。
01. Úvod 序奏
02. Řípa se vdávala 砂糖大根のお嫁入り
03. Není lepší jako z jara 春に勝るものはない*
04. Leze krtek podle meze 土龍が畦を這い回り*
05. Karel do pekla zajel カレルが地獄行きだとさ*
06. Roztrhané kalhoty 破れズボンに*
07. Franta rasů, hrál na basu ラス(犬猫捕り)の息子フランタ、バスを弾く*
08. Náš pes, náš pes うちの犬が、うちの犬が*
09. Dělám, dělám kázání お説教だ、説教するぞ
10. Stará bába čarovala 婆さんが魔法かけると*
11. Hó, hó, krávy dó ホー、ホー、牛が行く
12. Moje žena malučičká おいらのちっちゃな女房を
13. Bába leze do bezu おばばがライラックの茂みに潜る*
14. Koza bílá hrušky sbírá 白い山羊が梨を集め*
15. Němec brouk, hrnce tlouk 気難し屋のドイツ人が鍋を叩き*
16. Koza leží na seně 山羊が乾草に寝そべって*
17. Vašek, pašek, bubeník ヴァシェク、豚野郎、太鼓叩き*
18. Frantíku, Frantíku フランチーク、フランチーク*
19. Sedět' medvid' na kolod 熊さん丸太に乗っかって
タイトル(というのは詩句の冒頭のことだ)を眺めるだけで、ヤナーチェクの「
04. 土龍が畦を這い回り」がラダの「
10」にも登場しているのがわかる。両者の詩句は僅かな単語の入れ替えを除いてほぼ同一である。さらに、「
18. フランチーク、フランチーク」は、ラダでは「
9)カルリーク、カルリーク」と主人公の名前こそ異なるものの、二行目以降の展開は殆ど変わらないヴァリアントである。
「
17. ヴァシェク、豚野郎、太鼓叩き」はラダの「
3」とよく似た始まりだが、主人公ヴァシェクが太鼓叩きでなく喇叭吹きに改まり、ヤナーチェク版で登場する二匹の山羊(「山羊はびっくり仰天し/池のなかに飛び込んだ」)はラダ版では犬になって、ヴァシェクが喇叭を吹くと犬が集まってくるという別の展開になっている(元の民謡に二つのヴァージョンがあるのだろう)。奇妙なことに、採用されなかった「山羊が池に飛び込む」場面は、ラダの絵本の表紙に描かれている。
要するに、ラダの蛇腹絵本の十二場面のうち四場面までがヤナーチェク版「わらべ唄」と繋がりをもつという結果である。両者の間には緊密な連関とはいわぬまでも、浅からぬ因縁がありそうだ。因みに、それらの戯れ歌は最初に新聞『リドヴェー・ノヴィニ』日曜版に掲載されたときから、すべてラダの挿絵を伴っていた。
架蔵する絵本が1966年の年記をもつ後版であることは既に記したとおりだが、その初版はいつ出たのだろう。ヨゼフ・ラダの挿絵本は膨大な数あって、委細を知るのは容易でないが、たまたま手許にある
"Ladova Ilustrace"(1957, J. A. Novotný著)という重宝な本を繙くと、同題の絵本が1955年に出ている(Statni Nakladatelstvi Detske Knihy刊)とあるので、手元にある版(Albatros刊)は恐らくその再刊本なのだろうと推測される。
以上のいきさつを時系列に沿って整理してみると、
1922年 この年からプラハの新聞『リドヴェー・ノヴィニ』の日曜版の子供版附録 "Lidové noviny Dětský koutek" にヨゼフ・ラダ、オンジェイ・セコラ、ヤン・ハーラらの挿絵入りで「わらべ唄(戯れ歌、韻ふみ歌)」が連載される。
1925年 ヤナーチェクの楽譜「わらべ唄 Říkadla」第一集が刊行される。ラダ、セコラの新聞挿絵も再録。
1927年 同じく第二集が刊行。ラダ、セコラ、ハーラらの挿絵を再録。
1928年 レオシュ・ヤナーチェク死去。
1949年 ヤナーチェクの曲集から七曲を抜粋し、ラダの彩色画を用いたアニメ映画《わらべ歌 Říkadla》製作・公開。監督エドゥアルド・ホフマン。音楽監督オタカル・パジーク、指揮ヤン・キューン、ピアノ演奏フランチシェク・マクシアーン。
1955年 ラダの絵本『わらべ唄 Říkadla』刊行(SNDK刊)。
1957年 ヤン・キューン指揮によるヤナーチェクの「わらべ唄」最初のLP録音。
1957年 ヨゼフ・ラダ死去。
1966年 ラダの絵本『わらべ唄』、Albatros社から再刊。
とまあ、ざっとこういうクロノロジカルな展開になろうか。
朧げながら浮かび上がるストーリーはこうなる。すなわち、1949年のアニメ映画に協力し、七枚の「わらべ唄」挿絵を提供したラダは、ヤナーチェクとの間接的なコラボレーションに思いを馳せ、改めて若き日の新聞挿絵を回想しながら、新たな構想に基づいて魅力的な新作絵本『わらべ唄』を制作したのだ、と。無論これはあくまでも仮説の域を出ないのだけれど。
今の小生の乏しい知識ではここまで推察するのがやっと。やはりラダ絵本のコレクターを自称するには程遠いのが現状だ。悔しいけれど自分は「ホールダー」なのだと改めて悟らされた。日暮れて道なお遠し。ホールダーはホールダーでも、百円ショップで買えるホールダーよりは幾らかマシだと負け惜しみを云ってみる。