指揮者としての活動歴は優に半世紀を上回る
セルジュ・ボードだが、その軌跡が検証可能な形でLPやCDに刻まれているかというと些か心許ない。1970年代前半にパリとの縁が切れて以降は録音も散発的になったから、ライフワークだった筈のベルリオーズが殆ど聴けないなど、ディスコグラフィに致命的な欠落がある。
個人的に思い出深い録音といえば、最初期の「
フランス映画音楽の四半世紀」やパリ管弦楽団との蜜月時代の記録「
フォーレ名演集」が真っ先に思い浮かぶのだが、それらに関しては別のところで詳しく紹介した。
→半世紀前の「映画音楽の二十五年」→初秋の愛聴盤(3) フォーレ篇一般にセルジュ・ボードの代表的名盤としては、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団との協働作業である史上初の「
オネゲル交響曲全集」や、同じくオネゲル畢生の大作「
火刑台のジャンヌ・ダルク」が推奨さるべきだろうが、臍曲がりな小生はあまり人の口の端に上ることのないボードの「知られざる」名盤を掬い上げて、以下に年代を追いながら十点ほど掲げてみることにする。
多くは既に廃盤状態で入手は必ずしも容易ではないだろうが、手間暇をかけ捜し出すに値する珠玉の名演奏揃いであることは保証しよう。これらの幾許かを耳にすることで、ともすれば忘れられがちな隠れた名匠の誠実な仕事ぶりが少しでも世に知られることを願ってやまない。
1)
"Milhaud/ Poulenc/ Sauguet"
ミヨー: プロヴァンス組曲*
プーランク: オーバード**
ソーゲ: 舞踊音楽「旅芸人」**
ピアノ/ジャック・フェヴリエ**
セルジュ・ボード指揮* **
アンリ・ソーゲ指揮***
パリ音楽院管弦楽団*
ラムルー管弦楽団** ***1963年*、1962年**、1963年***、パリ
Le Chant du Monde LDC 278.300 (1990)
→アルバム・カヴァーオペラ指揮者として頭角を現し始めた初期の録音。同時期のLPにはフォーレ「バラード」「ペレアスとメリザンド」があった。パリ音楽院管やラムルー管の懐かしい古雅な音色を愉しむのに最適だが、ボードの解釈はやや一本調子で精彩を欠く。
2)
《ボド/パリ管弦楽団 ムソルグスキー&ラヴェル》
ムソルグスキー(ラヴェル編): 組曲「展覧会の絵」*
ラヴェル: 組曲「マ・メール・ロワ」**
セルジュ・ボード指揮
パリ管弦楽団1969年2月14、19日*、7月3、4、12日**、パリ、サル・ヴァグラム
Tower Records EMI QIAG 50086 (2012)
→アルバム・カヴァーミュンシュの急逝から間もないパリ管弦楽団との録音。実はルーセルとメシアンのLPがお奨めなのだが(前者の「詩篇第八十篇」、後者の「われ死者の復活を待ち望む」は稀代の秀演)、元のカップリングのCDが存在しないので、この「オール・ラヴェル・プロ」や上述した「フォーレ名演集」が当時のボードの代表作となる。伝統的なフランス色を残しつつ精度の高いアンサンブルを達成した「夢の実現」だ。
3)
"Centenaire d'Arthur Honegger Vol.1"
オネゲル:
世俗オラトリオ「世界の叫び」(チェコ語歌唱)*
交響曲 第三番**
ソプラノ/ヘレナ・タッテルムスホヴァー
アルト/ヴェラ・ソウクポヴァー
バリトン/ヤロスラフ・マイトネル
セルジュ・ボード指揮
プラハ交響楽団、プラハ・フィルハーモニー合唱団*
マリオ・クレメンス指揮
プラハ放送交響楽団**1975年(実況)*、1979年**、プラハ
Le Chant du Monde - Praga PR 250 000 (1992)
→アルバム・カヴァーボードのオネゲルといえばチェコ・フィルとの一連の録音が昔から決定盤の名を恣にしているが、ここではプラハ響と共演した「世界の叫び Cris du Monde」実況盤を。楽曲の素晴らしさもさることながら、渾身の力を籠めたボードの熾烈な指揮ぶりに舌を巻く。この知られざるオラトリオの史上初のステレオ録音が(本来のフランス語でなく)チェコ語の歌唱でなされたという事実も今となっては感慨深い。
4)
"Sergey Prokofiev: Symphonies No.5 & No.6"
プロコフィエフ:
交響曲 第五番*
交響曲 第六番**
セルジュ・ボード指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団*
エヴゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団**1976年5月28日*、1967年5月25日**、プラハ、スメタナ・ホール(実況)
Le Chant du Monde - Praga PR 250 079 (1995)
→アルバム・カヴァーボード指揮のプロコフィエフは珍しく、他にリヨン管との「スキタイ組曲」「賭博者」抜粋(Fnac限定LP)があるのみ。この「第五」は「プラハの春」音楽祭の実況録音とおぼしく、カップリングがムラヴィンスキーの壮絶無比な「第六」というのが如何にも分が悪いが、ボード&チェコ・フィルもそれなりに健闘している。真摯な好演。
5)
"Poulenc/ Stabat Mater/ Lagrange/ Baudo"
プーランク:
スターバト・マーテル*
サルウェ・レギーナ
黒い聖母のための連禱
ソプラノ/ミシェル・ラグランジュ*
セルジュ・ボード指揮
リヨン国立管弦楽団、リヨン国立合唱団1984年8月、リヨン、モーリス・ラヴェル楽堂
Harmonia Mundi France HMC 905149 (1985)
→アルバム・カヴァー十六年にも及ぶボードのリヨン在任期間だが、残された音盤は悲しいほど尠い。かてて加えて上述のプロコフィエフ、ラヴェル名演集(「ダフニス」第二組曲、ボレロ、パヴァーヌ、道化師の朝の歌)、ベルリオーズ「ロミオとジュリエット」全曲のLPが悉く未CD化というのは余りにも理不尽だ。辛うじてCDでも聴ける「プーランク宗教音楽集」は、楽団が「国立」に名称を変更して最初のアルバム。ボードが手塩にかけたオーケストラと合唱団の高度な達成を示している。感情の発露が際立つ生々しいプーランク。合唱のみの「サルウェ・レギーナ」の美しさも忘れがたい。
6)
"Dutilleux/ Orch. Nat. Lyon/ Baudo"
デュティユー:
交響曲 第一番
音色、空間、運動
セルジュ・ボード指揮
リヨン国立管弦楽団1985年10月、1986年6月、リヨン、モーリス・ラヴェル楽堂
Harmonia Mundi France HMC 905159 (1986)
→アルバム・カヴァーオネゲルの延長上にあるアンリ・デュティユーの音楽はボードときわめて相性がよく、ロストロポーヴィチを独奏者とするチェロ協奏曲は彼の指揮で世界初演された(録音もある)。本アルバムはリヨン在任期におけるボードの総決算ともいうべき意気込みが感じられる。とりわけ第一交響曲(来日時N響でこの曲を振った由)が目覚ましい出来。リヨンでの録音では他にドビュッシー「ペレアスとメリザンド」全曲が知られるが、肝腎の主役二人の歌唱がイマイチなのが惜しい。もうひとつ、ベートーヴェンのオラトリオ「橄欖山のキリスト」があって、こちらは掬すべき佳演。
7)
"Pelléas et Mélisande: Debussy, Sibelius, Schoenberg, Fauré"
ドビュッシー(コンスタン編):
「ペレアスとメリザンド」交響曲*
シベリウス:
劇音楽「ペレアスとメリザンド」*
シェーンベルク:
交響詩「ペレアスとメリザンド」**
フォーレ(ケックラン編):
組曲「ペレアスとメリザンド」**
セルジュ・ボード指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団1989年4月11、12、15日*、13、14日(実況)**、プラハ、ルドルフィヌム楽堂
Supraphon SU 3899-2 (1991/2007)
→アルバム・カヴァー四人が作曲家が「ペレアス」に附けた音楽が一堂に会するという秀逸な企画。それだけで推奨ものだが、演奏がまた素晴らしい。ドビュッシーとフォーレが自家薬籠中なのは当然として、シベリウスのクールな感触やシェーンベルクの官能のうねりまで巧みに描出したボードの腕前は老練の極み。チェコ・フィルの弦の美しさ、豊かな表現力にも溜息が出る。どうやら後半の二曲のみ実況録音のようだが、録音日の接近具合から察するに、この四曲を一夜で取り上げた演奏会が催されたらしく、前半二曲はそのリハーサル・テイクなのであろう。このような演奏が「ビロード革命」七か月前プラハでなされたのも歴史の妙味だろう。別箇のCD二枚で出ていたが、2007年ボードの生誕八十年を記念して二枚組で再発された。
8)
"José van Dam: Berlioz & F. Martin"
ベルリオーズ: 歌曲集「夏の夜」
マルタン: 三つの異教の詩(世界初録音)
バス・バリトン/ジョゼ・ヴァン・ダム
セルジュ・ボード指揮
スイス・イタリア語圏管弦楽団1996年12月、ルガーノ放送局楽堂
Forlane 16768 (1997)
→アルバム・カヴァーヴァン・ダムは「夏の夜」を好んでいて、リサイタルでも屡々取り上げ、ピアノ伴奏のCDもある。それから十年して絶頂期の彼がその管弦楽版でボードと協働したのは実に卓見だった。ともあれベルリオーズの珠玉の歌曲集がボード指揮で残されたのだから嬉しい。併録のマルタンは初期の歌曲集でロマン派風の色彩が強いもの。ルガーノのオーケストラの力量は並の上といった辺りか。ボードは翌97年その首席指揮者に就任するので、お披露目的な意味合いの録音でもあろう。
9)
"Berlioz: L'Enfance du Christ - Serge Baudo"
ベルリオーズ:
神聖三部作「キリストの幼時」
メゾソプラノ/筬田美弥城(おさだ みやぎ)
テノール/イーヴ・セランス、ジャン=リュック・ドロン
バリトン/ジェラール・テリュエル、フルヴィオ・ベッティーニ
バス/アンドレ・コニェ
セルジュ・ボード指揮
スイス・イタリア語圏管弦楽団、スイス放送合唱団1998年12月、ルガーノ、会議場(実況)
Forlane 268102 (2000)
→アルバム・カヴァーボードが在任した四年間でルガーノの楽団が如何に成長したか詳らかでないが、ベルリオーズの大作が敢然と取り上げられ、実況録音されたのだから以って瞑すべし。作曲家への敬慕の念が滲み出た誠実で至純の演奏。聖母マリア役を歌う筬田さんはブリュッセルを拠点に永らく活躍され、その才能をジョゼ・ヴァン・ダムが高く買っている由。彼女の抜擢は恐らくヴァン・ダムの推挙に拠るものだろう。
10)
"Ravel - Honegger - Debussy"
ラヴェル:
舞踊音楽「ボレロ」*
組曲「マ・メール・ロワ」**
オネゲル:
フルート、コール・アングレ、弦楽のためのコンチェルト・ダ・カメラ***
ドビュッシー:
三つの交響的習作「海」****
フルート/パヴェル・フォルティーン***
コール・アングレ/イヴェタ・バハマノヴァー***
セルジュ・ボード指揮
プラハ交響楽団2001年* **、2002年*** ****、プラハ、スメタナ・ホール(実況)
Music Vars VA 0145-2 (2003)
→アルバム・カヴァー2001年から音楽監督の任にあったボードの薫陶を得てチェコ楽団が「フランス語でしゃべっている」のが実に好もしい。1959年に始まるという長きに及ぶ信頼関係の賜物だろう。「実況録音」とあるが、リハーサルも交え、いくつかの演奏記録から纏められたものだろう。オネゲルの協奏曲が珍しい聴きもので、見事なフルートを披露するフォルティーン氏は今や群馬交響楽団の首席奏者なのだとか。
番外)
オネゲル: 交響曲 第五番「三つのレ」
ラヴェル: 歌曲集「シェエラザード」*
ベルリオーズ: 幻想交響曲
メゾソプラノ/シルヴィ・ブリュネ*
セルジュ・ボード指揮
ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団2004年1月30日、ブダペスト音楽アカデミー(実況)
Dirigent DIR 1084 (2013, CD-R)
最後は海賊盤なので強くはお奨めしない。実況放送をエアチェック&違法ディスク化した代物だが、それだけに一夜の演奏会そのままの記録として値千金だろう。ブダペストに客演した折りのプログラムには如何にもボードらしい演目がずらり。「幻想」は云わずと知れた彼の十八番だが、不思議なことにボードの長い盤歴で60年代に学生楽団を振ったLP(!)しか存在せず、その意味でこれは待望久しい録音なのだ。そういえばシャルル・ミュンシュも晩年ブダペストのオーケストラに客演して、同じ「幻想」で驚くべき名演を遺している。なんという床しい偶然だろう。