寝坊して少し出遅れたが今日もよく晴れたので計画したとおり上京、JRと地下鉄を乗り継いではるばる初台まで出向く。
到着したのは十二時半。昼食時の真只中とあってオペラシティの飲食街はどこもかしこも混み合っている。さしたる考えもなく空席の目立つ居酒屋「
鍛冶屋 文蔵」に入った。そもそもこれが間違いの発端だった。
小生が頼んだ「牡蠣フライ定食」はまあ可もなく不可もない普通のランチだったのだが、家人は所望した「冷やし饂飩+牛丼」セットを二、三口ほど摘まんだところでハタと箸を止めた。「お気に召さぬなら交換しよう」と取り替えっこした。
いや~、この「冷やし饂飩+牛丼」たるや前代未聞の代物だった。饂飩は醤油さながらの液体にどっぷり浸され、あまりの味の濃さにたじろぐ。濃縮ツユ原液そのままの甘辛さに口がひん曲がりそうだ。片や牛丼も負けてはいない。煮込み過ぎた具材に万遍なくツユが滲みて、ご飯の底まで褐色に染まっている。右に饂飩、左には牛丼、いずれ劣らぬ濃厚甘辛軍団の挟み撃ちに遭って進退まさに窮まった形勢である。逃げ場所はといえば薬味の葱と点け合わせの紅生姜だけという勝ち目のない戦い。それでもどうにか完食したのは「残さず食べよ」という我が家の家訓に従ったまでだ。普通は食べずに残すよね。喉はもうカラカラ。
がっくり肩を落として店を出ると、目の前の吹き抜けでジョナサン・ボロフスキーの巨人像が愚者を嘲弄するように歌っている。憤懣やるかたなく「
エクセルシオール カフェ」で口直し。なんでもない普通の珈琲がたいそう美味に感じられる。
気を取り直して三階の
東京オペラシティ アートギャラリーへ。先週末ここで特別展「
五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年」が始まったところだ。一刻も早く観たかったのだが颱風来襲などで出向くのが遅くなった。
口上/
日本の音楽は、19世紀後半に西洋近代の文化と接触することによって、新たなスタートを切りました。黒船の軍楽の響きは鎖国時代の終わりを知らせ、アメリカ人宣教師たちが教える英語や讃美歌は、新しい時代の到来を告げました。明治維新政府は教育制度に西洋音楽を積極的に導入し、近代国家にふさわしい音楽の構築を試みます。以来150年、日本の近代音楽は、ときに国内外の政治情勢に翻弄されながらも、芸術文化の諸領域と連動し、今日の音楽文化の隆盛を築いてきました。 本展は、時代とともに歩んできた日本近代音楽の激動の150年をたどるものです。明治学院大学日本近代音楽館の所蔵資料を中心に、全国の資料館、美術館および個人蔵の貴重な資料も加えて、開国以来の音楽を中心とした文化史を立体的かつダイナミックに再構成します。
構成/
幕末・明治に日本人が初めて西洋音楽に触れてから今日まで150年。現代の思想や文化にもつながる大転換期を日本人は経験しました。この展覧会は、文化史を軸に、日本人がどのように西洋音楽を受け入れ、どのように音楽と向き合い、自分たちの音楽をつくり上げてきたかをたどるものです。それは、日本人にとっての音楽とは何かを問いかける試みとなるでしょう。
明治学院大学図書館付属日本近代音楽館には約50万点の資料が保管・公開されています。本展では、同館所蔵の資料を厳選し、さらに、日本各地の博物館、資料館、図書館などの機関や、個人所蔵の資料を加えた約300点によって、日本近代音楽の歩みをたどる初の試みです。
展示は、楽譜、楽器、書簡、公演プログラム、レコード、絵画などの多様な資料によって構成されます。さらに、時代の息吹を実感できるように、時代背景をわかりやすく映像で伝えるコーナーを4つのセクションに設けています。時代の変化を詳細に映し出す構成は、150年という歴史をまさに駆け抜けるかのように感じられることでしょう。また、実際の音楽を聴くことで、視覚だけでなく、聴覚を通じて体感することができます。激動の時代を生きた先人たちが五線譜に描いた夢は、現代の私たちの心にどのように受け継がれているのでしょうか。 そういう次第である。日本近代音楽館には小生のような在野の研究者にとっての智識の宝庫であり、これまで何度となく世話になった。若き日の山田耕作(耕筰)のバレエ・リュス体験を探索した折に、大田黒元雄と徳川頼貞のプロコフィエフとの出逢いを跡づけた際に、ここの主任司書だった林淑姫さんの懇切な助言と、よく整理された稀少史料の蓄積にどれだけ援けられたことか。
1966年に「遠山音楽財団附属図書室」として開設されて四十余年、同館はそれまで等閑視されてきた日本近代音楽史料(最も重要なのは散逸しかけていた作曲家たちの未公刊の直筆楽譜である)の収集に邁進し、幾多の楽曲の復活上演・録音に途を拓いた。関連書籍・雑誌類、研究書目、演奏会プログラムなど周辺資料の収集にも怠りない。その潤沢なコレクションは日本近代演劇史における早稲田の坪内逍遥記念演劇博物館と双璧であろう。
驚くべきことに、多大な労力を要するこの遠大な企ては、遠山一行さんという一個人の私財のみによって賄われてきた純然たるメセナ事業なのである。日本近代音楽史そのものを後世に伝える営みは本来なら国が主導的になすべき文化事業だろうが、わが愚昧なるニッポン国は今に至るまで何ひとつ策を講じてこなかった。まあこの最低な国家に何かを期待するだけ空しいのだが。
麻布にあった日本近代音楽館の図書室を訪れる度毎に、遠山さんの偉大さに深く頭を垂れた。誰もやらないなら自分がやるという気概と義侠心をひしひしと感じたからだ。2010年ここが閉鎖されると聞いて暗澹たる思いに捉われたものだが、幸い後事を託された形で翌11年「
明治学院大学図書館付属日本近代音楽館」が新たに発足した。稀に見る英断と称すべきだろう。
ここの貴重な史料はかつて麻布時代に深井史郎や大田黒元雄といった切り口で上野の旧奏楽堂の一郭を会場として小規模な展示がなされたことはあるものの、コレクションを縦横に駆使して近代音楽史全体を通観するような大がかりな展覧会は今回が初めてである。時をおかず馳せ参じぬ訳にはいくまい。
展覧会の構成は至極オーソドックス。クロノロジカルに「幕末から明治へ」「大正モダニズムと音楽」「昭和の戦争と音楽」「『戦後』から21世紀へ」の四章に分かたれる。第一章では流石に他館や個人コレクションの援けを借りているが、二章以降はほぼすべて近代音楽館の所蔵品だけで成り立っているのだから流石だ。
個々の見所を語りだすと、それこそ枚挙に暇がないが、小生が立ち止まり「おゝ」と嘆声を挙げた品目を以下に列挙してみると、
◆文部省音樂取調掛編『小學唱歌集 初編』 1881年唱歌「見渡せば」(柴田清照、稲垣千頴作詞)掲載頁。現今の「むすんでひらいて」の原初形である。いうまでもなく原曲はジャン=ジャック・ルソー(!)作詞作曲のオペラ《村の占師》の挿入曲。東京藝術大学附属図書館蔵。
◆日比谷公園奏樂曲目 1908年5月24日帝国海軍軍楽隊(指揮/瀬戸口藤吉)の演奏。ジュッペ作 准歌劇「輕騎兵」序曲、ルコツク作 准歌劇「娘アンゴー(
一名 勸工場の一人娘)」抜萃曲、バルフ作 歌劇「波希美
ボヘミヤ の少女」序曲、マスカニー作 歌劇「カワレリア、ルスチカナ(
一名 百姓の名譽)」抜萃曲などを華々しく吹奏。
◆島崎藤村 自製アルバム 第一巻1913年から数年間に及ぶ藤村の欧州滞在時を追想した貴重な手製アルバム。ドビュッシーがニノン・ヴァランと共演した1914年3月の演奏会(ドビュッシーが「子供の領分」ほかを弾き、ヴァランの「恋人たちの遊歩道」ほかを伴奏)プログラム、同じく14年3月のパリ・バッハ協会「マタイ受難曲」演奏会(ギュスターヴ・ブレ指揮、マリア・フロイントほか出演)プログラムを貼付。藤村記念館蔵。
◆『オルフオイス演奏紀念』(歌劇演奏会) 1903年7月刊 わが国の歌劇上演の嚆矢となったグルック作《オルフェオとエウリディーチェ》日本初演。東京音楽学校有志の「歌劇研究会」と帝大ワグネル会が企てた。指揮ノエル・ペリ、主演(百合姫)柴田(三浦)環、背景画を山本芳翠、装置を岡田三郎助、藤島武二が手がけた由。記念アルバムは美麗な写真をあしらった豪華本だ。
◆田中正平考案 純正調オルガン(日本楽器製造) 1936年ヘルムホルツに音響理論を学んだ田中正平が発明した「純正調オルガン」。人為的な平均律を排して自然倍音に基づく純正律を声を大に推奨した。そればかりか楽器まで発明して普及に努めたという。そのオルガンの現物を初めて目にした。黒鍵の数が明らかに異なる面妖な楽器だが、響きは一体どんなだろう。国立音楽大学楽器学資料館蔵。日本に四台あるうちの貴重な一台という。
◆山田耕作作曲《交響詩 曼荼羅の華 まだらのはな》自筆譜 1913年これぞ日本音楽史上に特筆すべき近代音楽の出発点。若き山田が留学先伯林で作曲した劃期的な交響詩。シュトラウスばりの巧緻なオーケストレーションにほとほと感心する。五線譜上にペン書きされた表紙デザインが秀逸だ。
◆『Der Sturm 木版畫展覧會目錄』 1914年3月山田耕作と斎藤佳三が伯林のシュトゥルム画廊のヘルヴァルト・ヴァルデンから預かった現代版画を日比谷で展観。カンディンスキー、マルク、シュミット=ロットルフ、キルヒナーはもとよりボッチョーニ、レジェ、ローランサンまで含まれていた。出品目録小冊子の表紙にはココシュカ作のヴァルデン肖像が。久しぶりに再会したが、いつ観ても感涙もの。山田・斎藤ご両人の新美術への慧眼に舌を巻く。
◆萩原朔太郎愛用のギターと朔太郎作曲《機織る乙女》(1915頃)自筆譜朔太郎が洋楽をこよなく愛したのは有名だ。「こよなく愛した」どころか、マンドリン演奏にかけては玄人はだし、演奏会をたびたび催し、自作のマンドリン曲もある。"Andante cantabile (Mandolin Solo)" と註記された直筆譜に心躍る。
◆ドビュッシー作曲 歌劇《ペレアスとメリザンド》(1902年)ヴォーカル・スコア限定版の「14」番。ピエール・ルイス旧蔵本で、驚いたことにドビュッシーの直筆署名と献辞入り! こんな稀覯本を所蔵したのは大田黒元雄その人である。おそらく20年代の収集道楽の所産だろうが、よくぞ手に入れたものだ。大田黒がらみのアイテムでは1918年のプロコフィエフ来日時の演奏会プログラム(帝国劇場)が愉しみだったが残念ながら複写のみで実物は出品されず。
◆W・H・ヴォーリズ「南葵樂堂設計図」1917年(複製)
◆ロッシーニ《エジプトのモーセ》の二重唱 自筆譜 1818年(南葵音楽文庫旧蔵)そのプロコフィエフにピアノ・ソナタ作曲を依頼した「紀州の殿様」徳川頼貞は実に天晴れな人物だ。英国で音楽学を学んだのち、潤沢な私財を投じて麻布台の自邸敷地に日本初の演奏会専用ホールと音楽専門の図書館の設立を敢行した。音楽堂は関東大震災で大破し短命に終わったが、地階の図書館はパーセルやヘンデルの稀少な直筆譜・初期譜をも擁した豊富な収集を誇り、その蔵書と楽譜で若き深井史郎は多くを学んだという。いわば近代音楽館の祖型のような私設アーカイヴだった。林淑姫さんは麻布の旧館でかつて「ここの隣のブロックに頼貞の音楽文庫があったと思うと不思議な因縁を感じる」としみじみ述懐していたっけ。その音楽ホールの設計図面(一粒社ヴォーリズ建築事務所蔵)と、図書館旧蔵のロッシーニの直筆譜(読売日本交響楽団蔵)。眼福とはこのことだ!
…という次第で、見所を書き出すと実にもう限りがない。後半部分でも橋本國彦(交響曲第一番、《お菓子と娘》)や深井史郎(《パロディ的な四楽章》の初稿!)やブリテン(《シンフォニア・ダ・レクイエム》!)や武満徹(《弦楽のためのレクイエム》、《ノヴェンバー・ステップス》)などなど)の自筆譜が間近に拝める。
あとはもう各自めいめいに足を運んで実見してほしい。日本近代音楽の歴史に興味がある方は勿論、今の私たちが何不自由なく欧米の音楽と気楽に接していられるのは先人たちの百五十年の営みのお蔭なのだと知るうえで、誰しもこの展示を見逃す訳にいかないのである。
最後に附言すると、本展のカタログは内容充実、仕上がりも美しくまさに必携である。林さんの解説も微に入り細を穿ち、痒いところに手の届く周到な出来映えである。これこそ年来の夢の実現なのではないか。