今日も一昨日によく似た秋日和、少し汗ばむほどの陽気だ。これは何処か出かけるに如くはない。なので衆議一決しJRと地下鉄を乗り継ぎ竹橋へ。
到着は十一時半。なので主目的は後回しにして先ずは腹拵えだ。この界隈でランチといったらパレスビルを措いて他になかろう。地下にずらりと並ぶ食事処のなかで小生のお奨めは牛タン・麦とろの名店「
百人亭」。ここの定食は種類が豊富だし、質・量・値段どれをとってもリーズナブル。小生は「今日の定食」タンシチュー、家人は「鶏の竜田揚げ定食」を註文。これに牛タンや麦とろやスープやサラダが附いてくる椀飯振舞ぶりが嬉しいではないか。
満腹になったので交叉点を越えて徐ろに近代美術館へ。すでに切符売場には長蛇の列。無理もない、「
竹内栖鳳展」がいよいよ今週末までなのだから。
いやはや会場はひどく混み合っている。いやなに、観客がごった返すのは予想どおりなのだが、犇めき合っているのはむしろ作品のほうなのだ。展示スペースに比して出品作が多すぎるのだろう、作品同士の間隔が無暗と狭くて、折角の名品もじっくり単体で鑑賞できない。この美術館の展示からここまで雑然たる印象を受けたのは近来稀である。一体全体どうしてしまったのだろう。
とはいうものの、栖鳳の恐るべき腕前は嫌でも伝わってくる。観ているだけで震えがくる。こんなに精確で真に迫った日本画は滅多にあるものではない。
数多い優品のうちの白眉はなんといっても獅子を題材とした屏風絵だ。伝統的な唐獅子ではなく、本物のライオンをリアルに描写したのが近代画家の心意気だったのだろう。1900年の洋行のさなか動物園でつぶさに実見したのだという。
展示替の関係で、観ることができたのは五点の出品作のうち三点のみだが、いずれも今にも動き出しそうな迫真性に思わず息を呑んだ。そのうちの一点、《
金獅》(1901頃)をお目にかけよう(
→これ)。う、ううむ、こりゃ駄目だわ、小さな図版だと到底あのリアルさが伝わらない。ならばこれではどうだ(
→部分拡大)。ライオンの横顔の思慮深く威厳ある佇まい、鬣の和毛のふわりとした質感、カッと開けた恐ろしい口から覗く舌、丁寧に描かれた足裏の肉球など、如何なる細部をも疎かにしない栖鳳の鋭い観察眼と緻密な描写力が少しはおわかりいただけたろうか。
当展には誰もが知る栖鳳の代表作も抜かりなく出品されている。恥じらうモデルの仕草を巧みに捉えた《
絵になる最初》(
→これ)、舞子の一瞬の所作を的確に写した《
アレ夕立に》(
→これ)、古今の猫絵画の最高峰たる《
斑猫》(
→これ)も当然出ている。だが、同じ会場で恐るべき獅子の連作を観てしまうと、如何にも小器用に仕上げられた佳作めいて見えてしまう。比較するのが酷だろうが、百獣の王たるライオンにはとても及ばない。観る者を震撼させる迫真性をもたないのだ。
栖鳳は1910年、京都の東本願寺の依頼で飛翔する天女の群を描いた天井画を構想する。そのために彼がコンテと鉛筆で描いた一連の裸婦スケッチが驚くほど秀逸だ。うねるような姿態を正確無比な描線で捉えた素描は、17世紀イタリアのバロック画家(グエルチーノとか)の手になる裸婦習作かと見紛うほど。ここまで流麗な人体が描けた人だったのかと舌を巻く。黒田清輝など足元にも及ばぬ力量なのだ。この天井画が諸般の事情から未完に終わったのは実に惜しまれる。
小一時間ほど見惚れていたら会場がどんどん混んできたので早々と退散。ちょいと外で一服してから常設展示もざっと拝見。とりたてて特色のない内容だったが、それでも狩野芳崖が1886年頃に実物を見て描いたという小品の《
獅子図》(なんと曲馬団のライオンを写生したのだとか)があったのには吃驚。栖鳳が最初ぢゃなかったのだ。いつも見慣れた荻原守衛のブロンズ彫刻《
女》も、ついさっき観た栖鳳の《絵になる最初》や天女のための裸婦スケッチ群と同一女性(岡田みどり)をモデルに起用したと知ると、俄然これまでと時代が違って見えてくる。
最後にミュージアム・ショップでこの美術館の定期刊行物『
現代の眼』の最新号を手にする。通算六百号だといい、体裁とデザインが一新され、内容もそれに因んだ決意表明。それにしても六百号とは天晴れだ。昨年この雑誌のバックナンバーからアンソロジーを編む仕事を手伝ったので感慨も一入。
家人も小生も喉が渇いたので、再びパレスビルに取って返し珈琲で小休止。地下鉄が混んでこないうち早めに切り上げた。帰宅したら午後五時少し前。