ちょっと隣町へ食材を買いに往還しただけで汗ばんでしまう。また夏に逆戻りした塩梅だ。なので今日は大人しく在宅して読書に専念。お供は例の如く音楽を。
いつも思うのだが、小生のクラシカル聴取歴はひどく歪んでいて、中学の終わりから大学生時代にかけて集中的に聴き込んだあとパッタリ途絶え、中年になって遅蒔きながら復活する。年代でいうと1970年前後の数年間と、あとは90年代半ば以降である。疎遠だった期間が十数年もある。ブルックナーに親しめないのは、その不在時に人気が沸騰した作曲家だからだろう。どうにも馴染めない。
演奏家に対する好悪も甚だしく、四十年前に刷り込まれたイメージがなかなか更新できずにいる。世間でどんなに崇め奉られていても、駆け出し時代を垣間見た記憶からつい「あんな若造が…」と軽んじてしまう。指揮者でいうならクラウディオ・アッバードやベルナルト・ハイティンクが巨匠だと未だに信じられない。
誰でもそうだろうが、聴かず嫌いの演奏家という存在は厄介で、敬して遠ざけるものだから、いつまで経っても苦手意識が解消しない。ピアニストならクラウディオ・アラウ、ヴァイオリニストだとヘンリク・シェリング辺りがその筆頭だろう。
ヘンリク・シェリングといえばバッハの無伴奏全曲。新譜で出たとき誰もが口を揃えて大絶賛した。ところが小生はまるで愉しめなかった。バッハの器楽曲の根底には民族舞曲の弾けるリズムが潜在する筈なのに、求道的な精神主義に偏した演奏の退屈さと云ったら! 爾来シェリングの名は鬼門と化して久しい。それではならじ、と眦を決したという訳でもないが、故あって大昔のシェリングの覆刻CDを立て続けに聴いてみる。もしも好きになれたなら勿怪の幸いだ。
"Khachaturian, Prokofiev/Szeryng & Dervaux"
ハチャトゥリャン:
ヴァイオリン協奏曲*
プロコフィエフ:
ヴァイオリン協奏曲 第二番*
交響曲 第一番 「古典交響曲」***
ヴァイオリン/ヘンリク・シェリング* **
ピエール・デルヴォー指揮
コンセール・コロンヌ管弦楽団* **
パリ音楽院管弦楽団***1956年6月11日*、1957年5月10日**、パリ、シャンゼリゼ劇場
1957年2月2日、パリ、ヴァグラム会堂***
Forgotten Records fr 576 (2011)
→アルバム・カヴァーうへえ、おわあ、始まった途端こりゃあ堪らん怖気が走る。いやなにシェリングのせいぢゃない、ハチャトゥリャンの協奏曲、なんと下品で愚劣な音楽だろう。これを聴き通すのはちょっとした拷問だ──そう思いつつ我慢してつきあうと、作品の魯鈍さは如何ともしがたいが、シェリングのヴァイオリンの凛とした佇まいに否応なく気づく。ははあ、これだな彼の美質は。地獄で佛というか、掃溜の鶴と云おうか。
俗臭紛々たる低劣な音楽に堪えたのは、次のプロコフィエフがどうしても聴きたかったからだ。シェリングはこの第二協奏曲を得意とし、生涯で三度もの録音を遺しているのだが、ここに聴かれるのはその最初のもの。歴史的にみてもハイフェッツ(1937)、フランチェスカッティ(1952)、コーガン(1955)に続く価値ある正規録音なのだ。例に拠って正式の覆刻CDは出ておらず、当Forgotten Recordsの「板起こし」は値千金である。
聴こえてくるのは崇高なまでの美音。甘やかな抒情を排し、クールで清潔な新古典主義プロコフィエフを志向する。シェリングはこの曲が胚胎した時代パリで修学中だったから、当時の音楽環境を肌で知る者として、初演者ソエタンスの解釈と共に信ずるに足るオタンティシテが感じられるということか。デルヴォーの伴奏指揮は普通の出来だが、併録の「古典交響曲」はウィッティで頗る快調だ。
"Berg-Ponce-Prokofieff: Violin Concertos"
ベルク: ヴァイオリン協奏曲
ポンセ: ヴァイオリン協奏曲
プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲 第二番
ヴァイオリン/ヘンリク・シェリング
ヤン・クレンツ指揮
ポーランド放送国立交響楽団1958年9/10月、ワルシャワ(実況)
Preludio PHC 2148 (1989)
→アルバム・カヴァーシェリングはワルシャワ生まれのユダヤ系ポーランド人だが早くから独・仏で学び、第二次大戦中は亡命ポーランド政府に係わったのち、メキシコを終の棲家としたから、母国の社会主義政権とは微妙な関係にあったと推察される。本CDは出自こそ不明ながら、ポーランド帰郷時の実況録音という点で貴重である。協奏曲三曲はいずれも自家薬籠中の演目なので他に正規録音もあるが、実演ならではの感興に富む。毅然としたベルク(恐らくポーランド初演)、共感に満ちたポンセ(彼はその初演者で被献呈者)、余裕たっぷりのプロコフィエフ、いずれも好もしい演奏だ。因みに指揮のクレンツは『地下水道』『灰とダイヤモンド』『エロイカ』などの附随音楽の作曲家として、ポーランド映画好きには忘れられない名前だろう。
"Henryk Szeryng: Musique du Mexique, Musique d'Espagne"
ロロン: メキシコ舞曲
マロキン: 子守唄
ロドルフォ・アルフテル: 田園曲
ポンセ: 短いソナタ
ポンセ(ハイフェッツ編): 小さい星(エストレジータ)
セラトス: オクターヴ練習曲
デ・ファリャ(コハンスキ編): スペイン民謡組曲(六曲)
アルベニス(クライスラー編): タンゴ ニ長調 ~組曲「スペイン」
デ・ファリャ(クライスラー編): スペイン舞曲 ~歌劇「果敢無き人生」
デ・サラサーテ: アンダルシアのロマンス
デ・サラサーテ: サパテアード
ヴァイオリン/ヘンリク・シェリング
ピアノ/タッソ・ヤノプロ1950年代前半、パリ
Disk Union/Classics-Mo 2011 (2010)
→アルバム・カヴァーシェリングが第二の故郷としたメキシコの音楽をA面に、民族色の強いスペイン音楽をB面に振り分けた稀少な初期LP(仏Odéon)からの覆刻CD。顧客用にディスク・ユニオンが無料配布した。メキシコ楽曲ではポンセの「ソナタ・ブレーヴェ」が野趣と瀟洒を併せ持つ佳曲(シェリングに献呈)として出色。ハイフェッツ編曲の「エストレジータ(エストレリータ)」はシェリング唯一の録音である由。スペイン物ではコハンスキ編曲のデ・ファリャが端正ながら玩味すべき名演だろう。覆刻にやゝ難があるとはいえ、こんな貴重極まる音源を只で頂戴したのだから文句はない。