ご専門は? 面と向かってそう尋ねられると、しばし返答に窮する。
その時々の興味の赴くままディアギレフのバレエ・リュスの受容史、戦前のロシア絵本の日本への伝播、ベン・シャーンの描いたLPジャケット、石井桃子の知られざる青春時代、わがルーツたる70年代カルチャーなど、あれこれ考察しては拙い文章をものしている。いずれもただ「好きだからやっている」一介のアマチュアの仕業に過ぎず、専門家を気取るつもりは全くない。ただし、然るべき見識を欠いた学者や批評家や学芸員に対しては、その怠慢と無知蒙昧を語気鋭く指弾することも辞さない。専門家には専門家の果たすべき相応の責務があると思うからだ。
ここ五、六年ほど関心を深めているプロコフィエフの場合もそうだ。信じがたいことに、この国には信頼するに足る専門家が一人としていない──そう気づいたからには自前で知見を深めるほか術がなかった。だから暇さえあれば洋書を繙き、こつこつ独学しているに過ぎない。好きだからこそ知りたくなるのである。
閑話休題(それはさておき)、今日はこのところ頻繁に耳にしている新録音を中心に、推奨に値するプロコフィエフのCDをいくつか紹介しよう。もとより「好きで聴いている」素人の戯言なのでご容赦あれ。
"Sergei Prokofiev: Complete works for violin & piano"
プロコフィエフ:
ヴァイオリン・ソナタ 第二番 作品94bis
ヴァイオリン・ソナタ 第一番 作品80
五つの旋律 作品35a
ヴァイオリン/イザベル・ファン・クーレン
ピアノ/ロナルト・ブラウティハム2011年11月18~20日、ブレーメン、ゼンデザール
Challenge Classics CC 72580 (2012)
→アルバム・カヴァーこの半年間で耳にしたプロコフィエフ音盤中で文句なくベストと称賛できる一枚。第二ソナタの冒頭から尋常ならざる気迫に圧倒される。平明な抒情で知られる「第二」でこの熱っぽい緊迫感は只事でない。ファン・クーレンといえば緻密で端正なクール・ビューティの奏者かと思いきや、まるで別人のように激しく表出的な演奏スタイルに驚かされた。かくも真摯で張りつめた「第二」はちょっと例がない。予想したとおり、続く「第一」は心を鷲摑みするような凄演となった。作曲者自ら「墓場を風が吹き過ぎるように」と形容した第一楽章の凍てつくような心象風景。第二楽章で仮借ない弓のアタックが抉り出す激越と厳粛。息もつかせぬ演奏とはこのことだ。「五つの旋律」で従来のファン・クーレンを彷彿させる「クールな」リリシズムが甦るが、研ぎ澄まされつつ大胆な表情づけをも厭わないのが今の彼女の流儀なのだ。永年のパートナーたる盟友ブラウティハムの機敏で洞察力に富んだピアノも特筆に値しよう。とことんプロコフィエフの内面に肉薄した秀作アルバム。
このファン・クーレン盤と比較するため、架蔵する二種の旧盤を聴き直してみた。
"Prokofiev: Works for violin and piano"
プロコフィエフ:
行進曲 作品12-1 (ハイフェッツ編)
ヴァイオリン・ソナタ 第一番 作品80
仮面 ~「ロミオとジュリエット」(ハイフェッツ編)
五つの旋律 作品35a
行進曲 ~「三つのオレンジへの恋」(ハイフェッツ編)
ヴァイオリン・ソナタ 第二番 作品94bis
ヴァイオリン/ギル・シャハム
ピアノ/オルリ・シャハム2004年6月16~18日、トロント、グレン・グールド・スタジオ
Vanguard-Canary Classics ATM CD 1555 (2004)
→アルバム・カヴァーソナタ二曲と「五つの旋律」の合間毎にハイフェッツ編曲の小品を挿入した曲目編成。完璧な技巧と豊麗な美音によるプロコフィエフ。どこにも不満はない・・・筈なのに、ファン・クーレンを聴いた耳には「何かが足りない」と感じられる。それも肝腎な何かが。この兄妹共演盤は余りにヴァイオリン的に解釈され、余りに手際よく処理されてしまって、何もかも巧緻なショーピースめいて響く。望蜀之嘆なのか。
"Prokofiev: Violin Sonatas - Fujikawa/Sheppard"
プロコフィエフ:
ヴァイオリン・ソナタ 第一番 作品80
ヴァイオリン・ソナタ 第二番 作品94bis
五つの旋律 作品35a
ヴァイオリン/藤川真弓
ピアノ/クレイグ・シェパード1989年3月13、14日、モーデン、セント・ピーターズ教会
ASV CD DCA 667 (1989)
→アルバム・カヴァー四半世紀前の藤川真弓の記念碑的な録音。今や思い起こす人も稀だが、プロコフィエフの評伝作者ダニエル・ジャッフェのような具眼の士も推奨したアルバムである。単刀直入に邁進し、複雑な心の襞に分け入る「第一番」が殊のほか素晴らしい。この曇りなき率直さは恩師レオニード・コーガン譲りなのか。久々耳にして、秀逸な解釈に改めてうたれた。版元の消滅で探しにくい盤だが是非とも入手を。
"Prokofiev: Symphonies 5 & 6"
プロコフィエフ:
交響曲 第五番*
交響曲 第六番**
サカリ・オラモ指揮
フィンランド放送交響楽団2011年8月15~17日、ヘルシンキ音楽センター*
2010年9月9~11日、ヘルシンキ、フィンランディア楽堂**
Ondine ODE 1181-2 (2012)
→アルバム・カヴァー作曲時期こそ戦中・戦後と分かれるが、プロコフィエフの「第五」「第六」交響曲は互いに深く関連した兄弟作品と看做すべきだ──常々そう考えている。もとより「明朗」と「暗鬱」、「戦勝時の歓喜」と「戦時下の苦悩」といった安易な二項対立は両作品間には存在しないのではないか。だから当時のプロコフィエフの内面を知るには、「第五」「第六」を相次いで聴き、両者に通底する問題意識をこそ論じる必要がある。にも係わらず、この二曲が同じ演奏会で続けざまに奏される機会はほぼ皆無だし、一枚に併録したCDも(当初のカップリングとしては)管見の限り一例も存在しなかった。その意味で、今回のレコーディングは極めて意義深いものだ。しかもサカリ・オラモのプロコフィエフは大いに期待できる。何故なら昨夏の倫敦 PromsでBBC交響楽団と共演、第六交響曲で目覚ましい成果を挙げたからだ。
第六交響曲はプロコフィエフの真摯な傑作である。苦渋と矛盾に満ちた作者の心情が滲み出て魂を鷲摑みにする。ただし音にするのが至難の作品だから演奏頻度は低く、第五番の十分の一にも満たなかろう。サカリ・オラモは近年この交響曲を各地で採り上げているそうで、複雑な性格をよく把握し、細部を意味深く彫琢する術を心得ている。今年初め英京で聴いたユロフスキーの実演に迫る秀逸な演奏を披露した。CDも出たらしいから入手してみたいものだ。(◆その感想文より)
そういう訳で大いなる期待と共に史上初(?)の「第五/第六」カップリングを耳にした。期待が大きすぎたせいか、「第五」は際立った特徴を欠いて些か拍子抜け。壮麗さも抒情も悲愴感も、どれもが中途半端。抑制が利いた中庸な表現といえば聞こえがいいが、確たる指向性が見定められない様子。永くオラモの手兵だったというヘルシンキの楽団もどうやら力量に限界があり、並み居る過去の名盤を凌ぐには程遠い。それに比して「第六」は遙かに優れた演奏だ。徒らに悲劇性を強調せず、丁寧に細部を掬い上げ、諄々と諭すように進行する。その慎重な語り口が却って奏功し、この曲が孕む錯綜した複雑な味わいを肌理細かく浮き彫りにしている。ラヂオで聴いたBBC交響楽団との感興豊かな実況録音には及ばないものの、同曲のディスコグラフィのなかでも独自の魅力を放つ秀演と推奨できよう。
"Prokofiev: Symphony No.5"
プロコフィエフ:
交響組曲「1941年」
交響曲 第五番
マリン・オールソップ指揮
サンパウロ交響楽団2011年8月26~31日、サンパウロ楽堂
Naxos 8.573029 (2012)
→アルバム・カヴァー今夏のProms「ラスト・ナイト」の指揮で満場の喝采を浴びた
マリン・オールソップ女史(
→当夜の感動的なスピーチ)はNaxosレーベルでプロコフィエフ交響曲全集に着手した。その最初の一枚である(二枚目が間もなく登場する由。第四交響曲の改訂版+バレエ組曲「放蕩息子」)。この全集はどうやら適宜その交響曲に所縁のある管弦楽曲も併録する方針らしく、ここでも戦時下「プロパガンダ」音楽たる組曲「1941年」がまず珍しく奏されるのが聴きもの。標題年は対ソ戦の開始年を示し、作曲家は疎開先で直ちにペンを執った。映画音楽さながら鮮やかな筆致が災いしたか、同曲は頗る不評で生前は出版もされなかった。オールソップは抜群の読譜力で(恐らくは)二流の楽曲を目覚ましい音楽に仕立てている。さて本題の第五交響曲もまた戦時下に作曲され、対独戦勝利を祝う当日に華々しく初演された曰くつきの曲。ただしオールソップはそうした出自は括弧に入れ、誇張も先入観も抜きで純粋に音楽的アプローチで迫っている趣。その点で彼女は同じくバーンスタインの薫陶を受けた小澤征爾のプロコフィエフ交響曲全集(ベルリン・フィル)と類似した方法を採るのだが、この第五番に関してオールソップのスコアの読みは小澤よりも綿密で深く、プロコフィエフの本質に迫っているように思う。健全な推進力と抜群のバランス感覚に裏打ちされた彼女の「第五」は、古くはパウル・クレツキが、近年ならヴラジーミル・ユロフスキが際立たせた悲劇的側面を過度に強調せず、むしろ古典的といいたい明朗な音楽的成就を無理なく達成する。その行程が如何にも自然なので不満は全くない。サンパウロの楽団の水準は到底ベルリン・フィルの敵ではない筈だが、そのハンディを殆ど感じさせないオールソップの水際立った統率能力には脱帽するほかない。いやはや凄い人だなあ。