(承前)
欧文横組から邦文縦組へ、左開きから右開きへ。
事の当否はともかくとして、外国絵本の翻訳に関して「岩波の子どもの本」が採用した編集方針は確固として揺るぎがなかった。物語の進行方向を元の「左→右」から「右→左」へと変更するために、要所要所で図柄の左右反転も辞さなかったことは、一昨日『はなのすきなうし』を例にとって略述したとおりである。
だが『はなのすきなうし』はまだ序の口だった。これと同じ第四回配本の一冊として1954年12月に刊行された『
こねこのぴっち』(
→現行版、
→カヴァー附き旧版)こそが、光吉夏弥たちが施した改変作業が如何に入念で手のこんだ「やり口」を伴っていたかを端的に示す。
永年この「岩波の子どもの本」版で親しんできた読者は、「大型絵本」と銘打たれ1987年になって刊行された新版『こねこのぴっち』を手にして目を丸くしただろう(
→これ)。愕然としたといっても過言ではあるまい。一新された表紙デザインもさることながら、絵本のフォーマットそのものがまるで違っていたからだ。
忘れずに附言するなら、この「大型絵本」は
ハンス・フィッシャー Hans Fischer (1909~1958)が1948年チューリヒの書肆ヴォルフスベルクドルッケ Verlag der Wolfsbergdrucke から世に問うた初版本(
→これ)を踏襲する形で製作され、従ってサイズはほぼ同形同寸に仕上げられた。
小生が架蔵するドイツ語版 "Pitschi" は同じ版元から出た年記を欠く後版だが、試みに採寸すると
天地22.8×左右32.4 cm、規格外れの横長判である。一方のわが「岩波の子どもの本」版は
天地20.5×左右16.5 cmの縦判(変形菊判)。縦横比はそれぞれ1対1.42、1対0.80と横幅が半分近くまで切り詰められ、両者はまるで比較にならぬ別物である。喩えてみれば、シネラマの映画をスタンダード・サイズで、それも縦長の映写幕に投影するようなものだ。無謀な企てである。
第一期「岩波の子どもの本」全二十四冊中、原作の挿絵が採用された翻訳絵本十六冊のうちで、この『こねこのぴっち』ほど甚だしく元版と縦横比が変わってしまった事例はほかにない。編集部はここで飛び切りの大鉈をふるって異なる姿形の絵本に仕立て直す作業を余儀なくされた。云うまでもなく他の絵本と同様、進行方向に合わせていくつもの画面で左右逆版も容赦なく行われた。「再創造」と云えば聞こえがいいが、これを悪し様に「捏造」絵本と呼ぶことだって可能なのだ。
では具体的に彼らはどう「大鉈をふるっ」たのだろうか。横長の絵本を縦長に改めるため、図柄の左右を大幅に削ったのか?
結論を先に書いてしまうと、断じてそうではない。元版「こねこのぴっち」のためにフィッシャーが描いた挿絵は殆ど割愛されることなく「岩波の子どもの本」の小さな版面に収まったのである。どうしてそんなことが可能なのか?
改めて元版と岩波版のサイズをとくと見比べていただきたい。
■ 元版 "Pitschi" 天地22.8×左右32.4 cm
■ 「岩波の子どもの本」 天地20.5×左右16.5 cm天地は近似しているのに、元版の横幅はほぼ二倍ある。換言すればつまり、「岩波の子どもの本」を横に二冊並べればオリジナルのサイズに近くなる。日本版編集に携わった光吉たちはこの関係性に目聡く気づいたに違いない。すなわち、元版の各頁を左右に二分割し、それぞれ見開き頁に仕立てるのだ。一例を示すならばこうなる(
→元版、
→岩波版)。具体的に記すと以下の要領である。
■ 元版 "Pitschi" ⇒ ■ 「岩波の子どもの本」
表紙 表紙 *元版の表紙・扉の図柄から再構成
扉 扉 *図柄を一部割愛し、縦長に再構成
2ページ 4~5ページ
3ページ 2~3ページ
4ページ 6~7ページ *構図を改変
5ページ 8~9ページ *構図を改変
6ページ 10~11ページ
7ページ 12~13ページ
8ページ 14~15ページ *構図を改め、左右逆版に
9ページ 16~17ページ
10ページ 18~19ページ *左右逆版
11ページ 20~21ページ
[・・・途中省略・・・]
24ページ 46~47ページ *左右逆版
25ページ 48~49ページ *左右逆版
26ページ 50~51ページ *構図を改め、左右逆版に
27ページ 52~53ページ
28ページ 55ページ *図柄左半分を割愛
29ページ 54ページ *図柄右半分を割愛
30ページ 56~57ページ *構図を改め、一部左右逆版
31ページ 58~59ページ *構図を改変
コロフォン(奥付) 60ページ *広告と奥付再編集はざっとこんな具合だ。元版の三十二頁に対して日本版では六十頁とほぼ倍増したが、これは「岩波の子どもの本」の標準頁数とぴたり一致する。
少しだけ註記しておくと、「構図を改変」とあるのは、挿入する本文との位置関係で元の図柄配置を部分的に調整したことを意味し、「左右逆版」は物語の進行方向に合わせて構図全体を反転する操作である。因みに「岩波の子どもの本」現行版『ぴっち』ではテクストが全面的に改訂され(同じく石井桃子訳)、図柄配置にも僅かな異同がある。上の比較に参照したのは1954年の初版本。
実際にこの改変作業に携わったのは先述のとおり光吉夏弥である。シリーズの第一回刊行からすでに一年近くが経過しており、再編集にあたる手際は周到にして鮮やか、絵本全体に一貫した流れを醸し出して停滞や隙がない。
とはいえ、元の絵本では見開きを構成していた頁(例えば2-3、4-5、6-7など)での左右頁の連関や対応関係は見失われてしまったし、もともと見開きで超ワイドな横長画面を構成していた箇所(28-29)は大幅に左右をカットされてしまい、その目覚ましい効果は半減した。フォーマットがまるで異なるのだから、完全無欠な「翻案」はそもそも無理な話なのである。
張本人たる光吉夏弥は実に素っ気なく次のように回想するばかりである(「『岩波の子どもの本』 その発行のころのことども(二)」 1973)。
『こねこのぴっち』は、スイスでは一九四八年に刊行、五三年にその英訳本がアメリカで出てから、『誕生日』『ブレーメンの音楽隊』などで国際的に有名になったフィッシャーの仕事の日本への最初の紹介となったが、ネコずきの石井さんが訳すのには最適だった。日本版製作での苦労話や自らの貢献など噯にも出さないポーカーフェイスぶりが如何にも恬淡たるこの人らしい。そもそも「ネコずき」という点では、当の光吉自身も決して人後に落ちない愛猫家だったのだが。
ところで、こうして改変された日本版絵本は、元の絵本の作者たちの眼にどう映ったのであろうか。やむを得ない処置として寛大に容認したのか、それとも許しがたい冒瀆として苦々しく受け止めたのか。激怒する者がいても不思議ではない。
岩波書店には『こねこのぴっち』に関して半ば伝説のように語り継がれる美談めいたエピソードがある。先日たまたま書店で手にした「親から子へ、愛されて60年」と副題された「岩波の子どもの本」四つ折リーフレットにはこう記されている。
『こねこのぴっち』は、原作者のフィッシャーさんが〈子どもの本〉のデザインを気に入って、たくさん買い上げてくださったそうです。この挿話は昔から知られている。小生の手許に今も残る岩波書店の古い小冊子『本を読みなさい
! っていわないで・・・ 岩波の子どもの本と大型絵本の目録』 (1972)を繙くと、「こねこのぴっち」の解説にこうある。
リゼットおばさんの家のぴっちは、オンドリになりたがったり、ヤギになりたがったり・・・・・・でも最後には、こねこでいるのがいちばんいいと思います。この色彩ゆたかなモダーンな絵本は、スイスの画家ハンス・フィッシャーの傑作です。生前フィッシャーさんは、この小型の日本版を愛して何冊も買上げたほどです。当時これを読んで「本当なのかなあ」と首を傾げた小生だが、程なく当事者の乾富子のヴィヴィッドな証言が出て、「どうやら実話だったらしい」と思い直した。彼女の回想から引く(いぬいとみこ「『岩波子どもの本』こぼればなし」 1974)。
なかでも光吉氏がこりにこって作った「こねこのぴっち」は、原作者のハンス・フィッシャー氏が大へん気に入って、二十五冊買いたい・・・・・・と連絡があり、ドルの流通さえむずかしい時代にスイスフランで代金が送られてきて、渉外の人が苦労していたのを思いだす。日本の文字の入り方と、絵本自体の小型化がよくできているというので、さいきん、フィッシャー氏の未亡人がまた「ぴっち」を百冊買い上げたそうだ。ここまで具体的に記されるともう信じない訳にはいかなくなる。生前のフィッシャーは本当にこの「改竄版」ぴっちが心底お気に召したらしい。因みに病弱だった彼は岩波版が出た四年後の1958年に四十九歳の若さで歿しているから、「岩波の子どもの本」は原作者が手にすることができた唯一の日本版絵本だった。
もう二十年ほど前と記憶するが、ドイツの古書店の新着目録に「岩波の子どもの本」版『こねこのぴっち』が載ったことがあった。胸騒ぎがしたので取り寄せてみると、やっぱりそうだ、ハンス・フィッシャーの直筆サイン入りの初版本だった。
扉頁を開くと印刷された邦題「こねこのぴっち」の下にフィッシャー自筆の流暢なペン書きで
("Pitschi") と附記され、「おはなし
とえ ハンス・フィッシャー」の下には絵本の副題
(das Kätzchen, das immer etwas anderes wollte.) がわざわざ添え書きしてある。
そのあと
für ... とあって、中央に配された図柄(
→これ)中の子猫がじゃれつく毛糸玉から解けた糸をそのままペン書きでうねうね延長して、その先に被献呈者の名が記される(
Guido Jenny なる人物)。日付は
27 Nov 57 と読める。
下端にある「岩波書店編集」の文字の下には魚の形に「
H」と「
fis」を組み合わせたモノグラム、そして小さく
Zürich + TOKYO .... と書き込まれている。
やはり伝説は真実だった。動かぬ証拠がこの署名入り絵本である。作家が自作にサインするのは当たり前だが、わざわざ日本版を選んで知友に贈呈するところに、この小型版に対する並々ならぬフィッシャーの愛着が窺い知れよう。初版本(1954年12月刊)というところから察するに、これはチューリヒのフィッシャーに宛て東京から最初に送付されたうちの一冊ではあるまいか。
それらをあらかた配って残部が底をついた段階で、更なる追加分として「二十五冊買いたい」と岩波に代金を送ってきた──そう乾富子は回想するのだが、どうやらそれは彼の最晩年のことだったらしい。何故なら、小生の手許にあるもう一冊の『こねこのぴっち』(1957年5月刊の第三刷)の扉頁にも、ペン書きでフィッシャーの献辞と魚印モノグラムが記されているからである(献呈先は
Max Altorfer)。こちらは数年前ネット上で見つけ、チューリヒから届いた。里帰り猫の二匹目!
光吉夏弥たちの労苦はこうして報われた。その改変作業が原作への冒瀆どころか、むしろ深い理解と愛情の賜物であることを、ハンス・フィッシャーはたちどころに見抜いて、終生「小型版」の子猫を愛してやまなかったのである。