寢苦しさに朝早く目覺めてラヂオを點けたら今日は「海の日」と教へられる。從つて世間樣では三連休だといふ話なのだが一向に實感が沸かない。なにせ隠居の身には普段から毎日が休日のやうなものだから。
だが折角さうと知らされたからには、起き抜けに何か海に因んだ音樂をば聽いてみたくなつた。例年この季節になると決まつてエルガーの歌曲集「海の繪」だの、ブリテンの「四つの海の間奏曲」だの、はたまた石川セリの歌なぞをかける慣はしなのだが、何時も同じでは如何にも藝がない。さう思つて枕元のCDの山をまさぐると、なんと、將に今日に打つて付けのディスクがあるではないか!
"Musiques de la Mer / Sea Music"
ジャン・クラーズ Jean Cras:
海にて
シャルル・ケックラン Charles Koechlin:
斷崖にて
海へ向かう散策路
漁夫の歌
夜に沖合まで漁に出る人々
レオン・ボエルマン Léon Boëllmann:
海の上で
ジャン・クラーズ:
水の流れるまゝに
クロード・ドビュッシー Claude Debussy:
西風の見たもの ~前奏曲集 第一集
帆 ~前奏曲集 第一集
ジャン・フランチェスコ・マリピエロ Gian Francesco Malipiero:
午睡
モーリス・ラヴェル Maurice Ravel:
洋上の小舟
ジャン=ピエール・フレー Jean-Pierre Ferey:
海の呼び聲
飛び込み
オーベール・ルムラン Aubert Lemeland:
鷗
護送艦隊
グリーンランド
グレート・サウス灣
此れがアラスカだ
インドの淺瀬 ~以上「兵士のバラード」より
クロード・ドビュッシー:
歡びの島
洋琴/ジャン=ピエール・フレー
2005年2月25、26日、巴里
Skarbo DSK 1049 (2005)
→アルバム・カヴァー
佛蘭西近現代の作曲家
(ドビュッシーの流れを汲む伊人マリピエロも此處では佛人に準ずる)の海に因んだ洋琴曲ばかり集めた重寶なアルバム。此の手の企劃は何故か今迄に有りさうで無かつたのではなからうか。後期浪漫派から現代に至る、演奏者自らの作品をも含んだ「海の音樂」アンソロジーである。
かうした選集を編む上では、有名・無名の作曲家の取り合はせ加減、著名作品と埋もれた作品とのこき混ぜ具合こそが最も肝要な工夫の爲處だろう。その點で當盤は實に抜かりがない。クラーズ(クラ、クラースとも)やケックランの知られざる佳曲、マリピエロの印象主義風の初期小品集、第二次大戰に題材を得たノルマンディの異才ルムランの曲集など、知られざる洋琴曲を丹念に捜し出し、それら秘曲群にドビュッシーとラヴェルの有名曲を巧みに織り交ぜて、海を主題に佛蘭西音樂の百數十年を囘顧する興味深い曲集に仕立ててゐる。
ジャン=ピエール・フレー(フェレーとも)は十年以上も前にケックランやクラーズの洋琴曲集(
→これ、
→これ)を同じ Skarbo レーベルから出してゐた。現今に至る兩作曲家の人氣隆盛の火付役とも云ふべき存在である。迂闊にも今の今迄知らなかつたのだが、彼は實は Skarbo の主宰者でもあるのださうだ。同レーベルは上述のルムランの作品集も色々出してゐて、つまり此のアルバムには彼が豫てから推してゐた作曲家達の小品アンソロジーといふ意味合ひもあるらしい。
そんな譯で聽き處が澤山ある秀逸なアルバムなのであるが、唯一つ難を論ふならば、海に纏はるドビュッシーの選曲の當否の問題がある。「歡びの島」は兎も角として、「
西風の見たもの」と「
帆」は本當に「海の音樂」なのだらうか? 前者はどう考へても吹き荒ぶ風を髣髴とさせる樂曲だらうし、後者は標題
Voiles が「帆」なのか「面紗(ヴェール)」なのか未だに學者達が意見の一致をみてゐない由。だから寧ろ此處には「
沈める寺」を入れた方が無難だつた。そもそも「水邊の作曲家」ドビュッシーには「海」や「シレーヌ」や「ペレアスとメリザンド」の數場面を除くと、海を直接イメージさせる音樂は意外な程に尠い事實に氣付かされる。此れはちよつとした驚きである。