いよいよ倫敦では夏の名物 Proms(プロムズ)の季節がやってきた。今宵の第一夜(PROM 1)から9月7日の最終夜(PROM 75)まで、番外の土曜マチネや室内楽の夕も含めると計八十八もの演奏会が続けざまに催される。オフ・シーズンの真夏に心おきなく音楽が愉しめるロンドナーたちがつくづく羨ましい。
今年は
ヴェルディと
ワーグナーの生誕二百年、
ルトスワフスキと
ブリテンの生誕百年にあたっており、各々の作曲家に照準を合わせた演目が組まれている(演奏会形式ながら「指環」四部作、「トリスタン」「タンホイザー」「パルジファル」全曲上演がある)。とりわけ英国の誇るベンジャミン・ブリテンの楽曲は第一夜の「四つの海の間奏曲」を皮切りに、「シンフォニア・ダ・レクイエム」「フェードラ」「セレナード」「ビリー・バッド」「ラクリメ」「幼子が生まれた」があるほか、ジャニーヌ・ヤンセン独奏によるヴァイオリン協奏曲、「弦楽のためのエレジー」なる未知の曲の世界初演まで組み込まれる椀飯振舞ぶり。
とはいうものの、いずれの作曲家にも関心の薄い小生のような捻くれ者には些か魅力を欠いたプロムズであることは否めない。敢えて聴きどころを挙げるなら、古楽器オーケストラ「
レ・シエクル」が初演百周年を記念して「春の祭典」を披露する(PROM 4)のと、史上初めて女性指揮者
マリン・オールソップが「ザ・ラスト・ナイト」を振るのとが好奇心をそそる程度。とにかく面白味に乏しい。
つらつら昨年を思い返すならば、
ドビュッシーと
ディーリアスの生誕百五十年を祝賀して、ガーディナー指揮「ペレアス」全曲があり、第一夜では「海流」、最終夜では「告別の歌」といった塩梅に、滅多に聴けぬディーリアス作品をふんだんに採り上げた夢のようなひと夏だった(
→例えばこの日)。ところが今年はまるで掌を返したかのように、ドビュッシーは僅かに「海」だけ、ディーリアスに至っては唯の一曲もプログラムに含まれない。余りの冷遇ぶりに悔し涙が零れた。
ええい、かくなる上はもう倫敦には頼るまい、とまあ声を荒げることもないのだが、独自にディーリアスの架空演奏会を催そう。ひとりプロムズだ。昨年に出た新譜ディスクから選りすぐってプログラムを編成すればいい。
ただし昨今のレコード産業の衰退凋落ぶりは甚だしく、この記念すべき年にEMIやDeccaやSonyといった老舗の大手レーベルはこの何ひとつ新録音を送り出さなかった。なんとも由々しき事態だが、ことほど左様にこの業界は「死に体」なのである。代わりに気を吐いたのは Chandos, Naxos, Stone Records といったインディーズ各社。だから一向に痛痒を感じないのであるが。
そうした気概ある独立プロダクションのなかで最も瞠目すべきディーリアス・アルバムを世に問うたのは、なんと北欧の Danacord という会社である。その名のとおりデンマークを代表するレーベルだが、このところ何故かディーリアス録音に熱心である。ここから昨年から今年にかけて三つのアルバムが相次いで出た。
"Frederick Delius: English Masterworks"
ディーリアス:
日没の歌*
シェリーの詩による三つの歌(管弦楽編曲/ボー・ホルテン)**
■ 愛の哲学
■ インドの恋歌
■ わが心の女王に
北国のスケッチ
去りゆく雲雀***
ソプラノ/ヘンリエッテ・ボンデ=ハンセン* ** ***
バリトン/ヨハン・ロイター*
ボー・ホルテン指揮
オーフス交響楽団
オーフス大聖堂合唱団&オーフス交響楽団合唱団*2011年10月10~14日、12月20、21日、オーフス交響楽堂
Danacord DACOCD 721 (2012)
→アルバム・カヴァー"Frederick Delius: French Masterworks"
ディーリアス:
歌劇「赤毛のマルゴ」前奏曲夏の庭園で
ヴェルレーヌによる五つの歌*
■ 巷に雨の降る如く
■ 空は屋根の上に
■ 白い月 (以上の管弦楽編曲/フィリップ・ヘスルタイン)
■ 秋の歌
■ お前が消えてしまう前に (以上の管弦楽編曲/ボー・ホルテン)
パリ、夜想曲(大都会の歌)
ソプラノ/ヘンリエッテ・ボンデ=ハンセン*
ボー・ホルテン指揮
オーフス交響楽団2011年10月10日、12月21日、2012年5月21~24日、オーフス交響楽堂
Danacord DACOCD 728 (2012)
→アルバム・カヴァー"Frederick Delius: American Masterworks"
ディーリアス:
歌劇「コアンガ」抜粋*
■ パルミラのアリア
■ マルティネス、コアンガを引き合わせる
■ ラ・カリンダ
■ コアンガの祈願
アパラキア**
海流/海の彷徨/藻塩草***
ソプラノ/ヘンリエッテ・ボンデ=ハンセン*
バリトン/ヨハン・ロイター* ** ***
バリトン/シモン・ドゥウス*
ボー・ホルテン指揮
オーフス交響楽団
オーフス大聖堂合唱団&オーフス交響楽団合唱団** ***2011年10月11日、2012年5月24、25日、6月18~22日、オーフス交響楽堂
Danacord DACOCD 732 (2013)
→アルバム・カヴァー互いに重なり合った録音日からも察せられるように、これら三つのアルバムは周到な準備のもとで同時に構想され、並行して製作されたものらしい。ディーリアスの遺産をその出自と内容に応じて「
生まれ育った英国」「
青春期を送った米国」「
後半生を過ごした仏蘭西」に分類し、コズモポリタンとしての数奇な生涯を巧みに俯瞰した意欲的な企てである。このような視点に立ったディーリアス・アンソロジーは前例が殆どなく、考え抜かれた選曲の妙は瞠目に値しよう。
指揮者
ボー・ホルテン Bo Holten は1970年代から合唱指揮者として活躍、古楽と現代音楽を中心に豊富なキャリアを誇る。英国のBBCシンガーズの客演指揮者も永く務めていた。作曲家としても七つのオペラ、五つの協奏曲、二つの交響曲など膨大な作品があるというが、そのあたりは寡聞にして知らない。
こうした経歴の持ち主なので、一連のディーリアス・アルバムの中核をなすのはやはり声楽を伴う管弦楽曲である。英国篇の冒頭には世紀末詩人アーネスト・ダウスンに拠る「
日没の歌」が置かれ、ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩に作曲した小品「
去りゆく雲雀」で静かに締め括られる。米国篇では農場で働く黒人奴隷を主人公とする異色オペラ「
コアンガ」の抜粋、黒人民謡に基づく合唱付き変奏曲「
アパラキア」、ホイットマン「草の葉」の詩篇に附曲した「
海流」を組み合わせた秀抜な選曲が光っている。英国篇に収められた
シェリー歌曲集の全三曲、仏蘭西篇の
ヴェルレーヌ歌曲集のうち二曲では、ホルテン自身が新作した管弦楽伴奏が用いられているのが目を惹く。そもそもホルテンとディーリアスとの馴れ初めは、これら歌曲の管弦楽編曲を遺産管理団体ディーリアス・トラストから委嘱されたのに端を発する由。成程ディーリアスに造詣が深い理由がそれで判然とした。記念年用に急拵えしたお手軽アンソロジーの対極を行く、準備に手間を惜しまず熟考を重ねた「究極の」ディーリアス選集なのである。
演奏はどのアルバムも頗る秀逸。とりわけ合唱の水準が高いのは特筆に値する。ここまで細やかなニュアンスに富む歌唱はこれまでディスクではなかなか聴けなかった(匹敵するのはリチャード・ヒコックス指揮の盤くらいか)。日頃からのホルテンの薫陶の賜物なのであろう。独唱者の二人、とりわけソプラノのボンデ=ハンセンの素直な声はディーリアスにぴったり。バリトンのロイターの誠実さも好もしい。オーフス管弦楽団はまあ並の技量といったところだが、ホルテンの意図をよく汲み取って健闘している。
因みに収録場所オーフス Århus はコペンハーゲンに次ぐデンマーク第二の大都会だそうだが人口は三十万にも満たない。それでも自前のオーケストラと歌劇場があるのだから大したものだ。
実を云えば、ホルテン指揮のディーリアス選集には前史がある。十年以上も前、これら三作に先駆け二つのアルバムが相前後して登場していた。
"Frederick Delius: Danish Masterworks"
ディーリアス:
アラベスク*
五つのデンマーク歌曲(管弦楽編曲/ボー・ホルテン)**
■ 小姓は高い塔に居坐った
■ 歓びに包まれ、私たちは笑いながら歩いた
■ 二つの褐色の眼
■ 私は夜に物音を聞く
■ 秋
七つのデンマーク歌曲***
■ 絹の靴
■ イルメリンの薔薇
■ 夏の夜々
■ 後宮の庭で
■ 葡萄酒色の薔薇
■ 永い永い歳月を経て
■ 春よ来たれ
歌劇「フェニモアとゲルダ」間奏曲(エリック・フェンビー編)
二つのデンマーク歌曲****
■ 菫
■ 夏景色
シャクンタラー*****
生の舞踏
ソプラノ/ヘンリエッテ・ボンデ=ハンセン** ***
バリトン/ヨハン・ロイター* **** *****
ボー・ホルテン指揮
オーフス交響楽団
デンマーク国立歌劇場合唱団&オーフス室内合唱団*2000年3月27~30日、オーフス、旧フリックス機関車工場
Danacord DACOCD 536 (2000)
→アルバム・カヴァー"Frederick Delius: Norwegian Masterworks"
ディーリアス:
お伽噺(昔あるとき)
橇乗り
五つのノルウェイ歌曲(管弦楽編曲/ボー・ホルテン)*
■ 子守唄
■ 歌え、歌え、清らかな夜鶯
■ 輝ける夏の宵に
■ 憧れ
■ 日没
高き丘の歌**
ソプラノ/ヘンリエッテ・ボンデ=ハンセン*
ボー・ホルテン指揮
オーフス交響楽団
オーフス大学合唱団、フンマー合唱団、オーフス室内合唱団**2001年5月19~23日、オーフス、旧フリックス機関車工場
Danacord DACOCD 592 (2002)
→アルバム・カヴァー題して「
丁抹傑作集」と「
諾威傑作集」。グリーグ、シンディングや画家ムンクら北欧に知己が多かったディーリアスは、かの地を足繁く訪れては大自然に魅せられ、ヤコブセン、ビョルンソンを筆頭に様々な北欧文学にも親しんでいたから、このような国別アンソロジーが編まれるのは蓋し当然の成り行きともいえるだろう。北欧を愛した作曲家への北欧人からの心の籠もったオマージュの趣である。
ホルテンの方針はこの二作で早くも明確に示されており、声楽入りの管弦楽曲と共に、自ら管弦楽用に編曲した歌曲集をアルバムに組み入れる新機軸が打ち出されている。起用されたオーケストラも、秀逸な二人の独唱者も、そのまま後のシリーズに引き継がれていく布陣である。このとき賽は投げられたのだ。
とはいえ、デンマーク篇とノルウェイ篇を録音する段階で、製作者たちの脳裏に英・仏・米と続く「五部作アンソロジー」の構想があったかといえば、当初そこまでの深謀遠慮はなかったと推察される。恐らくこれら二作のオマージュ・アルバムが予想以上に多くのディーリアンから歓迎されたところから、同じコンセプトに拠る続篇が2012年の記念年に向け構想されたのではあるまいか。
いずれにせよ、こうして十数年を費やして完結したホルテンのディーリアス選集は、いくつもの貌をもつ多彩なコズモポリットの全体像を浮かび上がらせた果敢な企てとして、末長く語り継がれていくことだろう。