つらつら過去を省みるに、小生が最も純粋無垢に音楽と向き合ったのは中学から高校にかけての数年間だったように思う。まるで餓え渇いた者のように毎日とにかく聴き続けた。その熱烈さたるや、今の数十倍の貪欲な吸収力だったと思う。未知の音楽と出逢う愉しさに心躍らせた。
初めはうぶで純真なポップス少年、やがてクラシカルに転向し、憑かれたように聴き狂った。ただし実演などは夢のまた夢、LPレコードを買おうにも再生装置がなかった。早朝から深夜まで毎日ひたすら携帯ラヂオに齧りつき、曲目や演奏者名を詳しくメモしつつ全部の番組を傾聴した。まともに受験勉強をした記憶がない。
そうこうするうち無性にレコードを手にしたくなった。鍾愛の曲を好きな時に好きなだけ聴きたかったからだ。尤もまだ家にはプレイヤーが存在しなかったのであるが、それでもどうしても欲しくて、小遣いを溜め上京し、秋葉原の日の丸電気(といったと思う)のLP売場に赴いた。1969年7月、高校二年の夏のことである。
そのとき定めた方針はただひとつ。聴きたい音楽のうちでラヂオでは滅多にかからない楽曲を架蔵すること。それなりに理に適った判断である。だからショパンのピアノ曲やらベートーヴェンやブラームスの交響曲には目もくれない。
さんざん迷った末、これにしようと事前に決めたのは
グラズノーフ(当時は「グラズーノフ」と誤記された)のバレエ音楽「
四季 Времена Года」。優美で抒情的な旋律と精緻なオーケストレーションで知られる佳曲だが、新参者が最初に手に取るレコードにしては些か穿った曲目選択だ。
売場には硝子板で区切られた陳列台が並び、厖大なLPがジャンル別、作曲家の五十音順に整然と配架されていた。その数の多さに目が眩む思いである。逸る心を鎮めながら探し始めると、呆気ないほど簡単に見つかった。なにしろ店頭にその曲のLPはニ種類しかなかったのだ。迷う必要はない。どちらかを選べばいい。
エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 (1968発売、ロンドン)
ボリス・ハイキン指揮 モスクワ・ラジオ交響楽団 (1967発売、新世界)
実のところ迷う理由などなかった。ラヂオで何度か耳にして魅せられたのはソ連の指揮者ハイキンの演奏だったからである。モスクワはボリショイ・バレエの本拠地。まさしく本場物に違いなく、流麗で躍動感に満ちた演奏はまだ観ぬ舞台を彷彿とさせる。現場をつぶさに知る者のみがなし得る老練な解釈だったのである。
ところがいざ実物を前にすると大いに逡巡した。
もう一方のアンセルメは高名な世界的巨匠である。前年の1968年夏に手兵と共に来日し、その折りの実演はTV中継された(「幻想交響曲」。老齢のため両腕が肩より上に挙がらず、落魄の指揮姿に失望した)。ところがその記憶がまだ生々しい翌69年2月、卒然と世を去ったことから、改めてその偉業が再認識される只中でもあった。何しろ往年のバレエ・リュスの指揮者にしてストラヴィンスキーの盟友(戦後は反目)だし、当時の日本では「バレエの神様」(!)として神格化されていた。手に取ったそのアルバムは前年に出たばかりの新録音で、「来日記念盤」の文字を大書した襷が麗々しく掛かっていた。
片やハイキンはといえば全く未知の存在。実際はソ連オペラ界の重鎮であり、レニングラードのマールイ歌劇場、キーロフ歌劇場の指揮者を歴任し、戦後は永くボリショイ劇場で活躍、プロコフィエフの「修道院での結婚」「真人間の物語」、カバレフスキーの「コラ・ブルニョン」、シャポーリンの「デカブリスト」の初演を委ねられたほどの大物。キリル・コンドラシンの恩師でもある──といった具合に、赫々たるキャリアを誇る名指揮者なのだが、国外での知名度は昔も今も極めて低い。
「四季」はそのハイキンが劇場指揮者としての豊富な経験を披歴した、数少ないステレオ録音だったのである。田舎者の高校生は何ひとつ知らなかったなあ。
更にもうひとつ、両面にゆったり「四季」全曲のみ収録されたハイキン盤に対し、アンセルメ盤には附録として「演奏会用ワルツ」という未知の小品二曲が追加されていて、いかにも割得感を醸していた。一枚二千円のLPは高校生には高価な買物であり、一曲でも多く聴けるほうが有難い。結局これが決め手になって、小生はこちらをレジに持参してしまったのである。
大切に持ち帰ったLPを数日後に叔父の家で試聴させてもらった。溜息の出そうな美しい演奏である。半世紀近く経ってCDで聴き返しても同様に感じる。
流石にアンセルメは巧い。淀みのないリズム感が抜群だし、綾なす色彩を自在に操る手腕は最晩年まで(少なくとも録音スタジオでは)健在だった。グラズノーフの管弦楽法の秘術を余す処なく開陳した稀代の名演──手放しで絶賛したいところだが、ここには肝腎な何かが足りない、幼稚な耳でもそう直覚した。
アンセルメの「四季」に微かな不満を覚えたのは、要するに先行するハイキン盤との差異に気付いたということを意味する。
とりわけ最後の「秋」のバッカナール(曲中で最もよく知られた箇所)に両者の違いは顕著である。アンセルメの演奏は驚くほど快速で颯爽と駆け抜けるが、ハイキンのほうはテンポをぐっと制御し、威厳に満ちた確固たる足取りで、じかに大地を踏みしめるという感じがする。どちらが正しい解釈という話ではないのだが、根源的な生命力の発露という点で、二つの演奏はまるで月と鼈さながら。アンセルメ盤は如何にも綺麗事に過ぎない気がする。ハイキンではごく自然に湧き出ていた何かが、アンセルメには決定的に欠けていて、そこにこそ物足りなさが由来するのではないか──と、まあ、子供心にもそんな感慨を抱いたものである。
今だったらこうも云えるだろう。それこそが伝統の力というもので、生粋のロシア人と非ロシア人の演奏の間にはやはり越えがたい溝があるのだ、と。若き日にバレエ・リュスの専属指揮者としてロシア音楽に親炙したアンセルメですら、もって生まれた敏捷で感覚的なラテン気質から離れられなかったのである。
かてて加えて、アンセルメは「四季」というバレエを実際の上演で振った経験は一度もなかったのではないか(同バレエは露西亜以外では「バッカナール」を除いて殆ど上演機会がない)。ならばなおのこと、彼は自らの感覚だけを頼りに、曲全体を四部構成の交響的描写音楽といった趣で解釈するほかなかったのだ。
一方ハイキンの解釈はマリインスキー劇場やボリショイ劇場に伝わる実際の振付に依拠するのか、舞曲ごとのテンポの対比や性格の描き分けが鮮やかで、各場面の雰囲気も濃厚だ。初めてラヂオで聴いたとき、「まだ観ぬ舞台を彷彿とさせる」と感じられたのも宜なるかな。これはそのまま踊ることのできる演奏なのだ。
四十四年前の瑣末な記憶を呼び醒ましたのには相応の理由がある。
ボリス・ハイキンが指揮した「四季」がようやくCDとして甦ったのだ。アンセルメの「四季」が日本でも外国でも繰り返し再発売されてきたのに較べ、ハイキンの演奏は不当にも世界中で無視されてきた。管見の限りでは、CD時代に一度たりとも覆刻された試しがない。その間に小生は稀少な日本盤LP(
→これ)も、その廉価再発盤LP(
→これ)も、英国盤や米国盤(
→これ)迄も手に入れたのだが、書庫の奥深くしまい込んで聴く機会も途絶えていた。だから嬉しさもまた一入なのである。
グラズノーフ:
バレエ音楽「四季」
組曲「ショピニアーナ」*
ボリス・ハイキン指揮
モスクワ放送交響楽団
エヴゲニー・スヴェトラーノフ指揮*
ソヴィエト国立交響楽団
1963年、1990年*、モスクワ
Мелодия MELCD 1002085 (2012)
こうして音にするのは四半世紀ぶり位だろうか。いやはや、思い出の愛聴盤を改めて聴くのはちょっと怖い。もしも凡庸な演奏だったら千年の夢も一気に醒めてしまう。初恋の女性に永い年月を経て再会するようなものだ。ドキドキする。
始まった途端、そうだ、この演奏なのだと頷く。あらゆる懸念は杞憂に終わり、初めてラヂオで耳にしたときの感動が蘇る。やはりこれは稀代の名演なのだ。
繊細にして雄渾。可憐にして壮麗。あらゆる細部を掌握したハイキンの余裕綽々たる指揮ぶりに魅了されずにはいられない。モスクワの放送オーケストラは当時すでに若き常任指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの薫陶よろしきを得てアンサンブルは申し分なく、ニュアンス豊かな名技を惜しげもなく披歴している。録音だってステレオ最初期のソ連にしては上乗であろう。
あれから少なからぬディスクを聴いてきたけれど(
→グラズノフ「四季」総ざらい)、これに比肩できる演奏はないと今は断言できる。それほどの決定的名盤なのだと改めて肝に銘じた。ハイキン恐るべし。
ハイキンが「四季」を録音した1963年から今年できっかり半世紀が経過したことになる。その間にロシアの指揮者が自国の楽団を指揮しためぼしい正規録音がないのが残念である。ロジェストヴェンスキーやゲルギエフやユロフスキーが収録を避けているのはなんとも勿体ないことだ。